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完璧なアートという「空」


私が今、一番好きなこと - それは、空を見ることだ。なぜか。


空を見ると、その色が毎日変わっていることがわかる。清く透きとおった濃い青をしてキリっと空気まで引き締めてくれる空。クリームがかった淡い水色をして、わたしをほのぼのさせてくれる空。そして、おひさまが大声で「おはよう」と叫ばんばかりに照り付けているときの空の青は、少し一歩ひいて、太陽の舞台を引き立てている。

悩みの風船がちぢむ


そんな風に変わり続ける空は、私に飽きを感じさせない。また、空を見て「遠さ」と対峙する中で、自分が抱えている悩みや不安が少しちっぽけなものに感じられることがある。昨日の夜まで、あるいは、さっきまで感じていた果てしなく大きな悩みが、小さくなっていくのがわかる。その心の変化は、膨らませた風船の空気吹込み口を少しずつ緩めていったときの風船のちぢまり方と似ている。はたまた、石けんが徐々にちいさくなっていく、そのプロセスに似ていたりもする。

雲男(くもおとこ)


くもの形を眺めて、その形が何に例えられるかを考えていくのも楽しい。ちなみに今日は、雲男が登場した。彼は上半身だけだった。コモッとした頭部の横で両腕をこちらへと上げている。その姿は、アンパンマンがみんなの夢を守るパトロールのために真上に飛び上がるあの瞬間と似ていて。ふわっ。雲男は何も言わなかった。顔には何もなかった。


昨日は、私の目の前で雲が三角形の輪郭を描いた。それぞれの辺は、ふとくてシュワリシュワリとした線状の雲。三角形の真ん中はうっすらと白がかっていた。その真ん中をずっと見ていると、白がどんどんどこかへ消え、中央から青がひろがっていく。わたしの心の扉があいていくかのようだった。扉のカギはだれが持っていたのだろう。

生きる場所の掃除と「快」


そんなふうに、雲男に夢中になったり、心の扉のカギをさがしたりしている間に、ふっと現実世界へのいいアイデアが浮かんでくることもある。このアイデアが出てくる感覚は、瞑想と似ている。瞑想と同じ原理(なのか?)で今に集中したことにより、ぽっかり空いた空白に、探していたこたえのようなものがスポッと入ってくる。そうやって一日を始めるためのスタートラインが掃除され、道が敷かれると、私の足取りは一段と軽くなり、弾みがつく。


空を見るのが好きな最後の理由。それは、一言に「快」である。おいしいものを食べたときとも、仕事をし終えたときとも、宝くじで当たったときとも、好きなペンを買ったときとも違う。空を見るときにしか感じられないソレは、空が人工を超越した完璧なアートであり、私の身体を、魂をゆさぶり、自分が高みへ引き上げられる感覚を引き起こすことで生じている。一言で言うなら、やはり「快」である。


そういう理由で、私は空を見るのが好きだ。


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