見出し画像

第26話 富士遊覧

松本潤の顔つきが変わりましたね。
やっぱり、役者さんってすごいですね。
発する言葉の音も変わったように感じます。
高天神城を包囲し相手が降伏するといっているにもかかわらず、
「降伏は受け入れるなと上様に言われておる」感情を出さず、
冷淡に聞こえます。
本田忠勝「信長の足をなめるだけの犬に成り下がったやもしれん」
と、いぶかしる声も上がっているが、
大久保忠世「伊賀の国を見よ。服従せぬ伊賀者は根絶やしじゃ。
      今の上様には誰も逆らえぬ」
鳥居元忠 「殿はかしこくなられたんじゃ」
二手の意見で分かれてしまい、徳川家康の真意の憶測し続けました。
どんなに信頼しあっている間柄でも、言葉に出さなければ誤解を招く、
わかりやすい事例だったと思いました。
家康の代わりに言葉で代弁してくれたのはお愛の方だったのかな?
榊原康政「何のためにお二人はご自害なさった。お二人が報われん。
     そう思われませぬか?」
お愛の方「そのようなことを言う出ない。殿がどんなお気持ちで、
     上様をもてなしておられるか、そなたらにわかるのか!」
家康の真意はわからないが、お愛の方の言葉から察すると家康も
何かしら心と行動に乖離があるものの押し殺して何かの問題解決に向けて
動いていることがわかります。

そりゃぁ~大きな声では言えないですよね。
徳川家康「信長を殺す」

人は時として、本心を語らず本懐を遂げようと考える時があります。
その心のうちに秘めて行動を起こすので、誤解もされることもあります。
簡単なことで、心の裏側は相手がどう読み解くのか?
と、受け取り側が決めるところだからです。
裏面で言葉を発して相手に読んでもらいたいと考えるのは覚悟を通り超えた、傲慢かもしれませんね。

さて、別件ですが・・・度々別件w
今回の大河ドラマは「信長公記」が参考にされていました。
数年前ですが、中学生が公園で「しんちょうこうきでさぁ~」なんて
信長のすごい話をしていました。
その話が耳に入っていたおじいちゃまが「今の子はバカだな。
「しんちょうこうき」なんて読み方をして、常識がない!あんたもそう思わないか?」と聞かれたことがありました。
私は、苦笑いをして立ち去りましたが、その時の私の裏面を読んでくださる方はいらっしゃいませんか?w
そんなことを思い出していました。


大磯町美化センター

大磯の六所神社と馬場公園、神揃山を一通り回ってみたら、
案外、時間が余ったのでついつい見れない地図をみてしまったら、
迷子にならなければ、案外、そばに「たれこ谷戸西横穴古墳群」があることに気づき、てくてくと歩いてみました。
神揃山の三宮比々多神社の参道からグーグルマップに導かれながら、
進んだのですが、途中でどうしても中学校を抜けろと出てきたのですよ。
いやぁ~それは、ダメでしょう?
関係者以外立ち入り禁止って書いてあるし・・・
なんてことに気が付いてしまい、自分の持っている正義感に従い、
迂回することにしたのが、運のつき・・・。
さらに大きな病院を迂回しなければならなくなり・・・ここどこ?
だから、趣味迷子は人の倍歩きますw

さて、ネットで拾った情報を元に大磯町美化センターに向かい歩き、
たれこ谷戸西横穴群の看板を見たときは泣きそうなぐらい歩きました。
美化センターなので、ごみ収集車の出入りが頻繁だったので、
「非常にくたびれたおばちゃんが歩いてる。」と思った方がいたのではないかと思われます・・・外見を気にする余裕がありませんでしたw

大磯には横穴古墳が多くあるとは知っていたのですが、
基本的に整備されている場所にしか行ったことがなかったので、
このような山の中は・・・大好き。
この坂を登りきると・・・

目の前にど~んって感じでありました。

奥には如来像が彫られています。

神奈川県県指定史跡
「たれこ谷戸西横穴群」 
 昭和四十一年七月十九日指定
横穴は墓の一種で、山腹や台地の縁辺に穴を掘って墓室としたものであり、たれこ谷戸には合計三十七の横穴が知られている。このうち、指定地である
谷の西半分には二十二穴があって、尾根に近い山腹南西に五列に並んでおり、形態上からは六種類に分けられる。
 横穴群のうちの一つには、天井中央に垂木をあらわす中央の四線があり、これから左右壁に、奥壁に向って繁たるきが浮彫され、側壁にある桁をあらわす浮彫に達している。奥壁には連座上に坐する如来像と思われる浮彫があり、古代寺院を模したものと考えられる。
 これらの横穴群は、八世紀後半に造られた五ないし六家族の横穴群と推定され、また、古代寺院が庶民にも影響を与えていたことを示しており、貴重な郷土の遺跡として史跡に指定し保護するものである。
 昭和五八年三月 神奈川県教育委員会

ここからは、4基しか見ることはできませんでした。

今や藪だらけの山ではありますが、江戸時代には賑わっていたそうです。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?