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『いつか憧れたキャラクターは現在使われておりません。』読了感想


・挨拶

みなさんこんにちは、SoLs(そるす)です。
約2年ぶりの投稿でしょうか。お久しぶりです。
現在は大学受験を無事に終え、ラノベの一読者として感想ポストやYouTube動画を投稿する準備をしています。限られた時間の中での活動にはなりますが、みなさんこれからもどうぞよろしくお願いします。
また、YouTubeの更新頻度が、2021年までは「週1投稿」でしたが、2023年から「不定期投稿」となります。更新頻度にムラができるかもしれませんが、ぜひYouTube活動の方も見ていただけると嬉しいです。

・本題

さて、読了感想ブログは第4回目です。
このブログでは、「#そるラノ」(X(旧Twitter)の投稿用ハッシュタグ)に投稿した作品の感想を「より深く」書いていきます。

今回の作品は、『いつか憧れたキャラクターは現在使われておりません。』です。

ガガガ文庫より2023年7月に発売されました。
このブログはネタバレは多少含むので、まだ読んでいない方はぜひ読んでからこの感想を読んでもらえると嬉しいです。

《SoLsのポスト(ツイート)》

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・あらすじ

まずは「あらすじ」です。

いくつキャラをこえれば、私は私になれる?

15歳の時に明澄俐乃(リノ)のために作ったVRキャラクタ-≪響來(ユラ)≫。ただのキャラクターであったはずの彼女が19歳の成央(ナオ)の前に現れた。
響來の願いで再会する成央と俐乃。19歳の俐乃は芸能人となり、誰よりも輝きを放っていた。居場所を求め、傷つきながらも一人走り続ける彼女を見て、成央は15歳に置き去りにした感情を思い出す。

保健室で見た、「はじめて」の瞬間。
二人だけしか知らない、甘い時間。
そして、叶えられなかった約束。

鮮明に、克明によみがえる憧れと葛藤の欠片たちは、成央に突き刺さる。
19歳の現実と理想に向き合う中で、二人は本当になりたかった自分と、なれなかった自分を思い出していきーーやがて、響來が現れた本当の意味を知る。
第17回小学館ライトノベル大賞受賞作。キャラクターと葛藤が紡ぐ、優しくも切ない青春ファンタジー。
(裏表紙より抜粋)

いいですね、今年度の上半期で最も好きなラノベです。
ティーンエイジャー世代には刺さる文章が多いと思います。それと同時に「自分」という存在を考えさせてくれる作品です。
また、とても心に刺さります。
詠井先生の文章力には本当に圧倒されました。

明澄俐乃(リノ)と境童話(どーわちゃん)
ちなみに同一人物です。
(読み始めた時はこれを理解するのに少し時間がかかりました(笑))


・読書後感想(【重要】ネタバレあり)

今回の注目点は主に2つです。(ポストに書いてないことを中心に話していきます。)

『過去と現在(4年後)のリンク』

まずは、『過去と現在(4年後)のリンク』です。この作品では15歳時代の2人と19歳時代の2人のお話が相互的に関連しながら物語が進んでいきます。タイトルを見ただけではわからないほどに、2人は青春しています(笑)。しかし、単に「青春物語」として終わらせるのではなく、15歳時代では15歳なりの2人の「憧れ」「葛藤」を、19歳時代では19歳なりの2人の「憧れ」「葛藤」を描くことによって、読者たちが作品に対して感情移入できるようになっているようにも見えました。また、4年間という「時間の経過」から物語を書き、リンクさせていることで、登場人物の「成長」というのを感じやすいなあと思いました。特に、ラストに近づくにつれて明かされる2人の「憧れ」の対象がお互いと「響來(ユラ)」であったことは驚き、私は涙を流してしまいました。
(ユラの方は2番目の注目点で解説するので、このまま読み進めてください。)
ナオは15歳の時から2人で歩いたリノに対し憧れを抱いており、一躍有名になっていたリノとそうでない自分を比較し、自分は「何者になれなかった」という劣等感を抱えて4年間を生き続けていました。逆にリノは一躍有名になった後も自分の「居場所」というものを探し続け、響來と境童話という「キャラクター」の中で生き続けていましたが、高校時代にふと見つけたナオが友達といたところを見て、自分には「居場所」がないと幻滅してしまいます。
ナオの「何者になれなかった」というのが、「リノと同じ位置に立てなかった」と解釈すると、ナオも「居場所」を失っていると解釈できると考えます。このようにみると、2人の「居場所」の意味は違えど、互いがそれぞれの「居場所」について葛藤し、互いが持つ「居場所」に対して憧れを持っていると見えるのではないでしょうか。(ナオにとっての「居場所」は「リノと同じ立ち位置」、リノにとっての「居場所」は「自分が認められる場所」だと私は思っています。)


