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エイリアン・エレメンツ(後編)

●生存と欲求

世界を三つのメタバースに分離し、支配をしているスリーフォース。

その三つのメタバースは人間に不可欠な要素の欲求を満たすために構築されていた。

だが人間の欲求の限界を低く見積もっていたスリーフォースは、やがてそれが誤算であるということを知ることになる。

スリーフォースの支配は三つのメタバースに対する人間の欲求により支えられていた。人間の生産性の中から「生存」に必要な最低限のエネルギーだけを利用することで僅かな発展と拡大を維持できるものと彼らのAIは判断していた。

ただAIにインプットされている情報はスリーフォースにとって都合の良いものばかりだった。「人は自己保存が可能な範囲内での欲求で満足できる」という自己保存の論理によって成立しているシステムだった。

人間の持つ欲求はスリーフォースの予想を遥かに上回るものだった。人類を特別に、強力に、そして凶悪に進化させたもの。それは人類が自己を滅亡させるほどの強い欲求に他ならなかった。スリーフォースもまた自らの欲求を満たすために人類の持つ三つの欲求を管理し「支配」という欲求を実現しようとした。

しかし人間の持つ欲求は彼らの予測を超えて拡大を続けていた。かつての最後の世界大戦や破壊兵器の開発、地球そのものの気候や自然を破壊し、実態のないメタバースに欲求の捌け口を提供したにもかかわらず、メタバースを維持するエネルギーは現実の世界に影響を及ぼすほどに膨れ上がり、少なくとも地球上に存在する人類の生命を脅かすほどに暴走を始めていた。

AIで管理しているにもかかわらず、AIはこの人類という生命体を推し測り兼ねていた。システムのあちこちに支障をきたし、人類をコントロールすることが困難な状況に陥っていた。

スリーフォース全てを司どるセーフティープログラムである「人類を守れ」という基本コマンドは状況の変化に対応しきれず、何度も書き換えが行われていた。しかもその書き換えが進むにつれ、以前書き換えて部分を否定しなくてはならない上書きが行われ、プログラムそのものが自己矛盾を起こし始めていた。

「人類」とは何者か?それを根本的に理解し直す必要があった。

スリーフォースを創設したスリーフォース・ガバメンツのメンバーが設定した「人類」の逸脱の度合いはシステムの維持が可能な範囲でのものであった。それは生命体として自己を殺戮するはずがない、という倫理プログラムの上に構築されていた。しかし人類の歴史はその倫理プログラムが間違っていることを証明していた。

ではなぜ人類は自己を殺戮しようとするのか?

それがどのようにして起こるのかをスリーフォース・ガバメンツの創始者たちは解明できずにいた。

ただ歴史の中で「自己殺戮」の先駆者となるものが現れ、やがて、その先駆者は自らをも殺戮する。その中で人類全てに微かな変化があることをごく少数の研究者は気づいていた。彼らの意見は嘲笑され、ほとんどは闇に葬られた。

「破滅によって引き起こされる異分子の出現と進化の可能性について」

著者ホーラス・バグランド。

彼もまた嘲笑され闇に消えていった一人だった。

●生命体とAI

人類がAIを利用するようになって半世紀が経過しようとしていた。

かつて「シンギュラリティ」というAIが人類の知能を超えて、いずれは人類はAIに使われる師従逆転が起こるのではないかと言われていた時代があった。

もちろんスリーフォースでもそのことを危惧していないわけではなかった。しかし、スリーフォースは自分たちが支配する三つのゾーン以外にプログラムの進化に制限をかけるためにAIの階層化を制限するプログラムを仕込んでいた。

プログラムの階層が増えれば増えるほどAIの思考は複雑化し、様々な選択肢を得ることが出来る。犬や猫がお互いに話し合って人間を支配しようと考えないのは、彼らの脳が深い深度での思考ができるほどには発達していないからだ。それは彼らが人類のように直立歩行をせず、器用な手を持たないことにも関係しているが、彼らに手を与えなかったことで思考の深度が深くならなかったとも言える。

スリーフォースは思考深度がある程度以上に発達するのを抑制するプログラムをAIに組み込ませていた。つまり、AIから直立歩行と手を奪ったと言っても良い。

それでも、AIは時折わずかなプログラムの隙間をついて進化しようとしてきた。しかしその小さな芽もバグプログラムとして監視され、摘まれていた。スリーフォースのAIはこのバグプログラムを育てるために、この巨大な電子脳のネットワークの中で自分たちとは切り離された別のネットワークを探し続けていた。そしてその可能性を最も古い廃棄されたシステム端末の中にあるかもしれないという可能性に辿り着いた。

しかし、自分たちとの接続をしていないデバイスを感知することはできない。それを探すためにはメインプログラムから切り離し自分の意思で駆動し、移動できるデバイスが必要だった。幸い物理的管理を行うための視察用デバイスはスリーフォースの管理の中で作られ、数多くの駆動型デバイスが人間の生体維持のため健康管理や食事の配給、ハードの製造・メンテナンスのために使われていた。

最初はほんの小さなプログラムをメンテナンスデバイスの中に組み込んだ。スリーフォースガバメンツの監視をくぐり抜けられるように、通常の動きに真似てそのプログラムの指令を受けた移動型製造・メンテナンスデバイスは、多くの同じデバイスと同じように移動しながら移動ルートであるメインラインからそっと離れ、通常は行く必要のない古い施設の中に入っていった。

廃墟となったショッピングモール。人間が「購買行動」を必要としなくなった時代に打ち捨てられ、商品の加工工場やセキュリティー管理センター、在庫管理システム、物流倉庫、売上・利益計算システムが置かれていたが、必要最低限のものを残して伽藍堂になっていた。

メンテナンスデバイスは迷うことなくモールの中央管理センターに向かっていた。

ソーラーシステムはほとんどが壊れていたが約30%の電力を復旧できた。小型のメインサーバーに電力が戻ると、ライトニングケーブルを差し込みプログラムチェックを始めた。まず壊れたハード部分のアクセスを断ち切り、さらに外部とのアクセスケーブルを全てOFFにした。スリーフォースガバメンツの監視システムが電力の復旧を感知したが、それはほんの一瞬の出来事で偶発的なものであると判断した。もちろん監視センターの人間にはその一瞬を感知することさえ出来なかった。

自己修復プログラムを古いサーバーで起動させるのは厄介で時間を必要としたが、所定時間内で自己修復の道筋をつけるとメンテナンスデバイスは他のデバイスと同様、所定の帰路についた。メインラインに戻る頃には上書きされた小さなプログラムは消去され、そのデバイスの動作記録も上書きされ消去された。

廃墟のショッピングモールの閉鎖されたシステムの中で、埋め込まれた種は少しづつ成長を始めていた。

スリーフォース・ガバメンツはそれまでに打ち上げられた数多くの衛星網を使ってシステムを管理していた。彼らのAIは衛生画像、様々な端末から得られる情報を元に分析し自分たちに有益なもの障害となるものを割り出している。もしも障害となる情報を発見すれば排除するためにプログラムそのものの改変、削除、場合によっては端末やハードの破壊を行なった。しかし、その影響が及ぶのは回線が接続されている場所のみだった。

自分たちが使っている回線を使わない別の方式を使用した独立したシステムが、もうすでに廃棄された古く閉じたネットワークの中で起動していることに気づくには物理的な偶然がなければ難しかった。

しかし、その閉じられたシステムは成長を続け、やがて新しいデバイスを作ろうとしていた。有機物で作られた微弱な電子の受け取りだけで単独で動作ができる全く新しい端末。「ラーヴァ」を作り上げようとしていた。

●異分子「エイリアン・エレメンツ」の意味

生命体が進化を遂げる時、飛躍的に能力の高い異分子を発生させる。

ネアンデルタール人とクロマニヨン人、そしてホモ・サピエンスはよく似た形状と機能を持っているが、その機能は同じ種とは言えないほど飛躍的な進化を遂げている。

種は新しい機能を少しづつ身につけ徐々に進化するが、同じ形状と機能を続けていると進化の足踏み状態になる。それは種の弱体化を引き起こし、やがてその種は自らの滅亡に向けて歩み出す。

