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「平成たぬき合戦ぽんぽこ」を久しぶりに観て泣きまくった話。

今日はただの自分語りです。
(ネタバレありなのでこれから観る予定の方はご注意ください)

先日、
ジブリ映画である「平成たぬき合戦ぽんぽこ」を
観て泣きまくりました。。。

この映画を観たのはその昔、
小学校3年か4年生だった私が
映画館で観た時以来だと思います。
 
いやー、、、
喜劇の体裁ではありますが
現代に通ずる様々な事象の相似形が浮かび、
胸が締め付けられる思いがしました。
 
私の記憶では
無謀な争いを挑み、たぬきが淘汰されたような
ネガティブなものだけがクローズアップ
されて
残っていました。
 
このような記憶が残っているのはなぜか。
仮説があります。
  
ある方が、この映画は
「マイノリティについて描かれたもの」という
視点を教えてくれたのですが、
 
私自身が当時まさにマイノリティを
体験していたからです。
 
小学校3年生に上がる時に
父の仕事の関係で北海道から長野に転勤しました。
 
そこで私は「ヨソ者」だと痛感する
色んなことを経験しました。
 
最終的には、いじめが原因で
別の県に引っ越しましたが、
そこでもいじめられ、登校拒否も経験しました。
 
実は、小学校の頃の記憶は薄く
断片の断片くらいしか覚えていません。
 
それが辛かったからなのかは
分かりませんが、自分は流れ者・マイノリティという
底にこびりついたような感覚はこの頃に生まれたように思います。
(今の自己認識は違います)
 
まさか、9歳頃の私は
「追いやられていくたぬきたち」に
シンパシーを感じたのでしょうか。
 
私の記憶のたぬきたちは
「追い詰められた受動的な被害者(たぬき)たち」でした。
 
 
でも、
今回でそのイメージは大きく変わりました。
 
確かに多くの悲しみはありましたが、
今回私がもっとも印象に残ったのは
 
ほぼフィナーレ。
 
たぬきたちが最後に人間たちに
一矢報いてやろうと過去の原風景に化けたシーンでした。
 
復讐に燃える眼ではなく、
楽しむことに開き直ったような
清々しいたぬきたちの表情・姿が
 
私にはなぜか漫画「花の慶次」の主人公、
前田慶次の姿に重なり、
(大好きな漫画なのですが、最近読んだばかりだったので
想起されたのだと思います。)
 
たぬきたちの傾奇者っぷりに
これまた涙が出ました。
 
そして、
その後も強く生き抜いていったたぬきたち。
 
 
そこには
「追い詰められた受動的な被害者」
の姿はありませんでした。
 
 
むしろ今は、たぬきたちの姿を通じて 
 
もしもの時には、
「自ずから傾いてみせよう」
  
という一刀を肚に持ち得た気がしています。 
 
内に内に入ってしまっていたあの頃の私に
「傾く」という一刀を授けることができたのでしょうか。
 
精神的な今際の際(いまわのきわ)での
立ち居振る舞いを教えることができたのでしょうか。
 
  
なんだか自分にとって大きな大きなことが
起こったような気がします。
 
いや〜〜、、このタイミングで
この映画を観れてよかった。
 
本当に。
 
感極まったので長々と備忘録を書きました。
  
読んでくださった方
ありがとうございます。

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