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星の井と虚空蔵堂

極楽寺の切通しの鎌倉入り口に星の井の井戸があります
1600年(慶長5年)6月、京からの帰りに徳川家康が星月夜ノ井に立ち寄ったという記録が残されている(新編相模国風土記稿)
この辺りは山深く、うっそうと木々が繁り、昼でも暗かったため、井戸を覗くと星が輝いて見えたという伝説からこの名がある

ここは、行基が井戸から出てきた光り輝く石を虚空蔵菩薩の化身と思い、お堂を建て虚空蔵菩薩を祀ったのが現在の虚空蔵堂といわれる
この辺りは山深く、うっそうと木々が繁り、昼でも暗かったため
井戸を覗くと星が輝いて見えたという伝説からこの名がある

しかし、ここで私が注目したいのは行基と言うことです
天智天皇の時代、飛鳥時代から奈良時代にかけて活動した人です
近畿地方に活躍した人ではあるのですが、関東では横浜市にある
弘明寺でしょうか?
また、この辺りは山深くということは切通しも今のような
平坦なものではなく、そこそこ険しいところだったのではないかと
思います。妄想ですけど・・・
そして、ここも極楽寺切通しの元々あった高さとあまり変わらないのでは?
成就院と高さがあまり変わりません

行基が井戸から出てきた光り輝く石を虚空蔵菩薩の化身と思い、お堂を建て虚空蔵菩薩を祀ったのが現在の虚空蔵堂といわます
明治時代の井戸付近は茶店で賑わい、大正時代には茶店はなくなったものの、通行人に水を販売していたという

輝く石を虚空蔵菩薩の化身と思い、虚空蔵菩薩を祀ったのが現在の虚空蔵堂
となるのですが、星の井の上にあります

多分、この高さに極楽寺切通があったのでは?と思います

この辺りは山深く、うっそうと木々が繁り、昼でも暗かったためと考えると
切通しが出来る前に星の井があり、虚空蔵堂の高さは切通しの前から、
この高さだったのかしらね?
行基は、村人の力を借りて、井戸水を汲み出してみると黒く輝く石があった
行基は「虚空蔵菩薩が石になって降りてこられた」と思いつき
都の聖武天皇の耳にも入り、行基に虚空蔵菩薩の像を彫って祀るように
命じたのだという。

本尊虚空蔵菩薩は、鎌倉時代には源頼朝の命により秘仏とされた
本殿横には船地蔵がある
古くより海上安全、大漁満足など、海や水に関係する人々に功徳を
授けてくれる地蔵尊
心清く精進すれば願い事を数日で叶えてくれるという。

しまった・・・お願い事をするのを忘れた・・・

虚空蔵菩薩は丑年と寅年生まれの守り本尊。
13歳になった子が知恵を授かるための「十三まいり」も
盛んに行われていたという
生まれ変わり13才になったら、お参りにきたい・・・知恵が欲しい
何か不思議な雰囲気の場所で少し元気がでました
さて、御霊神社に行ってみようかな?


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