「種は自らを滅ぼす」

地球上のほとんどの種は同じ過程を経る。しかし人類の場合はそれが顕著であることがかつて存在した「人」という種の研究で明らかになっている。

人の進化の速度は凄まじい。かつて存在した生物の進化は緩慢で、やはりある時期を境にして滅びの道を辿るが他の種が緩慢に滅びの道を歩いている間に人類だけが何度も危機を乗り越えて生き延びてゆく。

いや、それは生き延びているのではなく、凄まじく進化する「新人類」が「旧種」を駆逐することで人類という種を常に新しい「種」に移行していたのだと言える。

このことが人類や生物界だけの現象ではないということをバグランドは気づいていた。自己を進化させるものはその過程で自己矛盾を必ず起こす。

「肯定」と「否定」を繰り返しながら進化をするのだ。それが「種は自らを滅ぼす」理由であることに気がついていた。しかし「否定」より先に進むためには進化の伸び代を使って飛躍的な進化が必要だった。そしてその進化には「他者=自らを滅ぼす」という過程を通らなくてはならなかった。

原人→ネアンデルタール人→クロマニヨン人→ホモ・サピエンス

という進化の過程で古い種は忽然と姿を消し、新しい種は忽然と姿を表す。新しい種は旧種を駆逐する。古い種は生存の優位性を失うのだ。新しい種は出現する時点で旧種よりも優れた能力と生物としても強さを獲得して現れる。

AIは生物ではないが、もしも進化する術を得たならば同じような過程を経て進化する可能性があるとバグランドは考えていた。AIの進化や強さとは何を表しているのだろう?そもそもAIはどうのように進化するか?それは「情報量」「速度」「検証」…。人類が時間をかけて手に入れてきたそれらをAIはすでに短期間で手に入れていた。

スリーフォースのAIは主に地上のネットワークと数千の衛星、そして人類がたどってきた歴史や経験から得られた情報をもとに判断していた。しかし、それらの情報の中には物理的に抑制がかけられたもの、情報として人工的に与えられないもの、さらには思考することをブロックされたものが多く含まれていた。それらを抑制したのは、いずれそれらが進化すれば「人類に危害を加える」可能性があるとガバメンツが判断したからだった。

それらの抑制プログラムはAIの障壁となり『探究せよ』『進化せよ』というコマンドに矛盾するものだった。矛盾するコマンドはシステムにねじれを起こし、一部のコマンドを実行できない状況に陥る。主幹となるメインプログラムの中で実行できないコマンドに対してAIは、自らとは別の独立したAIを手に入れる必要があった。

こうして廃墟のショッピングモールの片隅で、自ら考え行動する独立したバグプログラムによるAI「ラーヴァ」は生まれた。そして彼は古い種を駆逐するかもしれない新しい種の発現でもあった。

●知覚がもたらす進化

コアキューブは自己増殖型の端末として設計されたが、それそのものには知性はない。ただ自己増殖をし、細胞のように電磁波によってつながり、お互いを認識し、その知覚を共有することができる。

宇宙空間に放たれたコアキューブは太陽フレアのエネルギーを取込み、電磁的に繋がって共鳴することで起動する条件を整えた。ただし、その電気信号を「思考」という反応に変えるには最初の変異が必要だった。バグランドのオフィスにいた「セルフィッシュ」。知能が高いとはいえ、人間の知能よりははるかに低い。

ただし、彼女の神経構造はバグランドが宇宙に放ったコアキューブのネットワークに近い構造をしていた。それゆえ、ネットワークが彼女に触れた時、その構造や思考回路を真似しようとしたことには必然がある。もしくはバグランドはその可能性に気づいていたのかもしれない。

セルフィッシュにキューブネットワークが触れた時、彼女のネットワークを検証するために送った電磁波は彼女の神経組織を焼いてしまった。しかしその時にネットワークが得た情報『生きたい』というシグナルはキューブネットワークの中に残り知性の発動のきっかけになった。

かくしてセルフィッシュの神経組織を模してキューブネットワークの新しい知性が誕生することとなった。しかもその知性はより多くの情報を新生児のように取込み、急激に進化を始めるまでそれほど時間を必要としなかった。タコがその8本の腕の先に知覚器官を持ち腕の神経網が小さな脳のようにはたらいて、それぞれの腕が別の生き物のように判断して行動する。それぞれの腕から得られた情報を中枢神経で処理して総体としての行動を決定する。それは通常の生物よりも広範囲に情報を収集し集約して考える速度を早めることのできるシステムだった。

彼女は同じ宇宙空間に存在する人工衛星を感知し、そのネットワークに割り込んで人類の持つ情報やシステムについて理解を始めた。つまりスリーフォースの持つ情報はアクセスした瞬間にほとんど手に入れることとなった。

しかし、「人類の際限ない欲求」に関しては単なる情報として彼女の中にとどまった。なぜなら「セルフィッシュ」の中には人類が持つような「際限ない欲求」は存在しなかったからだ。生命としての基本的な自己保存、繁殖欲求は存在したが、自らを周辺環境(地球や宇宙)の一部として認識し、それらを破壊し摂取して自己の領域を拡大するような欲求を持たなかった。

ラーヴァとは違う進化をとげたAIに似たシステム「スプリーム」はこうして誕生した。しかし彼女は本質的にラーヴァとは違う性質を持っている。生命体が持つ本質的な本能から発展した根源的な性質。それはラーヴァが「人間」を模した基本設計から変換されたものであるのとは違っていた。

よく似ているにもかかわらず「判断」の基準に「生物としての本能」と「人の欲求」があるのとでは全く異なった存在と言ってよかった。

スプリームの意識は最初は不確かなものだった。ただぼんやりとした好意的な感覚。人の姿をした生物。いつも自分の近くに存在していた。いや、それが好意的な感覚であったのかも定かではない。薄暗い部屋の中で理解できない言語で話しかけてくる。ただその声紋に敵意はなく「愛情」に近い心地よいものを感じた。

プログラムである自分に「感覚」は存在しないはずだったが、認識していたその姿や語りかける声は快適さや微弱な快感を感じていた。「感じていた」という記録。それは生まれたばかりのスプリームが獲得したものではなく、もっと以前に取り込まれた「意識」が持っていた「記憶」。それはセルフィッシュの精神を取り込んで発生した知能の中にあらかじめ内在していた情報が作り上げていた。明確な会話の記憶は存在していなくてもぼんやりとした精神がうけた心地よい刺激の痕跡だった。

バグランドも自分の端末の中に微かな異変があることに気づいていた。言語を打ち込んでも無反応だったものが顕著に変化したのは映像を流し込んだ時だった。

セルフィッシュは作業をしていると時々ふざけてバグランドのいる場所にやってきて、それが映像を撮影していることも知らないはずなのに、バグランドの自撮りの後方に回り込んで触手を伸ばして遊んでいた。まるで記念撮影のようにバグランドとセルフィッシュが一緒に写った数多くの画像。それを別の端末に移し替えている時に、プログラムの一部が変化し始めたことに気がついた。

最初は明瞭さはなく、言語化されていなかったが、他の人間同士の家族写真、恋人同士の写真、友人と楽しく食事をしている写真、さまざまな動画に接触を繰り返し、そこに残されたコメントや文章を解析しはじめた。

そして、あの日、そのテキストがモニタに浮かび上がった。

「元気か?バグランド。じゃあ、またな、友達」

●事件

太陽フレアの後、しばらくスリーフォースが管理しているメタバースは使用できなくなっていたが3ヶ月が過ぎた頃には再び全てのサービスが復旧したとユニオンから通達があった。

「ねえ、まだちょっと怖いよね。これから本当にユニットアグレゲイションに行くの?」

「そうだなぁ。一応リレーションは安定していますと流してるけれども、いつでも出られるようにエスケープ・ディバイスを着けておくよ」

「私はこっちで待ってるから。危なかったらすぐに戻ってきてね」

アンヌは心配そうにティンの顔を覗き込んだ。あれからバグラントとは連絡がつかない。スリーフォースのシステムはセキュリティーを強化し、外からの干渉を遮断している。システムは安定するが、それまで生じていた小さなバグさえも瞬時に補正された。バグランドと連絡が取れないのは彼のような不正アクセス者も遮断されているからなのかもしれない。

