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第27話 安土城の決闘

家臣団と「ともがき」のようだ。
信長に指摘された家康は「自分は1人では何もできないからぁ~」と
返事をするあたりから、信長の顔つきが険しい・・・
それと「ともがき」って・・・なんとなく意味が分かっているようで
わかっていないので、調べてみました。

〘名〙 (交わりを結ぶのを垣を結(ゆ)うのにたとえていう) ともだち。とも。朋友

立場の垣根を超えた友達って感じでしょうか?
現代でも本当に大事なことです。
どんなに立場が上であっても、1人で考えることが出来ることは、
たかが知れています。
しかし、1人で自分だけを信じて強く生きろと言われている信長には、
わかりません。
実際もそうだったと思いたいのですが(私の願望含むw)
大河ドラマの信長は、12歳の時に父親から言われた、
「誰よりも強く、かしこくなれ。お主の周りは全て敵ぞっ!
誰もがこの首を狙っておる。身内も家臣も信じるな。
信じられるのは、己一人。それがお主の道じゃっ!」
そんなこと言われて育てば、家康の言っていることを理解するのも
難しいと思います。
なんとなく、信長はとても家康を近しく感じていたように見えていたのですが、もし、そうなら信長にとって家康の言葉は自分の自分と同じではないことを強く意識し、自分の見立てが間違っていたことに今まで以上に強く違和感を感じたのではないでしょうか?

思いもよらぬ自分と異なる意見を出された時に人の心は大きく揺さぶられます。様々なケースもあるかと思いますが、1番、好ましいのは、
「えっ!そんな考え方もあるの?そちらの意見のほうがいいじゃない?
そうしていきましょう!そのために、何をしていきましょうか?」
と、手を取り合い生産性のある方向に進むことが1番でしょう。

しかし、
徳川家康「信じなければ、信じてもらえない。
     それで裏切られるのなら、それまでの器だったと・・・」
これは、かつて鳥居忠吉が言った言葉です。
自分に足りないところがあるのなら、そこを変えてみる。
それでダメなら自分はその程度だった。
相手のほうが上手(うわて)だったということですね。

また、
織田信長「京で待ち伏せして、俺を撃つつもりか?図星か。
     やめておけ。お前には無理、白兎。」
お前は俺より劣っている白兎だから俺を撃つなんて無理だよ。
ってことで、自分のほうが上で家康は下と安易に言っています。

しかし、追い詰められているのはどちらでしょうか?
人は、自分に弱みがある時に相手を攻撃して弱みを隠すことがあります。
防衛本能です。
信長は最初から家康には一目おいていました。
妻と息子を亡くしてから3年の間にすっかりと変わっていました。
自分にないものを持っている家康を目の当たりにした信長は、
相手を脅して相手より立場が上であると虚勢を張ることしかできなかったのだと思います。

人の心は瞬時に揺らぎます

お互い、対等に一緒にやっていこう!
あなたの方が正しくて間違いがないので従います。
自分は正しい。だから、お前が従え。
そして、あなたも私も、そして世の中も全てダメなんだ。

一瞬、動いた心がどこにあるかによって、問題の解決への
向き合い方が変わります。
相手を非難したいと感じたときには、何か自分ができることが、
まだ、あることを知っているのかもしれません。
また、従いますと感じた時は、引け目を感じるだけで終わらせずに、
成長のチャンスととらえなおしても良いかもしれませんよ。
対等に一緒にやっていこう!の中には「私はここが苦手だから、
あなたにお願いしたいの。でも、私はここが得意だからここは
任せて!」なんて、弱みも見せても大丈夫な関係が築ける
コミュニケーションがとれるといいですね。


円蔵神明大明神

ご祭神:天照大御神
ここは、大庭景義の懐島館跡です。
大庭景義は、鎌倉権五郎が開拓した相模最大の寄進地系荘園の大庭御厨の
家督を継いだが、保元の乱で膝を射抜かれ弟の大庭景親に家督を譲った。
景親は、平清盛に命を助けられたことから平家にくみすることを決めた。
しかし、源頼朝が挙兵すると兄である景義は早い段階から源氏に味方をし、
兄弟対決となった。

境内の案内板

境内はこじんまりとしているが、ここに全部集めました?
そんなことを感じてしまうほど、様々なものが置かれています。

大庭景義の像

大庭景義は、鎌倉の鶴岡八幡宮の造営や大倉幕府の造営も仕切っていました 

大庭景義霊の碑
享和年間。。3年ぐらいしかなかったかと・・・

茅ヶ崎市浜之郷に鶴峰八幡宮があります。
鶴峰八幡宮は、1191年、大庭景義によって、大仏殿、三重塔などが完成し、再興されました。


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