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しぇんしぇいパパ、ありがとう ①

その1 突然の異変が先生パパを襲う(おじいちゃんとは言わずにドクターの”先生”をつけて先生パパと呼ぶが、ちびちゃんたちには言いにくく、”しぇんしぇいパパ”と”呼んでいました。)

うちの祐貴と妹(三女)のところの史也君を両手に抱えて満面の笑みを浮かべる先生パパ

本人はもちろん大ショックだっただろうが、母と三姉妹の娘たちのショックは言葉にならないものだった。
平成9年に産婦人科の開業医だった父が胆管がんで亡くなりました。私はその時いつか、父のドラマのような人生を本にしたいと思っていました。次々とおこることが、ドラマで起こるようなことばかりで、夢の中じゃないかと信じられませんでした。
先ずは、父のがんがわかり、鳥大病院で、黄疸を治すために管を入れる治療を週末にしてもらい、がんの治療は、慶應病院の専門医におねがいすることになりました。何日も絶食していたのに、東京に行くと決まったとたん体力をつけんといかんと、急にドカ食いし、その日の夜中に脳貧血をおこしトイレで倒れて救急車で運ばれることに。東京から帰って来ていた七つ違いの妹が、何とも言えない音がして、何の音と思って様子を見に行き、頭から血を出してトイレに大の字になって倒れている父を発見。涙声とも叫び声ともつかぬ不安そうな声で電話から叫ぶ「パパが頭から血を流して倒れてるー、今救急車を呼んだからきてー」と。当時息子は幼稚園の年中で、寝たまま布団ごと抱きかかえて、主人が運転する車の後ろに乗る。松江につくまでの道中、心臓がばくばくし、どうぞ無事でいてくれますように、とただただ祈るような気持ちでした。それから、次々にメイクドラマがはじまりました。病院へ搬送された父はトイレの床のタイルで後頭部をひどく打っていて、どうなることかと心配したが、駆けつけてみたら、不安で泣きそうになって背中をまるめて一人ポツンと座っている妹と対照的に、看護師さんにダメ出しをする大きな父の声が処置室から聞こえてきて、ほっとしました。さて病院に搬送された父ですが、トイレの床のタイルで、いやというほど後頭部をうっているので前頭前野、が傷ついてしまい、担当医から性格が変わるかもしれない、といわれる。父はもとは、博多出身。何かというと「九州男児」が口癖でした。今回の入院でも若い研修医がやった医療行為にはダメ出しをして「九州男児を馬鹿にするなよ。今の薬は何だ」、とチェックしていました。そんな父がふとそばについていた私に「美穂子、この点滴はoooか?」と聞いてきたのです。私も何度も聞いたことのあるその薬はなんとつわりを楽にする薬の名前でした。とっさに「そうかもね」というのがやっとでした。頭を打っておかしくなったんだろうか。すごく不安になりました。その頃、慶応義塾大学病院に胆管がんの専門医がおられるとのことがわかり、その先生に手術をしてもらうという段取りになりました。胆管がんの名医にオペしてもらいたい、順番を待っている患者さんたちが、全国から集まっておられます。父も焦っていました。とっくに上京しているはずだったのに、思わぬアクシデントで足止めをされて。東京にいて、手術の順番を待つはずなのに、思わぬ足止め状態に。父はもちろんのこと、私たちも2~3ヶ月も待たされてがんが広がるんじゃないかとやきもきしました。そしてこのあと半年も主人と別居状態になろうとは思ってもみませんでした。祐貴が3歳、私の妹(次女)のところも半年違いの3歳、三女のところは2歳の男の子がいて、みんなそれぞれに子育てで大変な時でした。母と私が1ヶ月ずつ交代で上京し、妹のところに泊めてもらいどちらかが子守、もう一方は父の看病に行く毎日でした。これは父が命懸けで上京してからの話になりますが。松江の病院でのドラマチックな出来事は、明日退院してその足で上京する段取りになっていた父が下血して意識が低下して緊急オぺになった時のことです。主治医に、主人と私が呼ばれ大腸がんに転移してますので東京行きはあきらめられたほうがいい、と言われたのです。そのとき既に飛行機のチケットを予約していたので、すぐにキャンセルしました。そして、長時間のオペの後、またよばれ言われた言葉に耳を疑いました。「大きな誤算でした。転移ではなくストレスからの潰瘍からの出血でした。東京に行かれるなら明日がチャンスですよ。」と言われたのです。「こんな大手術をした患者を追い出すようなことをよくするなぁ、飛行機に乗せる?とんでもない、殺す気か。」と主人とびっくりして言葉もでませんでした。上京するまでにこんなにいろいろ試練を乗り越えて一度はあきらめた飛行機で、主人と三女が同行していくことに。大手術の後なので点滴をしながらストレッチャーで救急車で運ばれてきてリフトでつりあげられるのを見送りデッキから見ていたら、とめどもなく涙がこみあげてきた。ひょっとしたらこれが父の姿を見るのは、最後になるかもしれないという思いがふと脳裏を横切りました。

祐貴のお宮参り。主人もこの着物でお宮参りしたらしい。
親子二代にわたって着用する。主人のお母さんの整理整頓上手には脱帽です。
いっしゃーい、(1歳)が言えて。私が面白がって何度もさせる(笑)

さてこうして様々な試練を乗り越えてやっと念願の慶応病院に、と書きたいところですが、そうは問屋が卸さないのが現実なのでした。
次回は東京編、です。
つづく






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