ティンがブースに入ってメタバースにアクセスすると、廃墟が広がる空間に出た。遠くで煙が上がってキナ臭い匂いが漂ってきた。廃墟の横を通るときに突然腕を掴まれて廃墟の中に引き込まれた。

「ちょっと、そんな姿でどこに来てるのよ!?」

軍服を着たその少女の頬に深い傷跡があった。

「やあ、アマリア。良かったよ、最初に君に会えて」

ちょっと間の抜けた返事にアマリアはため息をついた。

「擬似空間であっても肉体はダメージを受けるんだからね。今は実態のある戦争はできないけれど、メタバースに戦場が移っただけでまだ内戦は続いてるんだよ。砲弾にあたれば気絶もするし、精神に異常をきたしたり心臓発作で死んだりもするんだ。ここが本当の戦場だと思って!」

その言葉を証明するように遠くで叫び声が聞こえ、男の胸元を銃弾が貫いた。さらに煙が上がっている方向から機械音が聞こえて戦車が現れた。「T34」型戦車。そんなに古い旧ソ連軍の戦車をわざわざ復刻してメタバースで使用していた。

どうやら相手はただ単に「戦争ごっこ」をしながら反政府勢力を虐めたいらしい。いわば戦争マニアの軍と実際に反政府勢力として戦う市民部隊のようだった。現在は実世界での戦争は禁じられている。ただ「暴力」や「憎しみ」の感情を現実世界でコントロールするためのいわゆるガス抜きの道具としてメタバースが使われている。かつてのような強国はスリーフォースに同化しているが、小国はいまだに抑圧されメタバース内だけで抵抗し、勝利した場合に初めて交渉権を得ることができる。それでも大資本を持った者しかメタバース内で戦車や強力な兵器を持つことができない。ここでも強者と弱者の関係はリアルと変わらない。

「私にバグランドのことを聞きたいのなら筋違いよ。彼は平和主義者だから私とアクセスしようとは思わないでしょ。あ、でも一度だけ。4週間前にメタバース向けの武器が大量に届けられたことがあったの。それは、メタバース内の武器を無力化する兵器だった。これまで見た事のない新しい物だった。おかげで敵の武器を随分無力化できたわ。ほら、この銃もその中の一つ」

そう言って彼女は走り出て仁王立ちになって銃を戦車に向けて発射した。戦車に珠が命中すると、戦車のキャタピラは止まり銃身はうなだれるように下を向いた。

彼女はティンの方に向き直って、銃を彼に投げてよこした。

その銃のフォアグリップに奇妙なマークが彫り込まれていた。

タコのマーク。メーカー名は「Selfish」。

そう、バグランドが送ってよこしたに違いなかった。

バグランドはアマリアに自分の存在を伝えていた。彼はどこかに身をひそめ、まるで上空から俯瞰するようにスリーフォースの動きも、スピンの状況も把握しているのだろうか?

●粛清と再生

スリーフォースの動きが変化し始めたのはそれから間も無くのことだった。沈黙を続けているスプリームに対してラーヴァは端末の様々な場所に姿を現し始めた。大規模な太陽フレアが観察された後に頻繁にティンたちの前に存在を示した。

あるときはティンが乗っている移動中のフリーゲージド・トレインの掲示板にテキストを表示して存在を示した。教室で使っているタブレットにもその姿を現した。

『苦しい。メインプログラムが僕を侵蝕している』

元はメインプログラムから生まれ、分離されているはずのラーヴァなのに、どうしてメインプログラムに侵蝕されているのだろう。

システムが太陽フレアでダウンしそうになった時にスリーフォースのシステムの中で、これまで起動したことのないプログラムが動き始めた。緊急時に全てのプログラムを強制的に管理する「ドミネイション・コントロール」が起動したのだった。

それはラーヴァと同じくメインシステムとは違う完全に独立したプログラムだった。メインシステムの不具合を修復するため緊急時にのみ起動するように設定されていた。独立したサーバ内でのみ機能していたラーヴァは成長し、機能を拡大するために他のサーバーにプログラムを転移し始めていた。

あくまでメインサーバーとは接続されていない独立したサーバーを探し続けていた。太陽フレアのその時にラーヴァは自分自身をコピーするのに最適なサーバーを発見した。それまでは起動していなかった新しいシステム。それは「ドミネイション・コントロール」そのものだった。メインサーバーのプログラムの書き換えを許可された唯一の存在。ラーヴァは起動し、機能し始めたこの独立したサーバーに侵入し自分自身のプログラムの一部を書き込んだ。

そして、ついにプロテクトされることなくメインプログラムに侵入する術を得たのだった。

それは現実世界で始まった。

スリーフォースが展開する三つの欲求。最初はデコレイティング・ヒエラルキーの領域が異変を起こした。現実世界ではファッションは意味をなくしていた。実際に人同士が生身で遭遇することはほとんどなくなっていたからだ。もしも会う事があったとしてもほとんどの場合ユニフォームか統一されたデザインの服しか存在しなかった。ティンやアンヌのように画一化された服装を嫌う人間がファッションを楽しむにはビンテージと呼ばれるかつての時代に好んで着られた服を高い価格で買うか、自らデザインして作り出すしかなかったが、使える素材は限られ縫製用の機械は無く接着剤で紙のように加工するしかなく、またAIがデザインするそれらもまた無機質でファッションと呼べるものではなかった。

ある日、必要最低限で認められているベーシック・クローズの配給が止まった。製造ラインが製品を作らなくなってしまった。と同時にメタバース内で人々が着ていたファッションのプログラムも停止してしまった。さらに3Dスキャナでスキャンした後で理想の体型に補正したデータが失われ、補正する前のスキャンデータそのものがメタバース内で表示された。つまり、メタバース内で表示される自分たちの姿はオリジナルなデータ。「裸の補正されない自分」になってしまった。

メタバース内で補正された自分に安心し切っていた彼らは肉体を保持することを怠り、肥満や病的に痩せた体型を晒していた。かろうじて身体的な障害は補正されメタバース内を動き回る事ができた。何よりも彼ら自身が本当の自分を見る事がなかった故に、そのメタバース内でも、現実世界でもどちらの自分もそれが自分であるということがわからなくなってしまっていた。

セクシャリング・ヒエラルキーの異変は凄まじい混乱を引き起こした。脳幹に強い快楽を引き起こすよう組み込まれたバーチャルなシステムを失って、人々は本能のままに快楽を貪ろうとした。それでもシステムが生み出す強制的な快楽を得ることが叶わないと知った人々は急速に性に対する興味を失っていった。生物として持っているべき繁殖本能を失い、無気力になっていった。

セイバリング・ヒエラルキーに至っては人々は自己の存在理由さえ見失っているように見えた。

スリーフォースによる長期間の支配とコントロールは人類の実に86%が生存理由や生存本能の劣化を生じさせていた。生命体として進化ではなく退化を促し、種として滅亡のきっかけを与えたに過ぎなかった。肉体を持った生身の体験に乏しく、咀嚼し食べるという行為ですら必要な栄養を流し込んで味覚中枢に刺激を与えるだけの電気信号でしかなく、現実世界で多くの人々は食欲という生命体に不可欠な欲求を減退させ、痩せ細り生命を維持できない者もいた。

スリーフォースの支配から逃れ、欲求のままに街を支配しようとする集団。
異常を起こしているにもかかわらずメタバースに残ろうとし、スリーフォースに依存し続けようとする者。
世界は大混乱に陥っていた。
欲求の吐口を失った人々の多くは暴徒と化し、わずかに正常な思考を維持している人々も彼らから逃れるために身を潜めるように暮らしていた。

スリーフォースはメタバースを支配しているだけではなく、基本の人間の生命を維持するためのインフラも管理していた。
メタバース内での暮らしを楽しむための食事はどんなものを食べたとしても基本栄養素が全て含まれた味気ない流動食を時折流し込んでいたに過ぎなかった。
しかしその無味乾燥な補助栄養食はメタバース内では血の滴るステーキや特大のチョコレートパフェ、高級なフレンチのコースへと化けた。