『タイトルに込められた想い』

また、『タイトルに込められた想い』も注目するべきところだと思っています。実際には詠井先生本人しかわからないものなので、私の勝手な解釈になってしまいますが、すみません。
(詠井先生、間違っていた場合は申し訳ございません。)

いつか憧れたキャラクターは現在使われておりません』というインパクトのあるタイトルですが、このタイトルは先述した「憧れ」のもう1つの対象である「響來(ユラ)」のことを指していると思われます。
ここで、ユラの簡単な説明をします。(念のため)

15歳の成央が設定を考え、俐乃が中身を演じたVRキャラクター。
ユラの住む世界では、不法投棄された夢と葛藤が腐敗しー(以下略)
(ナオの原案より)
ユラは葛藤を愛している。ユラは人にも自分にも厳しい。ユラは私よりも美しい。(以下略)
(リノの原案より)

ナオの原案にもリノの原案にも共通してあるように、ユラという存在は彼らの「葛藤」の代弁者であったといえます。また2人がどちらもの原案を見た後に、それぞれ「響來は明澄(リノ)の葛藤の結晶で、明澄の憧れだったんだろ」「響來は、マガリ(ナオ)の葛藤で、憧れだったんだね」と言っています。このことからもわかるように、彼らのもう1つの憧れの正体は「響來」なのです。

『いつか憧れたキャラクター』というのは、「お互い」と「響來」のことであると思いますが、「現在使われておりません」とはどういう意味なのでしょうか。

私は、『「キャラクターの変化」によってキャラクター自身が消えてしまうこと』だと考えています。実際に、リノは「響來」というVRキャラクターから「境童話(どーわちゃん)」というタレントへ。ナオは「15歳成央」という孤独なキャラクターから「19歳成央」という友達がいるキャラクターへと変化を遂げていっています。みなさんも中学から高校へ、高校から大学・社会人へと環境が変化していくにつれて、自身の「キャラクター」を無意識のうちに変化させていたことがきっとあると思います。この例からは外れますが、例えば、みなさんは「友達と会話するとき」「上司や目上の人と会話するとき」「恋人と会話するとき」などの状況で、無意識的に口調や文末などを変化させていると思います。これも1つのキャラクターの「変化」だと考えます。
このタイトルは、人間の「キャラクターの変化」によって無意識的に失われたり、「黒歴史だから」とそのキャラクターを失わせようとすることなどによって失われていくキャラクター達のことを指しているのだと思っています。つまり、『いつか憧れたキャラクターは現在使われておりません』というタイトルは、「主人公とヒロインが憧れたキャラクターは、4年という期間を経てその存在意義を失っていっている」ことを表現しているのと同時に、「人間というものは『変化』を遂げるが、人間が生んだキャラクターというものは『変化』を遂げない」ということの暗示なのではないか。と考えています。(100%個人の感想です、悪しからず。)

主な登場人物です。
読了後、3人に対する印象が必ず変化することは間違いないでしょう。

・まとめ

この話は「人間の時間的・環境的な変化」というものを題材にした青春ティーンエイジャー・ストーリーだと思います。思春期である特有の葛藤や憧れを中心に書いているほか、4年前のストーリーとの比較を通して、「なりたかった自分」になろうとストイックに、真面目に努力したリノと、逃げてばっかりで、自分に対して劣等感をもってしまい、なりたかった自分に「なれなかった」ナオの対比がすごく印象に残った作品であると思います。また、先述した「友達と会話するとき」「上司や目上の人と会話するとき」「恋人と会話するとき」などの状況に起こる「変化」のように、リアル(実社会で生きている)の私たち自身が「変化」というものを無意識に感じていることを訴えてくれているように捉えることができる作品でもありました。
私は読了後に、なんともいえない、言い出すことのできない感情に襲われ、1時間ぐらい鳥肌が立っていました。それぐらい期待をはるかに上回ってきた作品であり、とても「変化」について考えさせてくれる作品でした。

ここまで圧倒できる詠井先生の文章力と、独創的なストーリーにはとても感動しました。言葉選びが巧みであるほか、その言葉1つ1つに重みがあり、また鋭利な言葉であるからこそ、この物語が読者に刺さっていって、面白さや興味深さを生み出しているのだなあと思いました。
詠井先生、この作品を生んでくださりありがとうございます。

まだ未読の方はぜひ一読を、すでに読んだ方は、ぜひ感想を教えてください。

以上、SoLsでした。

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