幸せは市場に任せておけない

ようこそ!

ここは第一章で使うことになる、「幸せ研究所」だよ。

君は、これからの人生で、何度もこの「幸せ研究所」を心の中で訪問することになる。

君の心の中で、この「幸せ研究所」がいつも稼働していて、

  • 幸せって何だろう?

  • 自分は今、幸せだろうか?

と小さな問いを絶やさずに生きていければ、きっとゴールを見失わずに人生というゲームを最後まで楽しめるはずだ。

僕たちは協力プレイに慣れきっている

じゃあ、先に今日の結論から伝えるね。

今日伝えたいことは、

幸せというのは経済成長によって自然に「全体達成」される類のものではないから、他人任せにせずに、自分で学ばないといけないよ

という事。

前に、「人生というゲーム」は根っからの「協力型マルチプレイゲームだ」という話をしたのを覚えてるかい?

詳しくは第五章で話すけど、人類というのは様々な生産(幸福を生み出すための富=資本を増やす)作業を

  • 細かく「分解」し

  • それぞれに担当者を分けて「専業化」することで

  • 1人で全部やるよりも多くのものを生み出す

という「専業化生産方式」によって、ここまで社会を発展させてきた。

君が歩いてスターバックスに行って、美味しいラテを飲むだけで、

  • 歩いている道路を作った人

  • 信号を立てた人

  • 店を工事した人

  • そのお金を出した人

  • ラテを淹れる人

  • カップを作った人

などの、挙げきれないほどの無数の人がそこに協力した結果を、君が受け取っていることになる。

だから、君は上にあげた事を何もできなくても、つまり道路も作れない、信号も立てれない、店の工事もできないしラテも淹れられなくても、

つまり

  • 「個人ではなーーーんにもできない」けど、

  • 人類全体で見れば「いつでも美味しいラテを味わえる」状況になっていて

  • 「ふー・・・。あぁ・・・。ラテ美味しい♡」という幸せを体験できる

という風に言えるわけだね。

これが、さっき言った「経済成長によって全体達成する」という意味だよ。

考えてみたら、すごいことだと思わない?

こんな感じで、

「経済成長」という名の「協力プレイ」によって、世界中のありとあらゆることのほぼすべてを自分ではできないんだけど、でも全体の力で解決して、なんでもできるようにしちゃう

というのが、人類(ホモサピエンス)のパワーなんだ。

マジで、協力が上手すぎるよね!w

僕たちは、無人島に裸で放り出されたら自分で氷も作れないのに、自宅の冷凍庫に美味しいアイスを保存していつだって食べられるなんて!

だから、この力にどっぷり浸かってしまって、何となく無意識に

経済成長という名前の協力プレイで、どんなことでも、自分が頑張らなくても、いつか誰かが何とかしてくれるはずだ

という風に思いがちなんだ。

確かに、

  • 治すのが難しい病気の特効薬も

  • 新幹線よりも速くて便利な乗り物も

  • 新しいクリーンなエネルギーも

君や僕が頑張らなくても、本気で研究している人はいるし、いつか誰かが創り出してくれるだろう。

でも残念。

「君の幸せ」だけはダメなんだ。

幸せは全体解決できない

不思議な話だよね。

経済成長という名の協力プレイは、そもそも「人間が喜ぶもの」を効率よく創り出すことが目的なわけだから、

それがどんどん加速しているなら、それと比例して人類もどんどん幸せになっていないとおかしい。

だって人間が生み出したものは、全て「幸せを生み出すための原資本」なはずだから、例えば

  • 冷凍庫のアイスを取り出して食べたり

  • エスプレッソマシーンで美味しいラテを淹れたり

  • スマホでお気に入りの音楽を聴いたり

している生活は、明らかに「協力プレイで作った資本から幸せを生み出しまくっている」ように感じるよね。

だって、

  • 無人島で何も「幸せの原資本」が無くて、頑張って自分で釣った魚を素焼きで食べている夜よりも、

  • 冷凍庫からアイスを取り出してふかふかソファでプライムビデオを見ながら過ごす夜の方が、

どう考えても幸せそうじゃない?

でも、実際にはそういった「幸せの原資本(人類が生み出した生産物)」の量が増えるほどに、人類が比例して幸せになっていると示せる根拠はほとんど無いんだ。

GDPと幸せ

例えば、分かりやすい事例で言うと、GDPという指標がある。

これは「国内総生産」という経済指標で、その国で生産された富の量を数字にしたものなんだけど、これなんかはまさに

「その国の人たちが、協力プレイでどれくらいの富=幸せの原資を生み出したか」

という指標だから、これが多いほどに国民の幸福度も上がっていくはずだよね。

でも、実際にはこの「GDP」と「国民の幸福度」というのは、

関係性がゼロとは言えないけど、一緒に上がっていくわけじゃない

というのが、色んな研究で分かっているんだ。

もう少し丁寧に言うと、

  • 国が貧乏な状態なら、GDPなどの経済指標が伸びると、国民の幸福度も上がる

  • 国がある程度まで豊かになると、経済指標が伸びても、国民の幸福度が上がらない

という風になっているみたいなんだよね。

で、日本も例えば1980年くらい(僕が生まれたころ)から比べると、国民1人あたりの富の量はずっと増え続けているんだけど、生活満足度はずっと横ばいなんだ。

自分の収入と幸せ

まぁでも、GDPというのは「国全体での協力プレイの結果」だから、ちょっとイメージしづらいところがあるよね。

国が全体として豊かになったように見えて、一部のお金持ちがもーーーっとお金持ちになっただけかもしれないしね!