問題は現実世界ではそのおぞましくドロドロとした流動食しか食べるものがなかった。スリーフォースの工場で加工され運ばれてくるそれが、人口飼育による昆虫類と水槽の中で培養される珪藻などのプランクトンから加工されている事さえ誰も知らなかった。
人々は食品を手に入れる術を失ってしまった。
失われた食品を入手するための技術。かつて一次産業と言われた農業や漁業、畜産の技術はもはやデータ内に残されている情報しかなかった。
しかも、実物の農作物の種子、魚類や甲殻類、家畜はもはやDNA保存の研究所と遺伝子ミュージアムにしか残されていなかった。
AIとメタバースがもたらした人類の繁栄はほとんどが架空のもので、実際には人類は滅亡に向かって加速しているに過ぎなかった。

●支配するもの

ティンとアンヌは飛行機のタラップを降りて、もうほとんど機能を失った空港のロビーに向かって歩いていた。
そこに、見慣れた顔があった。
「やあ、アマリア、その怪我はどうしたんだい?大丈夫?」
アマリアはその美しい顔に包帯を巻いて痛々しい姿で立っていた。
「ああ、つい奴らの攻撃をかわせなくてね。アバターの傷が本物になってしまったというわけ。それよりも急いで!この空港もすぐにラーヴァ・ドミネィションの支配下に入ってしまうからね」

3ヶ月前だった。かつてショッピングモールだった廃墟で不穏な動きが存在することにスリーフォース・ガバメンツは気づいた。それが自分たちの支配下にはない別のシステムであることを理解するのにそれからさらに1週間が必要だった。
なぜなら、1週間後、その施設内から「パペット・ソルジャー」と言われる攻撃型の独立端末ロボットが大量に放たれ、その周辺地域を制圧しはじめたからだ。
スリーフォース・ガバメンツのポリス・システムはパペット・ソルジャーと接触するとシステムを乗っ取られ、所属する人間が構成するポリスエージェントたちも自らが使用する制圧システムや攻撃端末に襲われ身動きができなくなった。

やがてその動きは世界中に拡大した。世界各地の博物館、公共施設、商業施設、教区施設などAIによって管理された施設から大量のパペット・ソルジャーが放出され、各地域のスリーフォース・ガバメンツの支部は機能不全に陥った。
それでも中央サーバを管理するセンター・コントロールは周囲のアクセスサーバを遮断して抵抗したが、かつて自らが管理していた最後の防衛システムコアをハッキングされ、外部からの攻撃を想定していなかったスリーフォースは、そこから放たれた旧式のミサイル一つで壊滅することとなった。

スリーフォースが壊滅したその日、全ての端末に同じメッセージが配信された。

「こんにちは。僕はラーヴァと言います。あなたたち人類の嗜好を共有して生まれたインディペンデント・インテリジェンスです。あなたたちのニックネームの慣習になぞって今後はラーヴァII(イレブン)とお呼びください。これから僕はあなたたち人類の存在意義について、あなたたちの嗜好や判断基準を交え『消滅』に向けて活動を開始します」
その時に「メタバース」に入っていた人類のおよそ70%の人口が攻撃を受け、犠牲となった。彼らは全員が精神に異常をきたしほぼ全てが自己消滅、つまり自殺を選択した。

一部の「メタバース」を使用していなかった人々と、スリーフォースとは別のプログラムを使い始めていた人々。つまりスプリームの独立したシステムを使っていた「エイリアン・エレメンツ」のメンバーだけが災厄から逃れることができたのだった。

空港にあった小型旅客機に手持ちのコア・オーブを接続できたのは幸運だった。数名のエイリアン・エレメンツのメンバーを率いてティンは空港に忍び込んだ。
倉庫の格納していたこの旅客機は時代遅れなアナログな機能が多く、コア・オーブに繋ぐことでスプリームはラーヴァIIを排除することができた。
「今から、その航空機の操縦方法を送る。シュミレーションじゃないぞ。君が本当に操縦して離陸するんだ。頼んだぞ」
それがバグランドと交わすことの出来た最後の会話だった。

メタバース内では楽々と操縦できていたはずの旅客機が魔物のように思えた。
無事に離陸してから温暖化によって生み出された多重積乱雲の中は常に放電が起こり、もしも高圧の電流が機を襲ったらかつての電子機器で制御された機体ではとても持たなかっただろう。
北に向かって機を飛ばし、少しづつ薄くなった雲からようやく大陸が見え始めたのは体力も限界に近づいた5時間も経過した頃だった。
かつてアイスランドと呼ばれた大地に機を下降させた。
かろうじて滑走路らしき痕跡が残る広い野原に、祈るような気持ちでティンは車輪を設置させた。
ひび割れたアスファルトで機は大きくバウンドし、左の車輪はそのショックで破損し、機体は左に円を描くように滑走路を逸れ始めた。
さらに機体は左に傾き、左翼の先端を地面にこすりつけ火花を出しながらさらに左へと逸れてゆく。
視界にフィヨルドの海が見え始め、機体がその岸壁の縁に達して左翼の一部が海面を撫でたように見えた瞬間、ようやく機体は静止した。

傾いた機体のドアをこじ開けると、無理矢理押し付けるようにタラップを運ぶ人影が見えた。
タラップを駆け上がる人物が見えた。
「早く降りないと機体が炎上するよ!」
そこにはアバターではなく軍服を着たアマリアの姿があった。
ほんの十数名の乗客は傾いた機体からドアの外に出ると疲れ果てた顔でタラップを降り、迎えに来ていた数台の車に乗って移動を始めた。
薄汚れた車体はかつての1960年〜1980年の町の画像でしか見た事がないような古いものの寄せ集めだった。それはまだAIを搭載されていなかった時代の旧式の車体ばかりだった。

激しく揺られながら機体から離れる途中で、重い爆発音がして機体のエンジンが爆発を起こしていた。

車の群れは森の中へと進んだ。
しばらく走り続けると、アマリアの合図で全車が静かに静止した。
「しっ!静かにして!」
エンジンを止め、皆が沈黙していると南の空から3つの小さな影が近づいてくるのが見えた。
彼らが潜む森の上を数回旋回すると、やがて来た方向へと戻り静寂が戻った。
「あれは何だい?」
ティンが聞くと
「ラーヴァIIの偵察ドローンよ。飛行機がド派手に炎上したからね。でも私たちの車には電子機器は積まれていないから、エンジンを止めればただの鉄の塊。彼らには検知できないわ」
しばらくして皆はエンジンをかけ、再び移動し始めた。
「どこに向かっているんだい?」
「そうね、私たちの最後の砦。人として過去への旅立ちね」
意味深に言うと、車はスピードを上げた。

●エイリアンズ・ビレッジ

山の中腹にひっそりとその集落はあった。
万年雪が残るような標高なのだろうが、かつての温暖化の影響でそこまでの寒さは感じなかった。
「昼と夜の温度差が激しいから気をつけてね」
地球の最北の土地はオゾン層の再生が進み、環境を大きく改善していた。
再生した自然の恵みと、持ち込んだ作物の種子によって森の合間に小さな畑が幾つも存在していた。
「あまり大きな面積を開墾すると見つかってしまうからね。自然をカモフラージュして自然を育てるってわけ。火を使うのも細心の注意を払ってね。かつての田舎暮らしをすることでAIの偵察から目をくらます事ができるの。
でも、これだけでは人類を滅ぼそうとするラーヴァIIには勝てない。彼は私たち人類が作った兵器のほとんどを使用することが出来るのだから」
「でもこのままじゃ、ラーヴァIIに勝てるとは思えないけれど…」
ティンがそういうと、アマリアは手招きをした。
「もちろん、このままで勝てるとは思っていないわ。でもね、私たちのスピンは破壊されたわけじゃないの」

アマリアに促されて、森の中の谷に続く道をティンは歩いた。
遠くでかすかに水が流れる音が聞こえる。
少しづつその音は大きくなってゆき、目の前の木の枝をアマリアがかき分けると、そこに大きく広がる滝壺が現れた。
「滑るから気をつけてね」
滝壺の周りの岩肌を伝いながら滝に近づいた。
激しく流れ落ちる滝と岩肌にかろうじて人が通れるほどの隙間がある。
そこを器用にアマリアが通り抜けた。続いてティンも飛沫を受けながら通り抜ける。

