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極楽寺

円久寺で手弁当を食べた後、Googleマップを見ると
「常盤山文庫跡地」があったので行ってみました
途中、やぐらもあり期待に胸をふくらませましたが

関係者以外立ち入り禁止でした・・・
そこで、大仏切通しに戻り一升桝遺跡に行こうと思います

大仏切通しと極楽寺方面への交通の防衛をしていた場所と聞いていたので
行ってみたかったのですが、大仏切通しと大仏ハイキングコースの分岐まで戻る必要があります
分岐から「長谷配水池」方面に向かいます
階段がきつくて・・・偏った運動をしていることを実感します

整備された隧道の上を歩き、また一山超えます
迷わずたどり着けましたが、こちらも立ち入り禁止でした

でも、切通しから極楽寺には十二分に抜けることがわかったので、
これはこれで満足しなければ・・・です
しかし、あとから調べると「長谷配水池」から行けるのかも・・・
そのうちです

そのまま、稲村ケ崎小学校の脇を抜けると人通りがあり、
江ノ電の音も聞こえてきます
江ノ電が見える辺りを右に曲がると極楽寺があります

案内板をみると先ほどの小学校も極楽寺の境内だったことが書かれています
実は、ブラタモリで取り上げられたのを観て行ってみたいなぁ~と
思っていたので、かなり嬉しかったです

1433年の地震のためにほとんどが崩れ落ちて衰微し、
今では後に再建された山門や本堂が残っているだけになっています

病気にかかった人たちの薬を作ったといわれる石の薬鉢だそうです
大きいですね
多分、何かをすりつぶしたり混ぜるために使ったのかな?とは思うのですが、何人がかりでやってたのかしら?
第2代執権北条義時の三男北条重時が創建し、後に忍性が開山したと
いわれ、忍性は土木工事にも力を尽くしていたとのこと
その忍性が作ったと言われる極楽寺切通しはすぐそこなので、
行ってみたいと思います


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