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バトルロワイアル

突然だが不定期の特集として行う予定だった「その後の深作欣二」は今回で中止する。「バトルロワイアル」を見て続ける意欲が失せてしまった。
もっとも、第1回の投稿に誰もスキしてないので、何の問題もないと思うのだが。

「バトルロワイアル」という傑作を今回の特集の締めにして何度か深作の後期の映画を語っていこうと思っていたが、「バトルロワイアル」が傑作でも何でもない映画だったので、特集自体を続ける意欲が無くなってしまった。

というわけで、残念ながら「バトルロワイアル」はもう一度見る価値のない映画なので、通常どおり以下、ダメなところを箇条書きで列挙していく。

<生徒たちが疲労困憊していない>

有名な映画ですでに多くの人がこの映画の大筋は理解していると思うので、そのつもりで書くが、映画は無人の島で39人の高校生たちが最後の一人になるまで互いに殺し合いを強いられるという、正にこれ以上はない極限状態に置かれる。

それなのに、生徒たちは誰一人として疲労困憊していない。正確には、疲労困憊した状況は描かれているのだが、演じている俳優たちの顔が誰一人疲労困憊していない。コンプライアンス無視で有名な深作の撮影現場なのだから、実際には俳優たちは疲労困憊していたはずだと思う。しかし何故かそういう疲労困憊が俳優の表情には出ていない。

だから生身の十代の少年少女が殺し合いをしているという実感はまるでなく、ゲームのプレイヤーがゲームに参加しているようなファンタシーしか感じられない(柴咲コウが演じた殺る気まんまんの鬼少女は、そうした作風を象徴するキャラクターだ)。
この映画の過激な設定をファンタシーとして消化してしまったら、この映画を作る価値も、見る価値もない。これなら同じ深作監督の「仁義なき戦い
広島死闘編」を見た方が、よほど人間同士が殺し合うことの「意味」を教えてくれる。

<(公開当時の)高校生たちに対して誤解を生む描写が多い>

この映画は前半のうちに早々と死んでいく(あるいは殺されていく)生徒たちと、それから後半にかけて徐々にそうなっていく生徒たちとで分かれているのだが(これは俳優の知名度の問題が大きいだろう。現に藤原竜也は最後まで生き延びる)、前半の途中から後半にかけて死んでいく生徒たちが一部を除いて、ことごとく恋愛感情か、もしくは恋愛を伴わない性欲の感情を露にする。

あまりにも多いし、あまりにしつこいので、不自然に感じた。もっとも作風自体がファンタシーだからこれもありなのだろうが、生徒たちの疲労困憊の無さと相乗効果で、この映画からリアリティを徹底的に奪ったことは間違いない。もし私が公開当時にリアルタイムでこの映画を見ていた高校生なら、こう思うだろう。

「これじゃ、おれたちがいざとなったら恋愛とセックスにしか関心がない動物だと思われる。」と。

そもそも、実際の戦場よりも過酷な(味方がいない)状況で、いくら高校生だといっても恋愛やセックスにそれほど関心を維持できるだろうか?
私は疑問に思う。

<物語の(法案の)設定自体に無理がある>

この映画が企画された1990年代後半には、いわゆる少年Aによる神戸連続児童殺傷事件をはじめとして、十代の少年による凶悪犯罪が多発していた
(もっとも今から思えば、事件の件数自体は大した数ではなかったが)。

そういう社会不安を背景にして、この映画が企画立案されたのは間違いない。そのため、映画の中でバトルロワイアルという教育上の法案を成立させた目的は、青少年に大人への絶大な恐怖心を植え付けることだと説明されている。この教育上の目的自体がギャグでしかないが、一応、理に叶ったものとしておく(でないとそもそもこの映画を視聴できないから)。

要するにバトルロワイアルは青少年の健全な精神を育むための命を賭けた競技であり、競技ならばまず男女別に行われなければ公平性の観点からおかしい。もちろん映画に登場する柴咲コウのような「優秀な女子生徒」もいるわけだが、戦車やジープのような機械の兵器ではなく、基本的には手持ちの武器で戦う以上、当然、体力と筋力に秀でた者が有利になる。

映画ではこうした男女間の(あるいは個人間の)不公平を是正するために
あえて支給される武器の中身をバラバラの内容にしたと説明されるのだが、
最初から男女別に分けて、そのうえで皆が同じ量の同じ武器を支給されることにした方が、より確実に公平性が保たれるはずだ(それでも体格や知能で
個人差は付いてしまうが、それは現実のスポーツでも同じことだ)。

そもそも恐怖心に駆られたアホな大人たちが作った法案なのだから、公平性など担保するはずがないという設定ならそれでもいいのだが、映画の中のビデオ映像によるルール説明でしっかり公平性に言及しているし、教育の一環(というトンでもない建前)で引率の教師まで帯同させて行う以上は、やはり最低限の公平性が担保されないとリアリティがない。

だがこの映画の設定を男女別にしてしまうと、恋愛エピソードが満載の脚本自体が成立しない。そもそも、最初から最後まで生き延びる主役が男女のカップルなのだ。だから男女別の設定にするべきという私の提案はこの映画の企画段階で即却下だろう。

<おっさん、何が言いたい?>

私がもし現役の高校生だったら、ただ単に「ガンバレ」と何十回も連呼されても、最後の最後に、「とにかく走れ」と言われても、意味不明だとしか思わない。映画の中で藤原竜也がいつかなりたいと言うような「まともな大人」だったら、心に響くような言葉を伝えなくてはならない。

残念だが、この映画の出来では「恋愛とセックスにしか関心がない動物のような」高校生に退屈しのぎのゲーム映像として消費されて終わり、だろう。

今回、ようやく「バトルロワイアル」を見て確信したのは、深作欣二の最高傑作は「仁義なき戦い」か「同 広島死闘編」だということだ。


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