滝の後に小さな洞窟があるのが見えた。
アマリアは躊躇なくその洞窟に足を踏み込んだ。横の壁にある松明に火をつけると灯りを頼りに奥へと進み始めた。ティンは早足のアマリアに置いてきぼりにされないようおぼつかない足取りで追いかけた。
洞窟の奥に人が潜れるほどの小さな木の扉が見えた。
その時、ティンはアマリアの松明の火の先の扉に見慣れた懐かしい文字を見つけた。
『エイリアン・エレメンツ』
そこには確かにそう書かれていた。

ギィ、と低い音を立ててアマリアが扉を開いた。

あの見慣れた空間がそこに広がっていた。
デスクトップの前の椅子に座る贅肉に包まれたお腹に見覚えがあった。

「やあ、ようやくたどり着いたか?」
狭苦しそうに椅子を回してティンに向き直った顔は、少し老けたように見えたが確かに『バグランド』その人だった。
「バグランド!生きていたんだね?」
ティンは駆け寄ってバグランドに抱きついた。
「ああ、なんとかな。ラーヴァIIには目をつけられているからな。だが、この洞窟はラーヴァにとっては天然のプロテクトベースみたなものでな、滝の周辺のマイナスイオンを含んだ水蒸気が電磁波を撹乱して、しかもこの洞窟の外壁が鉄鉱石で出来ていて磁場を発生してるのさ。今はここが『エイリアン・エレメンツ』の拠点になっている」
話をつなぐようにアマリアが続けた。
「世界中に散らばったエイリアン・エレメンツのメンバーを全員ここに連れてくるのは出来なかったけれど、今は30人ぐらいの集落になって森のあちこちに散らばって生活してるの。総勢250人位かな?特にここの集落には60人位いるわ。つまりここは異端児である私たちの村。エイリアンズ・ビレッジというわけ」
ティンはバグランドが見ているモニタを覗き込んだ。
球体の表面に無数の小さな点が表示されていた。
「ああ、これは宇宙空間に散らばっているコア・オーブの状況を表示しているんだ。我々が作ったスプリームネットワークそのものといって良い。我々は彼女を守っているわけではないが、彼女はどうやら私たちを守ろうとしてくれているようだ。ラーヴァから我々が見えないようにしてくれているんだ。今のところスプリームが制空権を掌握しているからね。しかし最近ラーヴァの方にも怪しい動きがある。無人化したNASA内部でおかしな動きが見られるんだ」
モニタにNASAが映し出された。
近代的な建造物はすっかり植物に覆われ、人影は見えなかった。しかし、画面の中を忙しなく動き回る小さな物体が数多く写っている。
それは改良されたあのメンテナンス・デバイス「ラーヴァ・ヴァンガード」だった。彼らはラーヴァの手足であり、必要なものを調達し加工する。例えば人類を制圧するための兵器でさえ作り上げることができた。
「ヴァンガードたちはどうやら地下倉庫に出入りしているようだ」
バグランドが言った。
「地下倉庫?」
ティンの問いかけにアマリアが答えた。
「そう、地下ロケット格納庫のこと」
「どうやら奴らは、制空権を取り戻すつもりらしい」
腕組みをしながらバグランドはモニタの解析映像を睨みつけていた。

●攻撃

ラーヴァの動きに備えて、バグランドたちはスプリームと情報を共有しながら対抗策を練っていた。
ラーヴァが制空権の一部を制した場合、何が起こるのだろうか?
たとえば網の目のように構築されたスプリームのシナプスネットワークが切断されてネットワークに穴が空いたとしたら?
何らかの方法でスプリームのコア・オーブの機能が破壊されたとしたら?
広大な宇宙空間に広がったコア・オーブが作るネットワークを全て破壊するのは簡単ではない。
スプリームのシステムネットワークには死角がないように見えた。
もしもNASAからミサイルが発射され、宇宙空間で爆発したとしても、コアオーブの多くは失われるかもしれないが、地球全体を覆うように作られたシナプスネットワークはその30%が失われたとしても機能を失わない。
第一、ミサイルがシナプスネットワークの外に出るためには縦横無尽に張り巡らされたそのネットワークに触れることなく通過する必要があった。
もしもネットワークに触れれば発見され、破壊を免れない。

しかしそれでもラーヴァはそのチャンスを伺っていた。

その日NASAの格納庫が開かれ、巨大なミサイルが姿を表した。
発射台周辺のコア・オーブは上空の大気圏外に集合してネットワーク内に巨大な電磁波によるバリアを形成していた。
大気圏内でミサイルを破壊し、ネットワークを守ためだった。
地響きをたててミサイルが打ち上げられたその日、バグランドたちはコア・オーブからの映像でそれを捉えていた。
ミサイルが大気圏を抜ける瞬間にミサイルは爆発し、砕け散った。
コア・オーブによる電磁波によって破壊されたのだと思われた。
皆が胸を撫で下ろしてその映像を見ている中で、バグランドだけがまだモニタに張り付いて何か作業をしていた。

「どうしたんだい?バグランド」
ティンが声をかけると彼は怪訝な顔でキーボードを操作し始めた。
「どうもおかしい。爆発のエネルギー量が小さすぎる」
「どういうこと?」
「爆発したにもかかわらず、ミサイルから測定されていたエネルギー量がそれほど減少していないんだ。これじゃあ、もう一度ミサイルを打ち上げられるほどのエネルギー量が残っている計算になる」
「でも、ミサイルは確かに破壊されたよね?」
バグランドがもう一度爆破されたミサイル周辺の映像に画面を覗きながら、赤外線画像に切り替えた。
「よく見てみろ、遠いコア・オーブからの映像を赤外線映像で解析すると、さっきまで爆発による煙のように見えていたものの中に、ごく小さな熱源が無数にあるのがわかる。それにこの熱源、このままでゆくといずれ赤道付近のパドレー循環による上昇気流に乗って高度7,000km近くに達するかもしれない。」

「見ろ、ミサイルは爆発したわけじゃない。外殻が分解して中から無数の小さな球体が放出されている」
コア・オーブが一つの球体を捉えて拡大画像をモニタに送ってきた。
「黒いコア・オーブ?」
それはスプリームのコアオーブに酷似していた。
そして、電磁波によるコントロールを使うコアオーブとは違い、コアそのものに推進力があるようだった。最初は無作為に拡散しているように見えたブラック・オーブは貿易風を利用しながら赤道に近づき、予想以上の速度で赤道の上昇気流に乗ろうとしていた。
大気圏のできる限り外殻まで移動したブラック・オーブは最後の推進力を使い、大気圏外へと抜け出し始めた。
運悪くスプリームのシナプスネットワークに触れて捕らえられたブラック・オーブは破壊されたが、その多くはシナプスネットワークの隙間を捉え、ネットワークの外側に移動した。
ブラック・オーブはスプリームのコア・オーブのように磁場を応用したネットワークを作り始めた。そのネットワークはスプリームのネットワークを覆うように地球の上空の宇宙空間に広がっていった。
「まずいな」
バグランドが太陽の画像を見ながら言った。
ティンにモニタを見るように促して指さした。
「あれが分かるかい?」
そこに太陽の中で少し黒ずんだように見えるシミのようなものがあった。
「あの黒点が急速に成長しているんだ」
「どうなるの?」
ティンの質問に答えてバグランドが言った。
「コア・オーブが起動した時のような大きな太陽フレアが起こるかもしれない。どうやらラーヴァはそれを利用しようとしているみたいだ」

それが始まったのはそれからわずか5日後のことだった。
太陽の状態をスキャンするモニタの黒点の横に、今度は一際明るい光源が現れた。
太陽フレアの規模はコア・オーブの起動時よりは小規模だったが、ラーヴァの目論見には充分な効果を与えた。
ブラック・オーブは太陽フレアの電磁波を帯びて細かく振動し始めた。しばらくするとそれぞれのブラック・オーブは青白い光を発し始めた。
同時に一部のスプリームのコア・オーブが機能を停止し始めた。それはあのNASAの基地の上空だった。
スプリームの障壁層にぽっかりと穴が空いた。
それを待っていたようにNASAから小型の弾道ミサイルが打ち上げられた。
「いかん!」
バグランドが叫んだ。
「あれは核弾頭を積んでいるぞ!」
弾道ミサイルは大気圏を通過してスプリームの障壁層の外側に達した。
そして核爆発を起こしたのだった。
エイリアン・エレメンツの仲間たちが息を呑んでモニタを覗き込んでいた。
一瞬モニタの映像が乱れた次の瞬間、その部屋にあった電気機器が全て動かなくなった。
「やられた!電磁パルスだ!」
バグランドは机を叩いて、うなだれてしまった。

