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20代前半に体験した都会の中での「ある種の村体験」を思い出しました。

先日、神奈川県の自然溢れるとあるエリアに住む友人の家に遊びにいってきました。

見た景色が美しくて思わずパシャリ。
田舎で中高時代を過ごすとこんな感じなのかな?と勝手な妄想が湧きました

その友人と出会ったのは私が社会人に成り立ての頃。

当時、法人営業として全く売れず、変に生真面目かつ人を頼れなかったこともあり、自分を追い詰めて苦しんでいた中、社外につながりを求めて出会ったとあるコミュニティの、かたい言い方をすればマネジャーのような存在の人でした。

私はそのコミュニティに入り浸るようになったのですが、さまざまな活動に参加していったこともきっかけとなり、彼とはその後、ルームシェアをしたり、一緒に事業をする関係になりました。

その途中、まだまだコミュニケーション・人間関係に未熟だった私に踏み込んでフィードバックをしてくれた恩人のような存在でもあります。

夜に2人でじっくり語り込んだり、銭湯で語ったり、家族みんなでご飯をワイワイ食べたり、ゲームで盛り上がったりと、久しぶりに過ごす中で、当時私が影響を受けたそのコミュニティが持っていた文化の片鱗を何度も感じる機会があり、感じ入るものがありました。

・コーチングをベースにし、お互いに聴き合うのがコミュニケーションの基本
・3ヶ月に1度、季節越しと称して、仲間達で集い、何時間もゆるゆるとご飯を食べたり、近場の銭湯に行って過ごす
・その銭湯に何時間も入っていろいろ語り合う
・ルームシェアをしている仲間達の家を訪ねる
・時には一緒にスポーツをして遊ぶ
・時には遠出をして合宿をする
・一緒に事業を行う
などなど

場所は都内で、畑はやっていませんでしたが、みんながいい意味で想起する際の「村」を彷彿とさせるような文化がそこにあったと私は感じています。

「こんな風な関わりの中にいることができていたなぁ」
「豊かな時間を過ごせていたなぁ」

その時と違うのは、彼にはかわいい子どもが3人いて、その子どもたちと一緒に当時の文化を彷彿とさせるような時間を過ごせたこと。

いや〜、いい時間だったなぁ。
たくさん笑って、おいしいもの食べて。

彼が、当時の文化を子どもたちにも共有していることに凄みを感じました。


最近、20代の頃に体験し、多くのことを受け取った機会・環境のことを思うことがあります。

私を感化・触発し、育ててくれた機会・環境を私は次の人に共有することができているだろうか。

ここ最近、当時の友人と再会する機会が増えてきており、当時を今の私のレンズでもって洞察し、体験を言語化し、共有できるようにしていきたいかもなぁと少しずつ思ってきています。

そう思わせてくれた、今回最高の滞在をプレゼントしてくれた彼に感謝。

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