娘と私の関係(2)
今日は、特に娘の幼児期について書きたいと思います。
【ママから離れない娘に悩んで病院へ】
赤ちゃんの頃は、人見知りもなく、誰にでも抱っこされていた娘でしたが、幼稚園受験のお教室での出来事から、私と離れられなくなり、24時間いつも一緒にいるようになりました。
お受験も控えているのに、親と離れられないだけでなく、パパと二人でお留守番もできない状態でした。正直、悩みました。どこかが悪いわけでもありません。友人が聖路加病院の発達外来の先生を紹介してくださり、相談しました。先生からは「就学前の子どもは育児書通りにはいかないんです。その子その子の成長の時期が違います。お嬢さんは自分でそれを調整しているから、今この状態になっているんですよ。お嬢さんは偉いですね」と言われ、その言葉に救われました。そして、娘と向き合えるのは私しかいないと感じました。その時、女優の秋吉久美子さんが子どもを出産したときに「思い通りにならないものがある!」と言ったことを思い出しました。育児は自分の意思ではどうにもならないことが多いですね。
【幼稚園の園長先生の言葉で変わった私と娘】
幼児教室では、娘の見えるところにいないと泣くので、一緒にクラスに座っていることもしばしばありました。どうにか母子分離ができるようになり、幼稚園からご縁をいただき通園が始まりました。最初の1週間は笑顔でバイバイしてお教室に入っていきました。ホッとしたのも束の間、また幼稚園に着くと泣き始めました。私は周りが気になって仕方なく、どうしたら良いのか分からずにいると、園長先生がいらして、泣いてぐずっている娘を撫でてくれました。園長先生がまず私に言った言葉は「家に帰ってから、絶対に『どうしてお教室に入れないの?お友達は泣いていないのに、あなたは泣いているの?』など、子供を責めることはしないでください。子供にとって、幼稚園は家の次に大好きで安心できる場所でなくてはならないのです。」そして、園長先生は屈んで娘の目線と合わせて、「ママと一緒にいたいなら、ママも一緒にいてもらいましょうね」と娘に伝えていました。
この時の園長先生の言葉が、私の娘の育児の原点になっています。園長先生は、子供の気持ちと目線を大切にする方でした。私たちは大人の視線で物事を判断しがちですが、目線を子供の高さに合わせるだけで見えるものが変わってきますよね。
娘が朝泣いていたおかげで、園長先生と毎日お話しする機会が得られました。園長先生と話すことで、この子の母親は私だから、とことん向き合っていこうと決心がつきました。
結局、娘は1年間朝泣いていたので、私は1年間、幼稚園の受付に座っていました!幼稚園の受付の朝のルーティーンを覚えてしまいました(笑)。
【育児をするママも一人の人間】
娘が小学校高学年になった頃、ママ友が「育児をやり直したいわ」と言った言葉に惹きつけられました。私は一度もそのように思ったことがありませんでした。その時、その時を必死に娘と向き合っていたので、失敗もたくさんあります。娘には「ママも人間だから間違いもするし、大泣きもするんだよ」と伝えていました。ですから、感情的に怒ったときは「ママが悪かった、ごめんなさい」と謝ることもしました。
娘が12歳の時に、娘の教育を考えて家族でシドニーに移住しました。主人の強い意志があり、グローバルな教育を受けさせたいと思ったからです。シドニーで受けた教育は、娘の良さを引き出してくれたと感じています。
【娘に伝えていたこと】
最近は言う機会が少なくなりましたが、娘が生まれてから、毎日寝る前に「愛しているよ。あなたが生まれたことで、たくさんの人が喜び、幸せになっているね」と言っていました。
【私が母にして欲しかったこと】
今、これを書いていて、私自身が母から言って欲しかった言葉だったのかもしれないと感じます。
これをお読みの皆さんもきっと、母親との関係で悩んだことがあったかも知れませんね。
ご自身が思っている以上にちょっとしたことで、そのことから解放されたりします。
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