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第29話 母として

「俺は惚れきっておるゆえどこにも行かぬ」
まひろの夫の宣孝のセリフですが、これは記憶に残る・・・
素敵な思い出として残るはずが、残酷な思い出になってしまいました
変顔をして賢子を笑わす宣孝でしたが、その変顔に賢子より
喜んだまひろを見て驚いていた宣孝も印象的でした
あとね、いつのまにやらまひろの父為時が帰ってきてたw
お迎えのシーンがなかった
ここでも予想を外してびっくりしてしまいました

さて、びっくりしている間に物語は進みます
女院詮子の四十賀が道長主催で行われました
ドラマの中で、雅楽の舞がありました
田鶴(のち藤原頼通)が陵王(りょうおう)
蘭陵武王・高長恭の武勇を表現した舞です。
巌君(のち藤原頼宗)が納蘇利(なそり)
納蘇利は、二頭の龍が遊び戯れる様子を表した舞と言われ、陵王の対として舞われました。
私は、この辺りのことは全く無知でして詳しくはわからないのですが、
子役のお二人は「ものすごく練習して頑張ったんだろうな。かっこいいな」
ぐらいに思っていたのですが、こんなところでも優劣をつけるもので
結果、2人の子の舞を見た一条天皇は、明子の子・巌君の師匠に従五位の下の位を授けました
負けた田鶴が泣きだしてしまい、道長にめでたい席で
泣いてはいけないとたしなめられてしまいます

道長「女院様のめでたき場であるぞ。泣くのを辞めよ」

田鶴は、本当に悔しくて泣いただけです
悔しい気持ちを声に出して泣くと行動に起こしただけなのです
田鶴の本当の気持ちはわからないけど、
「頑張ったのにね」「あちらもすごかったけど、あなたも素晴らしかった」
周囲からそのような言葉が欲しかったのではないでしょうか?
しかし、その感情の出し方は父の道長に拒否されてしまいます

幼いながらもそのような時に「今後、拒否されないようにするには?」
と考えます
・お祝いの席では泣くものではない
そのように考えてくれれば1番良いのですが、周囲の大人が発する
言葉の威力は想像以上の影響力を子どもにもたらします
そこで、悔しくて大泣きすると拒否されるから
・笑ってごまかしてみる
・反省したふりをする
・暴れる(八つ当たりをする)
・不機嫌な顔をする
・具合が悪くなる(ふりをする)
私は、これぐらいしか思いつかないのですが、
拒否されないようにするために本当の感情を出さずにニセの感情を
表します
ニセの感情をいくつも何回も試してみて、周囲の大人に受け入れられると
「このやり方なら拒否されない」とニセの感情を身につけます
幼い時の知恵なので、大人になるとおかしなこともありますが、
不思議なことに長年、当たり前にやっていたことなので
気がつかないことがあります
それが、悪いこととは言いませんが、繰り返し行うことで
自分の感情と向き合うことも忘れて、自分を偽ってしまうこともあります

いつも、いつも自分の感情に向き合うと疲れることもあると思うのですが、
どちらが良いか迷った時など、たまにはじっくりと向き合っても
良いかもしれません








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