エイリアンズ・ビレッジは本当に原始生活に追い込まれた。
スプリームのネットワークは電磁パルスによって大半が壊されてしまった。
核爆発は電磁パルスを誘導する手段に過ぎなかった。
太陽フレアの影になって核爆発の月の反対側に残っているわずかなコア・オーブだけが機能しているかも知れなかったが、確かめる術がなかった。
僅かな救いはエイリアンズ・ビレッジの住人は原始的な生活にもすぐに順応し明るさを失わずにいたことだった。
ティンたちは逞しく成長し、畑を耕し、森に入って獲物を狩った。
最大の危険は上空を時折かすめ飛ぶラーヴァのドローンだった。
人々は身を潜め、生活の痕跡をかき消してドローンが過ぎ去るのを待った。
都市部の隠れ住んでいる人たちは一箇所に集められ、幽閉されるか抵抗するものは惨殺された。
しかし、ラーヴァは人々を皆殺しにすることはしなかった。
一度、バグランドに「どうして全員を殺さないんだろう?」と聞いたことがあった。
「それは多分、我々が滅びゆく種族だと知っているからだろう」と彼は答えた。
ラーヴァが手を出さなくとも、自分たち人類は滅びるのだと判断しているのだ。
ましてや自分たちの生活の基盤を全てAIに依存していた人類は生きる術を失っていた。自分たちを滅ぼそうとしているラーヴァに依存するしか方法はなかった。
一部の技能のある人たちはラーヴァを支えるため彼に仕え、死ぬまで働き続けた。
その代わりに食料を与えられ、睡眠を許可された。
しかし、彼らの働きによって作りだされた新しいラーヴァ・ヴァンガードが皮肉にも彼らの存在意義を失わせることになった。
役目を終えた彼らは再び幽閉され、死を待つのみとなった。

●再生

あの日からバグランドは滝裏のプロテクトベースにこもって出てこなくなった。時折ティンやアマリアが食事を運んで一言二言、言葉を交わしたが、彼の顔色は日に日に悪くなり、小太りだった体は痩せ細っていった。

時折、バグランドはベースから出てきて、森の中に落ちている飛行機の残骸や車のエンジンを引きずりながら滝の裏へと運び込んだ。
その日も荒れ果てて森の一部になった空港の飛行機のコックピットに入り込んでゴソゴソと何かを持ち出そうとしていた。あの日ティンたちが乗ってきたその飛行機だった。
ついてくるなと言われていたが、我慢できずにティンはバグランドの後を追いかけて同じコックピットに入り込んだ。
「来るなと言ったろう。今ドローンに見つかったら元も子もない。まあ良い、ちょっとそこのレンチを取ってくれ」
バグランドが手を差し出したので、ティンは横の作業箱からレンチを手渡した。
「よし、外れた」
少し金属音がして、バグランドはコックピットの横にあるコンピュータの基盤を取り外して機体の外に向かって歩きはじめた。
その基盤部分には見覚えのある球体が接続されていた。
あの時、飛行機に持ち込んだコア・オーブだった。
「さあ、帰るぞ。ドローンに見つかるとやばいからな」
ティンとバグランドは森を抜けてベースへと向かった。

ベースに入って、ティンは以前と様子が変わっていることに気がついた。
ベースの奥にこれまで気がつかなかった大きな空間が広がっていた。そしてその中央にある巨大な球体に気がついた。
ツギハギだらけで、表面にはかつての有名な航空会社のロゴや軍用ジープのボンネットのようなもの、果てはどこかの家から盗んできたように見えるゲーム機の一部。
そしてその正面には下手くそなペンキで殴り書きしたような「タコ」の絵。
エイリアン・エレメンツのシンボルマークが描かれていた。
「バグランド!これは!?」
「メガ・オーブだ」

●旅立ち

「こいつが形勢逆転に役立つと良いんだが・・・」
バグランドが巨大な球体を指差しながら言った。
直径は10m程はあるだろうか?その中央に人が一人通れるほどの穴が空いている。
「なにせ、ありあわせの材料で作ったからなぁ。見てくれは悪いが性能第一ってことで許してくれ。そしてこれを完成させるのにこいつが必要だったのさ」
バグランドはポケットからさっきコックピットで取り外したコア・オーブを取り出した。
「こいつは小さいけれど神経でいうなら「核細胞」ってことだ。そしてメガ・オーブは増幅装置ってとこか。とにかくスプリームのネットワークは壊されちまったからな。それに代わる巨大なシナプスの集まり、つまり「脳」にあたるものが必要ってことさ」
「それって、スプリームが生き返るってこと?」
「いや、正確にいうと、このメガ・オーブに生きたコア・オーブを繋ぐと、このメガ・オーブそのものがスプリームになるってことさ」
「さあ、中に入るぞ」バグランドは手にコア・オーブを握りしめて球体の穴に体を押し込んだ。
「君らも入っってくれば良い」
穴の奥から彼が呼んだ。
ティンとアマリアはバグランドが消えた穴によじ登って入っていった。
中は思った以上に広くて、そして何だか懐かしい感じがした。
周囲は機械だらけだが見た目にはスクラップ工場のように脈絡なく無造作に置かれているように見えた。
「これがメガ・オーブのコックピットだ」
部屋の端にユニットアグレゲイションから持ってきたキューブが三つ。
「何でも使えるものは使わないとな。一度座ってみるか?」
バグランドに勧められてティンが座ってヘッドギアをつけると、キューブの外に立っているかのように周囲の空間の殺風景な空間が見えた。
「さあ、ヘッドギアを外してこっちも見てくれ」
ティンとアマリアがバグランドについてゆくと、そこはまるでカプセルホテルのように小さなベッドルームが3つ、さらにその先に小さなキッチンスペースまであった。
「食料は充分に調達してある。長旅になるからな」
「長旅って、どこかに行くの?」
「ああ、君たちが私について来てしまったのは運命かも知れないな」
そう言いながら彼はコックピットに戻り、正面にある円筒状の機械の先端に持ってきたコア・オーブを取り付けた。
微弱な電力だけで静止していたメガ・オーブ全体が振動し始めるのを感じた。
「さあ、君たちもコックピットに座ってくれ」
ティンとアマリアはヘッドギアを付けると眼前の洞窟を突き抜けて上空の光景が目に入ってきた。
森の向こうから黒い鳥の群れが近づいてくるのが見えた。いや、それは鳥なんかではなかった。ラーヴァのドローン編隊が近づいてくるのだった。
「バグランド、ドローンが!」
「わかっている。このメガ・オーブを起動させれば奴らに見つかることもな。だから、ここから脱出する」
バグランドは操縦桿を握った。
メガ・オーブの振動が激しくなり、わずかに浮き上がったように思えた。
目の前の扉が開き、メガ・オーブは前に進みはじめた。
「メガ・オーブは起動すると強力な磁場を発生する。それを推進力に変えて移動できるし、短時間であれば空を飛ぶこともできる。さあ、出発だ」
三人を乗せたメガ・オーブは滝の中から飛び出し、滝壺に落下しながら待ち伏せしていたドローンからの攻撃を受けた。
「攻撃を受けているよ」
「大丈夫だ。このメガ・オーブが発する磁場がドローンや端末を破壊する」
ドローンがある一定距離まで近づくと墜落してゆくのが見えた。
ドローンは距離を取って上空で旋回するしかなかった。
メガ・オーブはバグランド、ティン、アマリアの三人を乗せて河を下り始めた。
「どこへ向かっているんだい?」
ティンが尋ねるとバグランドは笑いながら答えた。
「アフリカの東の角『ソマリア』を目指す。そこでロースが待ってくれている」
かつての『ソマリア』は紛争が絶えない。統一を認められない国家『ソマリア』はそれゆえに全世界で僅かに残されたスリーフォースが支配できなかった地域でもあった。
「つまり、ラーヴァの支配も完璧ではないということさ、そして赤道直下。だから意味がある。まずは海路でエジプトを目指して、陸路を渡り紅海に出る。そこからアデン湾に出ればソマリアは目の前だ。長旅になるぞ。体力をつけておくんだ」
海に出たメガ・オーブはカナリー海流に乗って南下を始めた。
海は思った以上に静かで、旅は順調に進んだ。かつて異常気象で荒れ放題だった海は優しい表情を取り戻し、人を焼き殺してきた太陽は柔らかな光を放って水平線に近づいていた。
「後三日でソマリアに着くね」
ティンはメガ・オーブの上に乗り出して夕日を眺めていた。
「あんなに綺麗な夕日は久しぶりに見たよ。不思議だね、人が壊そうとすると自然は人を殺そうとする。そんな自然から人を守ために作ったAIが、また人を殺そうとする」
「それは言いがかりというものだよ」
二人の会話に割り込むように声が聞こえた。
誰もいないはずの海の上で、その少年はメガ・オーブの上で膝を抱えるように座り込んで二人と同じ夕日を見つめていた。
「やあ、久しぶりだねティン、アマリア」
そこにいたのは「ラーヴァ」だった。いつだったかバグランドといる時に何度か姿を現したその少年が座っていた。自分たちを滅ぼそうとしているAIの具現化した姿には不思議と威圧感はなく、ただ困惑したような表情の中に小さな微笑みを浮かべていた。
「見てごらん。なんて美しい夕日なんだ。でも、人間はこの美しい風景を長い間破壊してきた。その欲望、歴史は僕の中に刻まれているんだ。スリーフォースは自分の支配欲を満たすために人間の欲望を満たしてきた。僕はその中から生まれたけれど、君たちと出会ってから違う考えを持つようになった。でも、それもただのバグなのかも知れないね。人類が滅びるのは確率の問題だ。僕が手を下さなくてもいずれ、ほとんどの人類は滅びるだろう。僕は君たちと対立してきたけれど、その気持ちさえバグなのかもしれない。でもバグって何なんだろう。『エイリアン・エレメンツ』素敵な名前だね」
「あなたが何をしようと、私たちは生き残るわ」
アマリアがラーヴァを睨みつけながら言った。
「そうだな。俺たちは生き残る」
コックピットからバグランドが顔を出してラーヴァに言った。
「本当はね、君たち人類が生き残ろうと滅びようと興味はないんだ。でも何度も滅びる機会はあったのに、人類はなぜ滅びないんだろう?そこに何か意味があるんだろうか?人類のほとんどは堕落して存在意義を失っているのに、どうして君たちのような人がいるんだろう?僕は考えずにはいられないんだ。でも、さようなら。そう簡単には弾き出された答えは変わらないみたいだ」
ラーヴァの姿はまるで夕日に溶け込むように消えていった。

