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『葬送のフリーレン』とブッダの死生観。「いつか」なんてときは人生には存在しない

『葬送のフリーレン』のアニメ第1シーズンが終わりましたね。

「一級魔法使い編」では多くの魅力的なキャラクターが登場しました。

若いキャラクターが多い中、一回りも二回りも年上のデンケンは老いた身でありながらも、誰よりも試験合格への執念を見せてくれました。

漫画読者の方はご存知だと思いますが、実はこのデンケンは後の「黄金郷編」の主人公となります。

デンケンの親友で一級魔法使いのレルネンは、若い頃デンケンと一緒に宮廷勤めをしていましたが、世渡りが下手で地位を追われることとなりました。

そんな時、最後までかばってくれたのがデンケンでした。

そんなデンケンに深く恩を感じ、「いつか恩を返そう」と心に決めたとレルネンは言います。

一方、デンケンも「いつか故郷に帰るんだ」とよくレルネンに話していました。

しかし、故郷に残した愛する妻を失ってからは、50年以上も故郷に帰ることはありませんでした。

その故郷が黄金郷に飲み込まれてしまったと聞いて、ようやくデンケンは故郷に帰ることを決意しました。

一方のレルネンも、そんなデンケンが故郷を救う手助けをすることで、過去の恩返しをしようとしました。

2人とも「いつか」と思っている間に、50年以上もの歳月が過ぎてしまいました。

レルネンはこのように述懐しています。

“私達は人間だ。生きられる時間は限られている。
「いつか」なんてときは私たちの人生には存在しない。
本当に愚かだ。
私もデンケンもそんな単純なことに、歳を取るまで気がつかなかった。
私もね、デンケンへの恩返しをずっと後回しにしてきた。
いつでもできる。いつか彼が本当に困ったときに手を差し伸べればいいとね。
もう今生の別れなんていつやって来るかもわからないのに。
私達にはもう今しかないんだよ”

漫画『葬送のフリーレン』9巻


誰もが命には終わりがあることを知っていますが、それは遠い先のことだと思っています。

なので、「いつかすればいい」と、すべきことを後回しにしてしまいます。

しかし、私達の命というのは、あっという間で、短くはかないものなんだよ、とブッダは次のようなたとえ話で教えています。

“ここに弓を射る名人が4人いるとする。
1人は東方に向き、1人は南の方に、1人は西方に、もう1人は北方に、それぞれの彼方に的を定めて4人が心を合わせて一度に矢を放つ。
名人の放つ矢は目にも留まらぬ速さで飛ぶ。
そこに足の速い男がいて、サッと走り出したと見る間に、4人の弓師が一度に放った矢を集めてしまったとする。

どうだ、この男の足は速いだろう。
それよりももっともっと速いのが人間の命だ。
命は実に足が速いのだ”


また、ブッダは次のように教えています。

 “出る息は入る息を待たずして命終わる”

吸った息が吐けなくなったら、吐いた息が吸えなくなったら、私たちの命は終わりです。

吸う息吐く息と触れ合っているのが無常(死)です。

吸う息と吐く息の間でしか、私たちは生きられないのです。

この厳粛な事実を知れば、私達の人生は呼吸の間にある「今」にしかない、「いつか」などいう未来には存在しないということが分かります。

 “人生の短さを感ずるほど、人間らしい生き方ができるのだ”

とブッダは教えています。

命の短さが知らされるほど、

「今」本当になすべきことは何なのか。
私が生きている意味は何なのか。

この最も大事なことを真剣に考え、後回しにせずに生きよう、という前向きな生き方ができるようになります。  

デンケンとレルネンはこのことを晩年になって気付きましたが、なすべきことをなせずに後悔で終わる人生にはしたくないものです。



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