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自然へ畏敬の念を感じることができる環境に、生まれ育ったという視点

「自然への畏敬の念」について、ふと思ったこと。

自然を征服すべき・克服すべき対象とみる(砂漠で生まれた宗教に基づく自然観:短絡的にいえば西洋的)のではなく、畏敬の念を感じる対象であり共存共栄する対象とみる感覚・自然観は、「どんなに厳しくとも食べ物を得ることができた」という日本の環境だったからこそ育まれたものなのかもしれない。

日本以外であっても似た環境の国であれば当てはまります。とはいえ、日本であっても例えば秋田などは友人曰く雪が生死に関わるため、ある種闘う・征服するといった姿勢が必要な地域もあると認識しています。

「自然中心に生きていこう」と語るのはある種、簡単だけれども、いっそのこと征服したいと思わされるほどの自然環境の中で生活した経験を持ちながらも、「脱・人間中心であれるか」というのは大事な視点だと思うのです。

自戒の念をこめて。


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