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第40話 天下人家康

「修羅の道をゆくことになろうぞ」
「鎌倉殿の13人」北条義時が似たようなことを、
言っていたような・・・
天下人ってそうゆうものなのだろうなぁ~と思ったりと、
ちょっと、複雑な気持ちにもなりました。

前田利家のうまく例えたなぁ~と思ったのですが、
前田利家「それは、無理な話よ。怖いのよ。
     治部が生まれたのは、桶狭間の年だそうじゃ。
     貴公が兵糧入れを成し遂げたあの戦も
     奴にとっては、壇之浦や承久の戦と同じ古の物語と同じ。
     いや、治部だけではない。多くのものにとって
     今川義元の下で育ち信長、信玄、勝頼、秀吉と渡り
     おうてきた貴公は、神代の昔のオロチに見えておろう。
     みんな、貴公が怖いのよ。」
「白兎」と言われていた家康が「どうしたらええんじゃぁ~」と言いながらも、家臣団と力を合わせ築き上げてきた結果が「オロチ」
大出世ですよね。
家康の回想シーンにも出てきましたが、
今川義元「戦乱の世は、もう終わらせなければならない。」
織田信長「俺は覚悟は出来ている。お前はどうじゃ。」
武田信玄「弱き主君は害悪なり。滅ぶが民のためだ。」
酒井忠次「天下をとりなされ。」
家康が影響を受けてきた言葉の数々を回想しています。

人は人から影響を受け自ら変わっていく数々の決断をし、
今の地位を築き上げたことがわかります。
当然、それを認めない者も出てくるからこそ、
「修羅の道をゆくことになる」となるのでしょうが・・・

家康は、長生きしているうえに家臣団の言い分をしっかりと、
聞く耳を持っていたり、口出しもするけど早々隠居生活に
入っています。
引き際もしっかり?だったかも・・・

現代社会はどうでしょうか?
現役時代の役職を引きずり、しがみついたりしてませんか?
それって、生き延びるために必要な価値だったかもしれませんが、
ある程度の年齢になったらいらないものではないですか?
何かご自分で達成できなかった何かがあり、未解決のままだった
やり残し感が残っているからしがみ付いているのではないでしょうか?
役職や肩書ってそこまで必要なものなのでしょうか?

それよりも、「今、何を楽しんでるの?」みたいなことが、
聞ける関係性がいいですね。



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