ブラックソード・ストーリー

第三之章 港町エルバニア

朝霧に濡れて石畳は湿った光を放っていた。

海沿いの街エルバニアには大小の帆船が地方で採れた珍しい果物や海産物をぎっしりと積んで停泊していた。

大勢の人夫がそれを台車に積み替え町中の市場へと運んでいる。

市場の中は生臭い海の匂いと香豊かな野菜や果物の香りに溢れかえっていた。

ゲルモは小さな身体で台車を押して市場の中を走り回っていた。

「ほら、どいた退いた!ぼうっとしてんじゃねえよ、ここは戦場なんだ。稼ぎたくないヤツは帰えんな!」

叫びながらゲルモは台車からしたたる水で濡れた床の上を滑るように台車を歩走らせていた。

見ればまだ12~3歳の子供に見える。長く伸びた髪を丸めてその上に麻のターバンを巻き付けていた。台車を市場の東側にある海鮮問屋の前に止めると荷下ろしを始めた。

「ゲルモ、おめえはよう本当に良く働くなぁ。いつも見ていて感心するぜ」

海鮮問屋の小太りの亭主が届いた荷を整理しながら言った。ほら、これはご褒美だ、取っときな。下ろした荷の中からアルググの干物を投げてよこした。

「ありがとよ」

その干物を咥えながら、ゲルモは荷下ろしの終わった台車を押しながら走り去った。

朝の荷捌きが終わって、ゲルモはアルム河のほとりに生えているヤスゴンの木の下に横たわって休んでいた。

「もう仕事は終わったのかい?」

アビラは綿のスラージャを体に巻いて上質のエグラを羽織り、いかにも中年の女の貫禄でゲルモに声をかけた。旦那の死後、その聡明さと男に負けない気骨でこの辺りの問屋組合の総代として市を取り仕切ってきた。

「お前もちょっと見ないうちにすっかり一人前のアーグになったねぇ。この河の岸辺の小舟で見つけた時には死にかけたボロ雑巾のような赤ん坊だったのに」

「アビラが俺を育ててくれなかったらきっと死んでいたんだろうな。感謝してるよ」

「私らには子供がいなかったからね。お前は私たちの子供みたいなもんさ。お前を包んでいた布の中にあったあの宝石みたいな石ころはきっとお前の出生の手がかりに違いない。絶対手放すんじゃないよ」

「わかってるよ」

ゲルモは胸元に手を入れると首から下げられた不思議な青い光を放つその石を取り出した。石の表面には美しい幾重もの円が描かれていた。

「さあ、もうすぐ夕方の便が届くよ。働いて来な。ああ、それと最近物騒な連中がこの辺りをうろついているらしいから気をつけな。じゃあ、行っといで」

ゲルモは石を胸元に戻すとアビラに小さく会釈をして市場に向かって駆け出していた。

またあの夢だった。

明け方、毛布にくるまって寝ていると耳元で微かな音が聞こえた。

耳を澄ますとその音に混じって囁くような声が混じっていることに気がついた。

宙に巨大な塊が二つ浮いている。一つは真っ黒でその奥から小さな黄色い光が生まれ、やがて塊を覆い尽くした。

もう一つの塊は赤く輝いて表面から炎を吹き出していた。

やがて二つの塊は近づいてぶつかり合った。赤い塊が黄色い塊を飲み込んで膨張すると破裂し粉々に砕け散ってしまった。

その破片が輪を作って回転をはじめる。その中心から今度は青い光が生まれ、空は青い光で満たされた。

その様子を地上から無数の人々が見上げている。

その人の中に見覚えのある顔があった。

記憶に無いはずの母の顔。

見たことがないその人が母であるとわかっていた。

「母さん!」人混みをかき分けて母の元に駆け寄る。そして母の手を掴もうとした刹那、目の前から母も全ての人々が消え、暗黒だけが残っていた。

「サラム。サラムや。私はここよ…」

あの囁きは母の声だったのか?

