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【KX物語 第1話】kさん、「君は世界につながっている」を聞かされ、げんなりする。

 その店は、駅のロータリーから少し歩いたところにありました。いつもは通らない路地にふらっとはいってみると、地下へとつながる気になる階段が目に入ったのです。入り口には、蝶の絵柄の看板が掛かっていました。
「へーーえ」
と呟きながら、kさんは階段を降り、ちょっと重ためな木製の扉を押して、中を覗いてみました。たぶんカフェなのでしょう。こじんまりとしていて、お客さんはひとりだけ。仕事をするにはちょうどいい感じです。
 店に足を踏み入れると、流れている音楽が耳に入ってきました。60年代のJazzでしょうか。小さいけれどもとてもクリアな音色です。
・・・こんな店が、この街にあったんだ。長く住んでいるのに、知らなかったな。
 そんなことを想いながら、どこに座ろうかと佇みます。
 ちょっと大きめのカウンター・・・といっても、10人も座れないぐらいですが・・・と、その横に四人掛けのテーブル席が3つ。その真ん中の席に、先客が背中を向けて座っています。奥の方が落ち着きそうですが、奥に行くほど暗くなっています。10秒ほど考え、手前のテーブル席に座ることにしました。
 カウンターの奥には、男性がひとり。マスターなのでしょう。ジャケットを着込んでソフト帽をかぶっていて、帽子からのぞいている髪には白髪が目立ちます。kさんが店に入ってきた時から、その姿勢は全く変わりません。kさんが入ってきたのに気がついていないのでは、と思いましたが、その距離感に、kさんには心地よさを感じていました。
 バックからノートパソコンを取り出し、立ち上げていると、「いらっしゃいませ」という小さな声とともに、水の入ったグラスと小さなカードがテーブルに置かれます。気配を全く感じなかったので慌てて見上げると、マスターの顔には穏やかな笑みが浮かんでいました。
「メニュはそちらになります」
とマスターが指さしたのは、テーブルの隅にある小さな箱でした。開けてみると、確かにメニュらしきものが入っていますが、それ以外にもいろいろと入っています。とりあえずメニュらしきものを取り出したものの、さして見ることもなく、ホットコーヒーをオーダーして、再びテーブルに目を戻すと、グラスとともに置かれた小さなカードに、WifiのSSIDとパスワードが書かれているのを見つけました。
・・・パソコン取り出したから、わざわざ持ってきてくれたのかな。ネットワークの名前もパスワードもPapillon2025、か。この店の名前はパピヨンなんだろうな。2025は何だろう。まあ何でもいいか。。。
 ネットワークを見つけてパスワードを打ち込み、一時間ほど前に終わった定例ミーティングのファイルを開きます。
・・・さて、さっきのキャンペーン、と、、、あ、ここだな。
 今日は、kさんが所属している部署の定例ミーティングがある日でした。このミーティングはリアルに集まることになっているので、週に一度のお決まりの出社日でした。ですが、それ以外には、会社にいる必要はありません。ミーティングが終わると、その足で会社を後にしました。この後、外で人と会う予定もありません。
 こういう時は、いつもなら、自宅の近くの駅にあるサテライトオフィスに移動するのですが、今日はなんだか気分を変えてみたくなりました。夕方の会議はオンラインで、それも耳だけ参加していればいいもの。ならば、カフェにでも行こう、と思ったのです。
 気分を変えてみたかったのは、さっきのミーティングの後味があまり良くなかったからでした。ミーティングで報告される内容や会話の中身に、なんとなくしっくりこなかったり、引っ掛かりがあったりするのはいつものことなのですが、今日は、いつにも増してもやもやが強く残りました。
・・・ホントに、あれ、やるのかなあ。
 ミーティングは、来月から始めるキャンペーンの内容共有や進め方についてのレクが中心でした。新規顧客の獲得に向けたマーケティングキャンペーンですが、対象となっているサービスが“イマイチ”なので、営業部からは「これじゃ売れないって」というブーイングが聞こえてきていました。販促にお金をかけるより先に、サービスそのものを見直したほうがいいのでは、と、たぶん席にいる誰しもが思っていたはずです。でも、そんな意見は誰からも聞こえてきませんでした。
・・・レクしていた課長だって、うまくいかないってきっと思っているよなあ。でも、まあ仕方ないかあ。会社が決めたことだもんなあ。
 そんなことを思いながら、kさんは、小さくため息をつきます。そして、ミーティングで割り振られた資料作りを始めます。
・・・この資料を見た営業メンバーがどんな顔をするだろう、、、
 一瞬後ろ向きな気分が頭をよぎりましたが、すぐにその気分をふり払います。
・・・そんな意味ないこと考えるのはやめやめ。さ、お仕事お仕事。これでお給料もらってるんだから。えーーと、『今回のキャンペーンの目的 ポテンシャルを持ちながら伸び悩んでいる本サービスを、、、』
 と、集中モードに入ろうとしたとき、流れている音楽の歌詞が耳に入ってきました。いつのまにか、日本の歌モノになっているのに、kさんは気づいていませんでした。

 こんなに明白なことはない。
 君は地球の上に立っている。
 君の立っている場所は、
 世界中とつながっている。
 誰も、特別な場所に立っているわけじゃない。
 君と同じ地面に立っている。
 地球の上に立っている。

・・・クサい歌詞だなあ。昭和のニューミュージック? 音もいいし編曲が今風だから、最近のものなのかなあ。

 行こうと思えば、
 本当にどこへでも行ける。
 そう意識するだけで、
 君は世界につながることができる。
 君は、世界中にひとりしかいない。

・・・“世界にひとつだけの花”系か。いや、何かもっと暑苦しいな。嫌いなんだよなあこの系統。

 君の考えることは
 君にしか考えられない。
 君にしかできないことが、
 きっとある。
 いつか君の考えたことや、
 作ったものが、
 世界中に流れていくかもしれない。
 だから、
 そんなところにいないで。
 だから、
 そんなところにいないで。

・・・そんなところにいないで、、、っていっても、誰もいたくているわけじゃないんだよなあ。会社勤めって、そんなもんでしょう、ねえ。。。。
 と、クサい歌詞にちょっとげんなりしながら、自分を慰めるように独り言をつぶやきながら顔をあげたkさんの視界に、ひとつ前のテーブル席にいる先客の顔が飛び込んできました。その人は、メガネをかけています。なんだかとってもヘンなメガネです。

(つづく)


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