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第7回 わしの家

「お前たちにはもう少しも危ない目に合って欲しくないんじゃ」
家康は、自分が理想としているものに対して少し押しつけがましい感が満載
そんな感じがしましたが、そこは瀬名の方が一枚も上手に見えました

家来からおすそ分けをもらう瀬名の姿を見ていた家康は、瀬名の一言で
自分の改名する名前をみつけました
瀬名:「みんな、ありがとう。
    わたくしは、ここが大好きです。何だか皆が一つの家におるよう   
    で・・・私もはよ、この家の一人になりたい」
家康「家かぁ~」
このことから、「家康」に改名したことになったのが、
今期の大河ドラマでした

さて、家康はこの回からとても固執している面が出てきたように感じます
家族とは
三河とは
殿とは
宗教とは(一向宗)
年貢とは
余談になるかもしれませんが、鷹狩とは・・・w

三河の国を一つの家族と考える、その中心には自分がいて
国を守るために戦っているのであって、感謝こそされても、
逆らうことなどある訳がない

そのように考えていたのではないでしょうか?
ところが、現実は違いました

自分が守っていたつもりの民は、一向宗のお寺で楽しそうに
そして、幸せそうに生きていたのです
家康としては、「年貢を出さないくせに・・・守ってあげてるのに!」
そんな思いで、空誓上人とぶつかります

しかし、家康は空誓上人の言葉が理解できず、納得も出来なかったので
年貢を取り立ててしまいます
これが、一向一揆の始まりです

つまり、瀬名の言うことは訊くけれど自分の価値観の合わない事は
聞かないという、偏ったものを持っていたのです

人は、必ず偏った思考を持っています
それは、悪いことではなく責められることでもありません
例えば、日本に住んでいたら日本の文化や習慣が身につきます
しかし、それは全世界共通ではありません
適時・適用・適応にその場の習慣に従う必要があることが
多いかと思います

日本という中にいても古今東西、習慣や慣習、方言もあります
先日、テレビで地域によって節分の豆まきでまく豆が違うなんて話を
聞きました
それって、責められることでしょうか?
責めることではないですよね
何かしらの理由があり、その豆に落ち着いたって話ですよね

自分の価値観を持っていることは悪いことではありません
しかし、それが全ての人に通じる価値観ではありません
とは言え、基準は大事なので法律があります

自分の価値観や意見が違う時に「イライラ」を感じることがあります
当然です
自分の人格を否定されたように感じるからです
では、その「イライラ」を感じた時はどうしたら良いでしょうか?
家康のように「力任せに命令したり弾圧」を選択しますか?

まず、その「イライラ」の原因は何かを考えましょう
相手が悪い!とばかり言っていては始まらないので、
まず、自分は何にどう感じて、何に対してどう受け取ったのか?
それを1度紙に書いてみましょう
なぜなら、そのことで自分を俯瞰することができる様になります
絶対にやって欲しくないのは、SNSに投稿しないように。。。
自分を俯瞰して見ることで、心の機能のうちの
冷静に判断して決断して行動を決める、判断する私の機能が
上がります
その機能が上がるとそのことについて、そこまで「イライラ」する
必要があるのか?
そこまで、相手のことが気になるのか?
「イライラ」を相手にぶつけて、そんなに相手と話したいですか?
2度と会わなければいいのではないのか?
改めて考えると案外、どうにでもなることかもしれません

個人的に「力で押し切る」はお勧めしないなぁ~」って話でした



  

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