「サラム、サラム……ゲルモ、ゲルモ、ゲルモ!」

揺り起こされて目を開けるとアビラの顔があった。

「また悪夢を見たのかい?」

アビラが優しく抱き起してくれた。

「あ、ああ、アビラ。なんだ、今日は市場は遅番のはずだよな?どうしたい?こんなに早く」

「それがね、あんたにお客さんだよ」

ぐずっているゲルモを急かすようにベッドから引き起こすと、ドアを開いて居間の方へと背中を押した。

白い装束を着た美しい女性がゲルモを立って出迎えた。

「あなたがゲルモ様でございますか?」

女はうやうやしくこうべを垂れた。

「私はエギロンドのザリアと申します。国王の命によりあなた様をお迎えに上がりました」

「あんた誰だい?訳のわからないこと言ってるんだ。俺はエギロンドなんて国は知らないよ。俺の母ちゃんはこのアビラだ!帰ってくれ!」

「いいえ、あなたはエギロンドのサラム・ガイナス王子。その証拠にあなたはカルファの円珠をお持ちのはず。それは王家の血筋のものしか持つことのできぬもの」

ザリアが右手の指先をゲルモの胸元を指差すように示すと静かな声で言った。

「天地宙を統べるメーヤにて調和をもたらすものよ。その存在を知らしめよ」

するとゲルモの胸元の青い石が光を放ち始めた。中心から外に向かって光の輪が出現すると石の周りを回転し始めた。

「な、なんだこりゃ?」

慌ててゲルモが胸元の石を掴むと恒星が爆発するように石は眩い光を発して部屋中を明るい光で満たした。

「きゃあ!」

アビラが叫び声を上げてまるで光に吹き飛ばされるように部屋の壁に身体をぶつけた。ゲルモが駆け寄ってアビラを抱き上げた。

「大丈夫か!?アビラ!」

アビラは腕の中で苦しそうに彼に話しかけた。

「いつかこんな日が来るんじゃないかと思っていたんだよ…。ゲルモや、あの人の大切にしていた魚刀を取っておくれ」

アビラは壁に掛けた子供の背丈ほどもある長尺の包丁を指さした。彼女の亡き旦那が愛用していた巨魚を捌くための包丁だと聞いている。アビラがその包丁を壁から降ろすと、その鞘から包丁を抜くように言った。

アビラがよろめきながら立ち上がってその包丁を受け取ると、ゲルモに向かって包丁を大きく振り下ろした。

「うわっ!何すんだよう!」

包丁はゲルモではなく彼が手に持った鞘を斜めにかすめた。鞘は根本から中央を割くようにパックリと割れ落ちた。

その鞘を拾い上げたゲルモはその内側に文字が書かれているのを見つけた。

「それが、あんたがエギロンドのサラム王子である証拠だよ」

横で見ていたアビラがゲルモに語りかけた。

「そこに書かれているのは王家の紋章と父王からのお言葉。『我が息子サラムよ、我が王家の血縁たるものよ。もしもそのカルファの碧石が輝くなら、其方がメーヤの力を秘めたる証拠。其方はこれから多くの苦難を乗り越え世界に調和をもたらさねばならない。もはや我にできる事はないがお前に守護者と戦士を遣わそう。その二人が其方を導き、アーグとゲルスの元に導くだろう』」

「アビラ、あんた…」

アビラがゲルモの前にひざまずき、うやうやしく頭を下げながら言った。

「私はアビラ・ケイヌス。ガイナス王の命を受けあなた様をお守りしてまいりました。王子よ、まずはこの港を離れなくてはなりません。あなたの命を狙うゲーラグの刺客がこの街に潜んでおりますゆえ。港に船を用意しております。今夜中に港を出るのです」

その時、窓ガラスが割れる音とともに矢がゲルモ目掛けて飛んできた。アビラはその矢を剣ではらうと窓を蹴破って外に飛び出した。目の前に黒い装束を身につけた怪しい人影が五つ。その一人が弓矢をアビラにむけて放った。

アビラは飛んで来る矢を瞬時に左手で掴むと、右手を太腿に伸ばし隠していたナイフを射手目掛けて投げた。その男がうめき声を上げて倒れるのが合図となった。3人の刺客がアビラに向かって剣を振りかざしてきた。剣が交差するたびに鈍い金属音が響く。

刺客の一人がゲルモに向かってにじり寄ってきた。

「うわっ!何だよ、来るな!」

するとザリアがゲルモの前に進み出た。

「サラム様、私の後に」

ザリアは右手で宙に星を描くようにすると、その周囲に円を描くような動きをした。

円の中心に光が生まれると、そこから巨大な炎が吹き出して刺客に襲いかかった。

刺客は炎に包まれ床の上を転げ回っている。

「ここは私に任せて港に急ぎな!」

アビラは二人目の刺客を切り倒し、残りの二人を相手しながら言った。

「サラム王子。後で港裏の磯場にてお会いしましょう」

にっこりと笑うとアビラは刺客たちを剣で推すようにして裏路地へと飛び出していった。

ザリアとサラムは猟師の船着場に泊めてある小舟のロープをかしから外し飛び乗った。

「アビラは!?」

サラムは心配そうにザリアに言った。

「姉は大丈夫です」

「姉?」

「アビラは私の姉。エギロンド一の女剣士、滅多なことではやられはしませぬ」

ザリアは櫓を漕ぎながら言った。

小舟は岬の裏側の岩場に着いた。そこには中型の帆船が停泊していた。

二人は桟橋を渡り、帆船が横付けされた岩陰へと向かった。その岩陰に数名の人影が見えた。

「よくぞ、ご無事でサラム王子」

聴き慣れた声だった。そこには兵士の装束に着替えたアビラの姿があった。

白髪に顎髭を蓄えた初老の男性がゲルモの前にひざまづき、挨拶をした。

「船長のバルゲンにございます。なにせこのようなボロ船しかご用意できす申し訳ありませぬ。ささ、どうぞご乗船くだされ」

一行が船に乗り込むと、船はゆっくりと岸を離れ始めた。

サラムにはまだ何が起こっているのかわかっていない。

船が外海に出る頃、黒雲の隙間から大きな月がふたつ、光を放ち始めていた。

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