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27歳大阪住みが九州最南端の鹿児島県へ行ってきた②


27歳になって、修学旅行のような知覧学習

鹿児島に行く最大の目的は
知覧特攻平和会館へ行くことであった

知覧は第二次世界大戦において、
日本が太平洋戦争の激戦を繰り広げていた時
神風特攻隊と言われる人たちの記録が残されている場所だ

片道の燃料を飛行機に注ぎ、
生き残るという道を完全に遮断した人間兵器
それが特攻

当時と今では時代も変わり
生きることについての考え方や経験することも全く違う
多くの10代後半から20代前半の人達は、まだ明るい未来を想像できるだろうに、死ぬことを名誉と思い、表面的には喜んで戦地に飛びだっていった

そんな命と向き合った若き人たちの手紙や遺品などが展示されているのが知覧特攻平和記念館である

正直、行ってみたかったけど誰かと行くことは想像もしてなかった

同世代で高いお金かけてわざわざ歴史博物館に誰が行くんだろうって勝手に思ってたから

でも、歴史を知ること、平和について学ぶことに貪欲な同世代がこんなにもいるんだということもこの旅行を通して感じた


私は知覧へ行き感じたことは3つ

明日自分が死ぬと分かった時に今の人生をまっとうできているのだろうか?ということ

抗えない時代に生きた自分より年下の人たちが何を思い、何をみて生きていたのだろう

日本の飛行機の技術、統制力、人口以上に脅威を感じさせ、大和魂を生み出した日本、狂気の時代にある組織の力とはどんなものなのだろう

上記のようなことを資料を見ながら感じたことである

もっともっとあるが、主に感じたことはこれだ


知覧の資料には、飛びだっていった若き男たちの写真や手紙、遺品が展示されている

写真を見た時は本当に驚いた
写っている人たちはほとんどが20代前半
10代の人も多かった

今だと大学生くらいまでの人たちが国を背負って自爆しに行っていた

特攻隊の年齢は若い

これはもともと知っていたことであるが、写真を実際に見ると知っていること以上に深く刺さるものがあった

私が明日死ぬ

宣告されたらどんな表情をするだろう
どんな気持ちになるだろう
どんなことを考えるだろう

想像もつかない

きっと、涙を流すだろう

なぜか

当たり前に明日生きるということが突然できなくなるショックで正気を保てなくなる

そして過去を悔いるかもしれない
浅はかであるがこれくらいが考えられる限界だと思う


当時の若人たちの手紙は、
検閲などがあり自分の正直な気持ちを書くことはできない

その為、
「国の為に、家族を守る為に突撃します、だから泣かないでください、私は光栄です。今までありがとう。」

そのようなことがたくさん書かれていた

戦争が激化し、沖縄本土上陸などによる日本の劣勢が明らかになる中、1人の命が爆弾と化し突撃していく

そんな中の手紙だ
決して本心だけではないはず

だけど、直筆で力強く記載された一文一文は、
本人の生きた証と何かを訴えているような、そんな力を感じるものであった


知覧に行き、命の価値を考えるきっかけになった
限りある命を最大限に活かせてるのか?

自分自身に問いかける

まだまだ足りないと思う

比較は自分

明日死ぬことになっても
やり切った、悔い無しと言えるような生き方をしたい

特攻で散っていった英雄達
彼らも無念はたくさんあったであろうが、
少なくとも私には限りある命を大切にして、誇りと愛を持っていたように見える

そんな先輩達の残した遺産から学び
毎日の生活を価値ある日々にしていきたい

上記太字の3つ目についてはまた、次回書こうと思う

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