De-sign語り-5
高度経済成長期って呼ばれてた時代の日本のデザインとちょっと前の中国のデザインって似てるな、って思う。
とにかく他よりも「目立たせよう」ってデザイン。
そういえばちょっと前の「格安旅行」が目白押しの旅行パンフレットやチラシもそんな感じやったな。とにかく大きな文字で派手な色で目立てば良い、って感じだった。一体何が言いたいのかわからないよね。
どこの旅行代理店も同じようなチラシ作ってたから、どこの会社かわからなかったなぁ。
会社同士の競争が激しくなると、デザインのクオリティって下がる気がする。
本質より上っ面を派手にして、お客さんに刷り込みをしようとする。
でもお客さんたちも成長するってことをあまり分かってなかったよな。
一部の志の高いデザイナーはそういう世の中の流れに流されずに、自分たちが信じていることを貫いていた気がする。場合によっては広告なのに商品が出てこないこともあったなぁ。
「商品を売りつける」広告ではなくて「それを必要とする人を思いやる」広告。
その人たちのことを考えれば「商品」そのものはなくても「思いやる気持ち」は伝わるし、その後ろに商品を作っている人たちがいて、その作る側の人の思いも伝わるよなぁ。
あの頃の広告にはそういう力が確かにあったなぁ、と思う。
今の広告はどうなんだろう?
でも、小さな力しか持っていない零細企業も、大きなクライアントとの結びつきのないクリエイターも等しくチャンスがある時代になってきている気がする。
これってデジタルのおかげだし、それを見ているいろんな人たちの気持ちも少しずつ変わってきている気がする。
表に出てくる刷り込もうとする情報よりも、その後ろに隠れて見えていないけれど、その情報に隠された本当の意味とか、作っている人の思いとかを見つけようとする人たちが増えているんじゃないかな?
だから作る側の僕たちも「本当の中身」をきちんと伝えなきゃならないな、と責任は重い。
「成熟する」ってそういうことだよね。
もっと社会そのものが成熟すると良いな。
また、僕たちが自分たちの持っている良さを表現できる日が来ますように。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?