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第18話 岐路

分かっていたのですがね、道兼が「7日関白」
せっかく、改心したにもかかわらず無常としか言えません
それ以上に玉置 玲央さんの演技に見入ってしまいました
この頃、史実でも道兼と道長は仲良く上手くいっていたようで
道長の辛さはいかほどかと思います

そして、訃報を知ったまひろと為時も琵琶の音と共に「敵と言えど」
寂しさを味わっておりました

さて、道兼の最後のシーン
道長「薬師を連れて参りました」
道兼「近づくな。俺は疫病だ。悲田院で見たものたちと同じである」
道長「ご無礼」
道兼「やめろ!お前が倒れれば我が家は終わる。二度と来るな!」
道長「疫病でも治るものもおります」
道兼「出ていけ!早く、俺を苦しめるな。(道長とみつめあい)
   行け!」
道長、無言で立ち去る

道兼は、藤原公任の家で厄介になっていた時に道長によって
救われて今があります
過去の出来事はいろいろありましたが、道長に恩を感じていたと思います 
しかし、本人曰く「疫病」となれば道長にも移しかねません
そこで、優しさを「怒鳴る・威嚇する」ことで伝えたのが、
「やめろ!」「出ていけ!」と言った強い威嚇するような言葉でした
人は、相手のことを思った優しさの言葉を素直に伝えず言葉を変えて
表現をすることがあります
そこまでしないと、相手に伝わらないと考えているからでしょう
この場面では、道兼のそのような痛々しい思いやりが伝わってきます

しかし、不思議なものですよね
道兼の本当の気持ちはとても複雑だったと思うのです
「自分の命と引き換えにしても良いから関白の首が欲しい」と言ってみたり
「お前(道長)のおかげで関白になれた」
「父上にもはや恨みはない。されど、あの世の父上を驚かせるような政を
したいものだ」と過去との決別と先の展望を語っていたにも関わらず、
病に倒れたのです
悔しい思いも驚きの気持ちもあったのではないでしょうか?
しかし、それよりも自分が死ぬであろう「疫病」であることを考え問題解決をするためには「行け!」と命じるほかなかったのです

しかし、竹を割ったように現実を受け入れることは難しいものです
道兼「俺は、浄土に行こうとしておるのか?(笑う)無様な。
   こんな悪人は(笑う)」
死を目の前にした道兼は、笑いから嘆き悲しみました
まひろのセリフの「嬉しくても悲しくても人は笑うの」この言葉が、
ここにきて思い出されます
良いこととも悪いこととも言い切れませんが、
人は、笑うことでどれだけのことをごまかすのでしょうか?


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