でもさ、さすがのさすがに、「個人としての収入が多かったら幸せになるでしょ」って思わない?

簡単に言ったらさ、「収入が多いほど幸せになれるのか?」って話だよ。

これで、答えが「NO!!」だったら、もう「経済成長という名の協力プレイで幸せを増やす」という方法の限界を認めるしかないよね。

で、何となく分かると思うけど、これでもやっぱり答えは「NO!!」なんだ。

これもね、不思議なことに

  • お金があんまり無い状態だと、収入が増えるほどに幸福度は上がっていくんだけど

  • ある程度の収入まで行くと、それ以上に収入が増えても幸福度は上がらなくなる

というデータが、色んな研究で分かっているんだよね。

「お金」というのは、どんな富とも交換できる「幸せの原資との引き換えチケット」なわけじゃない?

じゃあそれを多く持っているほど、たくさんの幸せに変換できるから幸福度上がるはずだよね?

でもねー。実際は、そうじゃないんだよねー。

研究によって数字はちょっと違うんだけど、今の感覚だとだいたい

年収1000万円くらい

までは、収入(幸せの原資との引き換え券の量)が増えるほど、個人の幸福度も上がっていくっぽい。

でも、それ以上は収入が増えても幸福度は横ばいなんだって。

不思議だよねぇー・・・。

幸福は他人任せにしちゃダメ

まぁでも、ここで僕が言いたいのは、

  • 幸せを測定する新しい指標を作るべきだーとか

  • そもそも経済成長には限界がーとか

そういう難しい話じゃないんだ。

簡単に言えばね、今の人類社会というのは、

協力プレイが前提で、各自が黙々と目の前のことに取り組むことで、結果として全員が目標を達成していく

というプレイスタイルが普及しているんだよね。

だから、君が例えば「車の整備」を仕事にしているとしたら、君は車の整備について詳しくなっていくだけで、そのほかに別に

  • 「医学」に詳しくならなくてもどんどん良い医療を受けられるようになるし

  • 「建築」に詳しくならなくてもどんどん良い住宅に住めるようになるし

  • 「料理」に詳しくならなくてもどんどん良い食事を食べられるようになる

んだよ。

(実際、そうでしょう?)

でも、このプレイスタイルで同じように

「幸せ」に詳しくならなくても、どんどん幸福になっていけるか

というと、ちょっと・・・というか、かなり怪しいんだ。

幸せは、「分業と交換」による協力プレイでは、手に入らないものかもしれなくて、だから幸せになるためには

【みんなが自分自身で幸せについて詳しくならないといけない】

んじゃないかと僕は思っている。

幸福は、他人任せにしちゃダメなんだよ。

これを常に覚えておいて欲しい。

今の学校教育は、高校くらいから「文系理系」みたいに道を絞って分けていって、大学で「専攻」と言ってさらに専門分野を絞って知識を身につけさせるようにできている。

これはまさに、

「各自が目の前の1つに詳しくなっていった方が、専業化されて生産性が上がるから、難しいことはお互いに任せ合って、お金を使ってあとで富を交換しよう」

という考え方の教育だ。

でも、このやり方で富を増やしていっても、「幸せに人生をまっとうする」というゴールには到達できない可能性がある。

だから本当は、小学校や中学校の「義務教育」の中に、ちゃんと「幸福学」とか「幸せ学」みたいなのを入れて、幸せというものの構造について全員で勉強した方がいいんだ。

もしかしたら100年後くらいには、そうなっているかもしれない。

でも今は、そういう当たり前が存在していないから、この幸せ研究所でもう少し一緒に勉強していこう。


今日はここまでかな。

じゃあ来週までの宿題だ。

なぜ、幸せは「経済成長という名の協力プレイ」で達成しきれないんだろう?」

この問いを考えると、自然と「幸せとは何か」についても、もっと深く分かってくるはずだ。

来週はそんな話をしようかなと思うから、色々と考えてみて欲しい。

またね!


(最後に、今日話した内容などについて研究している人の、研究論文や諸駅などを、リンクを見つけ次第で張っていくね。色んな人が、色んなことを勉強して、この人生というゲームの攻略方法を解き明かそうとしているんだね。興味が湧いたら、見てみると良いよ!)

https://www.jstage.jst.go.jp/article/consumercoopstudies/490/0/490_5/_article/-char/ja/


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