【はじまりの島】上映会&フラ@城願寺
神奈川県湯河原町にある曹洞宗萬年山城願寺にて行われた、ドキュメンタリー映画『はじまりの島』の上映会に参加してきました(2019年3月2日)。
〔ドキュメンタリー映画『はじまりの島』〕
沖縄本島の東南の海上に浮かぶ人口約200人の小さな離島「久高島(くだかじま)」は、創世神「アマミキヨ」が琉球の国づくりを始めるべくニライカナイ(はるか東の果てにあるという理想郷)からやってきて初めて降り立った地とされ、沖縄神話最大の聖地・「神の島」と呼ばれている場所。
そこで600年以上も続いているといわれる12年に一度の秘祭「イザイホー」(※この祭祀自体は後継者不足の問題などから事実上途絶えている)をはじめとする数多くの年間祭祀行事(カミ行事)を大切に継承し、自然を大切にし、神と共に暮らす久高の人々のありのままの普通の暮らしぶりを、一年のカミ行事の内で最も盛り上がって"久高らしさ"が感じられる、旧正月の3日間の祭りの様子を中心に、後藤サヤカ監督が見たまま、感じたままに記録した映画です(2012年制作)。
〔"城願寺のビャクシン"の生命力〕
この催しの会場となった城願寺さんへは初めてのお参りでした。
湯河原駅からしばらく東へ歩き、東海道線のガードをくぐって急な坂道を上ると城願寺の参道。山門を通って目に飛び込んでくるのは、木全体がぐねぐねとねじ曲がりながら伸びている巨木。何ですか、この木はっ?!
このお寺の創建の由来となっている、鎌倉時代のこの地の豪族で源頼朝に仕えた武士、土肥實平(どいさねひら)のお手植えと伝えられる「ビャクシン(柏槙)」の生命力に守られたこの場所も、実に良い気が満ちた力強い土地でした。
〔フラ=神聖舞踏〕
映画上映に先立って、フラ・グループ「nonolikoフラシスターズ(松田依子さん主宰)」によるフラのパフォーマンスがありました。
最大7名による群舞から、依子さんのソロの踊りまで、ハワイのはじまりの神話を物語るチャント(祈りの詠唱)や、生まれたばかりの赤ちゃんを胸の中であやしながら我が子の健やかな成長を願う沖縄歌曲「ワラビガミ(童神)」に合わせてのフラを披露してくださいました。
本格的なフラをこんなに至近距離で生で観るのは初めてでしたが、巫女さんのような純白の装束をまとった皆さんの舞いを見ていると……身体の中の濁ったり凝り固まっているものが、スーッと透明になっていくような感じがしました。
華やかにshow upされたフラもあるのでしょうが、依子さんたちがこの日に見せてくださったフラは、とても厳粛で神聖な祈りが込められていました。
神話のはじまりの地に暮らす人々をとらえた映画の上映会が、伝統的な禅の古刹名刹で行なわれる…という場にふさわしいものとなりました。
〔"関わっていないもの"はいない〕
『はじまりの島』の映画そのものは、私にとっては4回目の鑑賞でした。
特にこの2~3年は、東日本大震災とそれに伴う原発事故が発生した3月に上映会が催されることが多く、私自身の人生があたらしく展開していく"はじまり"の出会いとなったサヤカさんがつくったこの映画をこの時期にあらためて見直すのは、個人的に意義のあることで、遠方でも可能な限り足を運んで観るようにしてきました。
この映画では、島にまつわる様々な人が「久高島の魅力・島のどんなところが好きか」を語ってくれています。
久高と沖縄本島を結ぶ連絡フェリーを長年運営してきた内間新三"おじぃ"が語る「島に生まれ、島と共に生きた人生」、沖縄本島や内地で生まれて久高に移住してきた人たちが語る久高……そのニュアンスの微妙な違いも感じられて興味深いものでした。
中でもこの映画を見る度に注目するのは、「久高島の大ファン」として、「心がバクハツしそうなときはいつも久高に行く」といって少なくとも年に一度は久高に渡っている女性が語る久高の魅力の話。
「こんなに久高島のことが好きな私なのに、いざ"久高にずっと住んでみる?"と言われると、逡巡してしまう自分がいる…」
彼女のこの言葉を、都合4度目に聞いた私は、
「島へのそういう"関わり方"もあっていいんじゃないかな」
と思いました。
私自身は久高島へも沖縄本島へも行ったことがありませんが、モノがなくても、不便でも、目に見えないカミと共に暮らす安心感のもとで暮らす久高の人たちの精神性・宗教性、特別な何かをしたり、特別な何かにならなくても、普段のありのままの生活の中に霊性が宿っている久高の人たちのspiritualityを、サヤカさんがつくってくれたこの映画を観ることで感じることができる、そして、拙い文章でほかの人にもこのことをシェアできる……という関わり方で久高島に関わることができるのです。
〔祈りの力はバカにできない〕
上映の後は、参加者同士で映画を観た感想をシェアする時間も設けられました。久高島に行ったことのある人や、沖縄本島出身の方のお話を聴くことができ、
「久高島に"呼ばれていない人"は、島に渡ろうとすると海が荒れてフェリーが欠航したりとか、内地から本島への航空便が出ないなど不思議なことが起きて、どうしても島に渡れない。それは"島に来るのは今ではない"というメッセージなのです」
とか、
沖縄本島には、久高島の方角を向いて礼拝できる"拝所"がいくつもある
など、沖縄に行ったことのない私にはめずらしいお話から、久高島の霊性・神聖性は思った以上に沖縄の人たちの間に広く深く浸透していることを知ることができました。
今年2019年のお正月を迎えたとき、
「私自身のこれからの探究には、"祈り"が大きなテーマになってくるのではないか?」
という何となくの予感がありました。
「祈りのフラ」と、祈りを真ん中に据えた人たちが暮らす久高島の映画が組み合わされたこの催しに参加できたことは、祈りの重要性をあらためて確認できた良い機会となりました。
最後になりましたが、この催しは、この映画を作った後藤サヤカさんが発起人となってはじまった「仏教で人生を学ぶ場」、藤田一照さんの仏教塾で共に学んだ高田由紀さんが企画・主宰してくださったものです。このご縁の糸を手繰り寄せていったら、城願寺さんという素敵なお寺にもたどり着けました。由紀さん、ありがとうございました!
【No donation requested, no donation refused. 】 もしお気が向きましたら、サポート頂けるとありがたいです。 「財法二施、功徳無量、檀波羅蜜、具足円満、乃至法界平等利益。」 (托鉢僧がお布施を頂いた時にお唱えする「施財の偈」)