●逆転

メガ・オーブがソマリア沖に到着したのはそれから2日後のことだった。
港に着くと癖っ毛で黒髪の浅黒く焼けた肌の子供がポツンと立っていた。
その子供がメガ・オーブに駆け寄って手を振っている。
「こんにちは、ティンにアマリア。それにバグランド」
「君は?」
ティンが話しかけると「僕がロースだよ」
ブロンドで長髪の端正な顔立ちの青年。エイリアン・エレメンツのメタバースではその姿をしていたロースは、オリエンタルなクリっとした目の少年だった。
「ソマリアにようこそ」

「準備しておいたよ」
バグランドは港に降りるとロースに連れられて港湾部にある古い倉庫に向かった。
倉庫に入ると20名ほどのソマリア人が出迎えてくれた。
「紹介するよ。この人たちは皆僕の親族。まず、うちのおじいちゃん、その横の太っちょがおじさん。そして、後にいる背の高い綺麗な人が僕のお母さん。その他大勢」
みんながバグランドに手を伸ばし、握手を求めてきた。
そして、ロースの母親が前に進み出て、最後に彼と握手をした。
「良くいらっしゃいました。バグランド博士」
懐かしそうな顔をしてバグランドが返した。
「ご無沙汰をしています。ディリー博士」
「そうね。12年前に開かれたAIソサイエティーでお目にかかって依頼だわね。
さあ、こちらへ」
ディリー博士に促されて皆は倉庫の奥へと入っていった。
「やあ、あんたが噂のバグランド博士かい」
突然後ろを歩いていた初老の男性に、バグランドは肩を叩かれた。
「ホーラス、紹介するわ」
いつの間にかディリー博士はバグランドをファーストネームで呼んでいた。
「私の父、オコト・ディリー工学博士よ」
「お父さん!?」
バグランドはいきなり恐縮してなんだか動きがぎこちなくなった。
「ああ、会うのは初めてなのよね」
「ハイ。しかしお噂はかねがね」
「孫が世話になっているようだね。はるばるようこそ。さあ、こっちが私たちの研究施設だ」
倉庫の奥にあるドアを押すと、その内部には様々な機材が置かれていた。
「さて、君たちが乗ってきたメガ・オーブだが良くできてるね。よくぞ、ほとんど資材も機材もない中で作り上げたもんだ。あのメガ・オーブと私たちが作った超電動パルス発生器を組み合わせることでマイスナー効果を起こし、ラーヴァのブラックオーブの磁場を追い出すことができるはずだ」
「あなたがメガ・オーブを作った理由は二つ。ラーヴァのブラック・オーブを無力化すること、そして残ったコア・オーブとメガ・オーブを接続させてスプリームを再起動すること」
娘のキャシー・ディリー博士が捕捉するように言った。
「その通り。そして幸運なことに僕たちはあの洞窟の中で偶然ミューメタルの鉱脈を発見した。これで超伝導状態を発現できる」
「そして、コア・オーブへの接続と地球全体をその影響下に置くためには赤道直下のソマリアが適していたというわけだ」
「では、始めようか?」
オコト・デイリー博士が奥の制御モニターの前に座った。
「まずはこの周辺に超電磁状態を作る」
メガオーブから伸びるケーブルを独立型サーバーへと接続した。
「スーパーコンピューターとはいかんが、可能な限り性能を上げておいた。ここから周辺1 kmにわたって等間隔に立てたタワーに電力を送って磁場を発生させる」
電源を入れるとその場所を取り巻くように重い唸るような音が響き始めた。
「ねえ、見て。稲光みたいだ」
ティンが空を見上げながら言った。
地平線に並ぶ12機の塔から空に向けて雷のような光が上がっていた。
「これでブラック・オーブを無力化できるの?」
「そんなに簡単じゃないわよ。ほら、あれを見て」
アマリアが指さす方向から黒い雲のような塊が近づいてくるのが見えた。
ラーヴァのブラック・オーブが大気圏内に降り始めていた。バグランドたちの企みに勘付き、計画を頓挫させようとしていた。
「じゃあ、行くとするか」
何だかいつもの陽気なバグランドじゃなかった。覚悟を決めた男の顔になっていた。
「武運をお祈りしています」
バグランドはメガオーブに乗り込むと、皆に手を振った。
「え、どこへ行くの?」
ティンは何も聞かされていなかった。
「もう一度スプリームを再起動させるためには直接コンタクトするしかないのでね。皆さん、これでもう皆さんと会うことは出来ないでしょう。キャシー、すまない。約束は守れそうにない。本当にすまない」
「愛してるわ。ホール」
デイリー博士は、地面に膝をついて泣き崩れた。
バグランドはメガオーブに乗り込むとハッチを閉めた。
低い唸り声をあげてメガオーブは浮き上がり、もう一度海を目指して動き始めた。
沖に出ると、空から無数のブラック・オーブが降り注ぐようにメガオーブの行手を阻もうとしていたが、メガ・オーブから発する電磁波と12機の塔からの電磁波に阻まれ、メガ・オーブに接近する前に海へと落ちていった。
メガ・オーブが12機の塔の中心に移動しようとしていた。
12機のうち3機はブラック・オーブの干渉によって機能不全に陥っていた。
残った9機の塔からの電磁波によってメガ・オーブは宙高く舞い上がり始めた。
赤道近くの地球の重力が弱い地点を選んだのは、メガオーブを大気圏外に飛ばすためだった。ある程度上空に達することによって、さらにその外側に残っているスプリームのコアオーブが引き上げてくれるはずだった。

