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他者による「過剰共有」はセルフケアの大敵である:バウンダリーの視点から

 こんにちは、すぱ郎です。

 今回は『境界線(バウンダリー)』の考え方から、復職してから他者との関わりの中で自分が特に注意している事の一つである「過剰共有」について記事にまとめたいと思います。

 「過剰共有」とは、本来不要な情報まで他者と共有してしまう行為をさします。マイクロアグレッション(小さな侵害)の一種とされていて、一つ一つは比較的小さな出来事ですが、内容によっては自分の信念とでも呼ぶべぉ心の核に侵入し、ダメージを与えうるものとされています。

 ではこの過剰共有の何が問題かというと、「本来自分の内側で処理すべき様な事も共有させようとしてきて、相手に負荷をかける」結果につながる事が大きな問題だと捉えます。

 例えば私は、「会話の端々でこちら側に罪悪感を抱かせる」ような話を織り交ぜてくる人とは基本的に一定の距離を置くか、心を守る事に意識を割くようにしています。

例①:本来お互い様の関係なのに、その人と話していると相手の方が被害者
   でこっちが相手に酷い迷惑をかけているような気持ちにさせられる
例②:自分は全く困っていない事でも、相手が如何に困っているかを力説さ
   れる事で、こっちが本来頑張らなくて良い事まで頑張らないといけな
   いような気にさせられる

 上記はほんの一例ですが、あなたの職場でもこういう人はいませんか?
私は、これがいわゆる「過剰共有」だと考えています。そういうものに巻き込まれないようにしないといけないと考えて、復職してから注意深く職場の人とコミュニケーションを取ると、一部ですが明らかにこの手法を使ってこちらに働きかけてくる人がいる事に気付きました。

 そしてそれに気付いてからは、そのようなかかわり方を手段に持つ人とは極力一線を引いて、相手の話に巻き込まれないスタンスを維持するように努めています。決して無視したり反発したりするわけでは無く、いつも以上に気を付けて「互いの境界線を侵さない」ように守備的に対応するだけです。大したことはしていませんが、変に優しさや気遣いを見せないようにするだけで、今までよりも割と気楽に対応が出来るようになりました。

 断っておくと、私は職場の人間関係で協力し合ったり、余力の範囲で他の職員をサポートする事は全く悪い事だと思いません。むしろ素晴らしい事だと思いますし時には必要な事だと思います。問題なのは、こちらの余力の有無にかかわらず、罪悪感をチラつかせながらこちらの意思決定に侵襲的に干渉して、結果として「こちらに無理をさせてでも相手にとって都合の良い行動を起こしてほしい」意図が見え隠れするような干渉をしてくる事が、非常に悪質だと思っています。

 そういった対応をするには、他者との境界線をしっかり認識して対応する必要があります。もう少し具体的に言うと「自分と相手の問題をきちんと切り分け、相手の問題には深く干渉しないようにする」「自分の感情的、精神的、肉体的な限界を自覚して必要な時に明確に線を引けるようにする」といった事を意識するだけで、ある程度余計なダメージからは身を守る事が出来るかと思います。
 
 もちろん反対に自分自身が相手に「過剰共有」をしていないかを気を付けるようにはしています。が、自分では中々判断が難しいんですよねぇ…。自分で自分の話が相手に過剰共有をしようとしているか否かは中々気付きにくいと感じますし、どこまでが「過剰」なのかというと判断が難しい所だと思います。だって相手の感じ方や受け取り方でいくらでも変わりそうですから。
 そう考えると、「過剰共有」については「受ける側が自分の限界をしっかり認識して、そこを超えそうになったらきちんと反応出来るか」どうかで大いに結果がかわるように思います。現実的には相手の思考や行動パターンをあえて変えるようなことは難しいので、自分と相手の境界線をしっかり引いて、そこを踏み越えられそうなときには身を守る事で、自分のセルフケアとして境界線を適切に保つようにするのが大事かもしれません。

 以上となります。職場などで何か問題が起きた時に自分のせいだと落ち込まずに、それが自分が引き受けるべき問題なのかそうではないのかをきちんと見極めて、心の安定を保てるようにするのが大事ですね。これが出来ると、仕事中に何でも自分事として抱え込んでいっぱいいっぱいになる事を減らせるのかなぁと思います。

以上です。最後まで読んで頂きありがとうございました。


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