"視点がニュートラル"
こんにちは。こゆりりこです!
タイトルの言葉は、私が以前とある友人から言われた一言です。
この言葉を聞いた時、私はすごくハッとして、同時にとても嬉しく思ったのを覚えています✨
今日はそんな言葉について…
その友人と私は同じ部活に所属していたけど、クラスは違うため、普段はあまり深い話をする仲ではありませんでした。だけど、部活の合宿の行き帰りのバスでたまたま隣の席になったことで、いろいろと話をする機会に恵まれたんです。
その子の印象は温和で気弱、柔らかい雰囲気の癒し系といった感じです。とっても優しく、私にとって一緒にいて落ち着くと思える子で、普通に仲良しではあります。
…だけど、正直に言うと、その子が人の出方を伺ってオドオドしている様子に、本当にたまーに…イラッとしてしまうこともあります。
私自身もそういう気質はあるのに😂いや、むしろ自分にも同じところがあるからこそ目についてしまうのかな?
部活の合宿の帰り道、バスの席が隣同士、その子と私でとりとめのない話を続ける中で、「他人の話を聞いたり、いろいろな考え方を知ることが好き」と言った私に対して、その友人はとても素直にいろいろな自分の悩みを吐露してくれました。その悩み相談自体も、(私にとっては)とてもおもしろいものではあったんですが、それは置いといて…
そんなこんなで、流れで友人の悩み相談に乗っていたところでの、本記事のタイトルの発言です。
私は彼女の話を聞く中で、『〇〇と思う人もいるから、それは良いことだ』『でも逆に△△と思う人もいるかもしれない』などと発言していたように思います。
たぶん私は、無意識のうちに、考えられる(私の想定の中で起こりうる)なるべく多くの場合について検討して、それを彼女と共有しようとしていたのだと思います。
そういう姿勢が、"視点がニュートラル"という評価に繋がったのかな、と…
ここで、そもそもニュートラルってどういう意味だっけ?と思ったので、一応調べてみました。
要するに、もともとある先入観や知識をとっぱらって、柔軟に考えるといった姿勢がニュートラルなのかな、と私は読み取りました。
そして、そんなニュートラルな姿勢は、アイデアに独創性をもたらす一方で、感情がないと思われてしまうデメリットもあるということ…
感情がない、とは少し違うかもしれませんが、私の言ってることって机上の空論というか、どっちつかずの理想論って思われそうですよね。というか、正直自分でもうっすらそう思います…笑
あれこれ並べてみたところで、結局どっちなんだよ!?とか、もっと言えば、自分の意見がないって感じるかも。
中立的な立場というのは、そういう危険性、というか危うさもあるんだなぁと改めて思いました。
そういうニュートラルな物の見方をするという私の傾向は、このブログにも表れていて。
私がこれまであげた数少ない記事でも、どれも大体、私のネガティブ要素についてちまちま考察し、最後はポジティブに終わるという…
それがいいのか、悪いのか、それは全然私にはわからないです。結局同じ、理想論、って思われても仕方ないし、その感じ方も人それぞれだから。
けど、私は…私自身のそういう物の見方、美意識を大切にしたいし、これからもそんな私らしく、自分の感性を磨いて表現していけたらいいな、と思っています🌟
…またしても、前向きな姿勢で終わるという。笑
これが私らしさです!!と、開き直って生きたほうが幸せかなと私は思うので、このスタイルを貫いていきたいです☺️
ここまでお読みくださりありがとうございました!
では、またの機会に…💕
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