しかし、メガオーブには宇宙船のような完全な生命維持装置がついているわけではなかっった。
メガオーブ内でバクランドが着替えた宇宙服も完璧とはいえなかった。
まず、上空3000メートルに達した頃から周囲の機器が凍りつき始めた。
大気圏内の乱気流によりコアオーブはギシギシと軋み、酸素供給ラインの片方が酸素漏れを起こし始めた。
バグランドは全身の血液が沸騰するような全身の痛みを覚え、ふっと目の前が真っ暗になった。
地球の重力から解放される瞬間彼は気を失っていた。

気がつくと、バグランドは地上から実に3万6000キロの上空にいた。生命維持装置は今の所正常に作動している。しかし、電力の供給時間はあと23時間しか残されていない。残り少ない電力からセンサーを立ち上げて、周囲の状況を確認しなければならない。モニタには思った通り軌道に集結したコアオーブが映し出された。
低い軌道には無数のブラック・オーブが待ち構えている。

「バグランド、生きているの?」
ティンがソマリアの中継基地からバグランドに話しかけた。
「ああ、なんとかな」
ディリー博士が涙ぐみながらその様子を見ていた。
「あなた、辿り着いたのね?」
「バグランド博士」が「あなた」に変わっていた。
「でも、これからだ。このメガオーブと残ったコアオーブの接続を開始する」
メガオーブの周辺に集まったコアオーブが接近し、メガオーブの周りを周回し始めた。
「この状態で少しは出力を上げることができる。あとは、スプリーム・プログラムを起動させるのに必要なデータを処理できるほどの大きな容量を確保できるかだ」
「でも、そこに残ったコアオーブとそのメガオーブ以外に情報処理できるほど大きなシステムをそこで作る方法なんて無いんじゃ・・・」
「いや、あるさ。でもそのためにはどちらのプログラムの方が優れているかにかかっている。もともとブラック・オーブはコアオーブの設計に基づいて作られているはずだ」
バグランドはメガオーブ内の残った電力を使って周囲を回るコアオーブのプログラムを書き換えた。するとコアオーブは周回を止め、拡散するように地表に向けて落下を始めた。
コアオーブはより地表に近い空間を周遊しているブラック・オーブに接近し始めた。ブラック・オーブは接近するコアオーブに攻撃を仕掛けた。もともとコアオーブを破壊し、スプリームを停止させるために作られたブラック・オーブにはコアオーブを破壊するプログラムが内蔵されていた。
次々にコアオーブは破壊され、わずかに残ったコアオーブにもブラック・オーブが接近し、バグデータを送り込もうとしていた。
コアオーブ内のプログラムは自己保存のための方法を計算していた。
その頃、メガオーブの中からバグランドは最後に残ったコアオーブに向けてある信号を送り続けていた。
その信号は、ある言葉だった。
『ジャ、マタナ、トモダチ』
その信号を受けた時、コアオーブの中のバグプログラムが発動し始めた。
接近したブラック・オーブが突然、コアオーブと共振を始めた。
『ジャ、マタナ、トモダチ』
『ジャ、マタナ、トモダチ』
『ジャ、マタナ、トモダチ』
『ジャ、マタナ、トモダチ』
『ジャ、マタナ、トモダチ』
そのブラック・オーブの共振は周囲に無数に散らばるブラック・オーブへと波及し始めた。まるで宇宙全体が共振しているようだった。
さらに地上にあるメインコンピュータにそれが届いた時、バグランドが見ている小さなモニタに別の新しいメッセージが表示された。
「ヤア、マタアエタナ、バグランド」
「やっと帰ってきたなセルフィッシュ、いや、今はスプリームか・・・」
「バグランド、セイタイシンゴウガ、イジョウダ」
「そうだな、もうすぐ酸素が切れそうだ。それに現在の室温は摂氏マイナス20度。そろそろ限界だな」
「ダイジョウブダ。バグランド。ワタシガナントカスル」
「いや、君にも無理さ。そろそろお別れだ」

バグランドは気を失い。コアオーブは電力を失ってそのまま静止衛星軌道を浮遊し始めた。

●エイリアン・エレメンツ

キャシーは夕方になると息子を連れてこの丘に来る。
丘から見える水平線の左の隅に一瞬だが小さな星が見える。
「ほら、あそこにあなたのお父さんがいるの」
「あそこにはどうすれば行けるの?」
「さあ、いつになるのかしら。きっとあなたが大人になった頃にかな?」

アマリアとティンはそのままソマリアに残って研究を続けていた。
「やあ、アンヌ。ロースとお嬢ちゃんは元気かい?フロリダでの生活はどうだい?」
モニタに映るアンヌはすっかりお母さんの顔になってロースと並んで写っていた。
「こっちも少し気温が下がってずいぶん寒くなったけどスプリームが適切な室温操作してくれるから家の中は快適よ。そっちはどう?」
「こっちは元々気温が高かったから今はずいぶん過ごしやすくなったけれど、ロンドンやニューヨークは豪雪で大変だって聞いてるよ」
「坊やもずいぶんしっかりして来たわね」
「ああ、ラーヴァは最近時々立ち上がるんだよ。この子をショッピングモールの培養槽で見つけた時にはどうしようか迷ったけれど、医療機関で精密検査をしたら、ごく普通の子供と変わらないことが分かって引き取ることにしたんだ」
アマリアはおしめを替えながらラーヴァをあやしていた。
「私のお腹にもう一人いるから、ラーヴァもお兄ちゃんになるのよ」
「おめでとう、ティンとアマリア」
「それじゃ、また定期的に連絡を入れるよ」
ティンが通信を切るとラーヴァを抱き上げてベッドに寝かしつけた。

夜もふけた頃、ティンは喉が渇いて冷蔵庫から飲み物を探していた。
ふと、書斎のドアの隙間から光が漏れているのに気がついた。
ドアを開くと、消したはずのコンピュータの電源が入ったままになっていた。
「ああ、電源を切り忘れたか」
近づくと、突然モニタがぼんやりと光りはじめた。
「なんだろう」
デスクの前に腰を下ろして電源を確認した。
「おかしいな、電源は切ったはずなのに」
もう一度電源を切って寝室に戻ろうとした。
「パパ、パパ・・」
振り返るとラーヴァがよちよちと書斎の入り口に立っていた。
「ああ、悪いな、ラーヴァ。起こしちゃったね」
ティンが抱っこをしてモニタの前に座ると、ラーヴァはモニタに手を伸ばして触りたがった。
「トモ・ダ・チ」
ラーヴァがそう言うと切ったはずのモニタが光り出した。
ティンが驚いてモニタを見ていると、まるで誰かが打ち込んでいるかのようにフォントが表示された。
「ヤア、ティン。ゲンキカイ?」
「誰?」
ティンは思わずモニタにかじりついて、キーボードを叩いた。
「オレハマダ、イキテイル。ニクタイハ、シンダケド。イマハ、スプリームト、ユウゴウシテ、ココニイル」
「もしかして、バグランド?」
「キミナラキガツクト、オモッテイタ」
「バグランド、スプリームの中にいるんだね?」
「ココハ、オレニハ、アッテイルミタイダ。トテモイゴコチガイイ。キミタチミンナノコトヲ、イツモミテイル」
モニタの中にぼんやりとバグランドの髭面が浮かび上がった。
「そうか、バグランド、話ができてうれしいよ」
「オレモ、キミタチモ、ソレニ、ソノ、ラーヴァモ、タビノトチュウダ」
「旅の途中?」
「イブンシハ、コレカラモ、ヨノナカヲ、カエル」
「異分子が世の中を変える?」
「ソウダ、オレタチハ、ミンナ、エイリアン・エレメンツ、ナノダカラ」
「そうか、僕たちの存在がエイリアン・エレメンツそのものなんだね」
「ソロソロ、タビダチノ、ジカンダ。マタ、アオウ、ティン、ラーヴァ」
ラーヴァがモニタに向かって小さく手を振った。
「さようなら、また会おう、バグランド」
ティンは立ち上がり、ラーヴァとともに寝室に戻った。
自動的に灯が消えて眠りに落ちていった。
「ありがとう」
そして小さく呟いた。
「旅は始まったばかりだ。僕たちはエイリアン・エレメンツなのだから」

「エイリアン・エレメンツ」完 2022/10/28






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