見出し画像

具体的な「ひとり」に向けて書くという経験

こんにちは。物語のアトリエの安藤陽子です。
人生の物語に光をあてる文章制作&ワークショップ企画運営をしています。

ライター生活20年の節目にはじめたnoteでは、私が主宰している物語ワークショップの流れに沿って、幼少期からの人生経験の断片をアウトプットすることに取り組んでいます。

私が【ライター】という職業を選んだ理由を一言で語ることはできませんが、なぜ続けることができたのか?と尋ねられたら【読者数をまったく意識してこなかったから】と答えます。その根底にあるのは【文章を書く=具体的なひとりに向けて素直な気持ちを綴ること】という、幼いころからの感覚です。今回は、その感覚がどのように定着してきたのかを振り返ってみたいと思います。

ライター生活を支えてきた「手紙」の記憶

幼稚園のころ、私はジャムの空き瓶に小さく折りたたんだ手紙を入れて、ベランダの隙間からこっそりと(ここ大事)隣の部屋に住む女の子に渡すのが楽しみでした。

小学校のクラスメイトとは、2人だけの秘密の50音表を作り、他の誰にも読めない手紙を交換していました。

3・4年生になると、担任の先生が勧めてくれた日記(宿題ではなかった)を何ページも書いていました。先生が赤ペンでコメントを書き込んでくれるのが嬉しくて、2年間で5〜6冊は書いたと思います。

その先生の影響でTM NETOWORKの大ファンになり、音楽雑誌で知り合ったTMファンの女子大生さん(大阪在住)と、2年間近く文通をしていたこともあります。いま考えると、よくぞ、小学生相手に丁寧な手紙を書いてくれたものです。

中1のときお世話になった社会の先生とは10年以上も文通を続けました。中2に進学したタイミングで、その先生は定年退職したのですが、学校での出来事、ニュースを見た感想、読んだ本の感想などを、思いのままに手紙に書きました。万年筆でびっしりと書かれたお返事には、「そのことに関心があるなら、こんな本を読んでみたらどうか」と何冊もの本のタイトルが書かれていて、ご自宅にお邪魔するたびに感想を聞かれて冷や汗をかいた記憶があります。(その先生の家は四方の壁がすべて本棚で、床が抜けそうなほどぎっしりと本が並んでいました)

小学校から高校までずっと同じだった友人とも、断続的に10年くらい交換日記を続けていました。

そのような子どもだったので、基本的に「読者=ひとり」という感覚が強いのかもしれません。

いまは、あらゆるメディアやSNSで、アクセス数とか「いいね!」の数とかフォロワー数など、目に見える数値でその人の影響力を測るのが当たり前のようになっていますが(そもそも可視化する必要があるのでしょうか…..)、個人的には「あんまり関係ないんじゃないかな」と思っています。

地域情報紙記者をしていたとき、4万部弱配布して、おハガキを下さる人は平均4、5人でした。1万分の1ですね(笑)。実際そんなもんです。

創刊を担っていた立場としては、その4、5枚が本当に嬉しかったですし、そこに書かれている数行の感想やリクエストには、紙上でしっかりとお応えするようにしていました。

書く媒体が、紙切れであろうと、ノートであろうと、タブロイド紙、雑誌、ウェブに変わろうと、それを読む人と【対話する】という感覚は、何ひとつ変わりません。

これから始める文章制作も、その点だけは忘れずに、大切にしていきたいと思っています。





この記事が参加している募集