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第35話 苦い杯

歩き巫女の大竹しのぶに全く気がつかなかった私ですw
「雪の日!雪の日は出歩くな。災いが待っている」
大きな、伏線出ましたぁ~
だからこそ、大竹しのぶさんだったんですね。。。納得!
あっ・・・歩き巫女が言っていたので、試してみましたが、
私も肘が口につきませんでしたw
実朝の冷静な「皆そうではないか?」の一言に救われてしまいました
私感ですが、そんな純真な「本当だぁ~その通り」って思える言葉積み重なるとその人の信頼や安心感が増すような気がします

さて、前回、八田智家に3番目の妻となるのえの見立てをしてもらった義時
なぜに、いつも通り三浦義村に相談しなかったんだろう?
案の定、三浦義村が義時の家に来てのえに合った瞬間、
のえの正体を見破りました

義時と三浦義村は、竹馬の友です
義時は三浦義村のことは良く理解していたと思います
だからこそ「あれは、辞めた方が良い」と言われたくなくて、
裏の顔があるかもしれないと警戒していても、
八田智家に頼んだのではないでしょうか?
前回のオープニング前に時房が義時の子どもと魚釣りをして
帰ってきた場面がありました
子どものことを考えても女手が欲しかったことも理由にあったでしょう
もちろん、義時自身も三浦義村に「惚れてるのか?」と聞かれて
「惚れてなければ、妻にしない」と宣言をしているので、
のえのキノコ作戦大ヒットってところでしょう
結果「あんな辛気臭い人に嫁がない」と言われてしまうのですね

今もですが、婚姻はそれなりに大きな決断力が要ります
特に義時は、立場的に考えても熟考しなければなりません
人生の切所でしょう

交流分析では、生き方の中で無意識に駆り立てられる
「~さえしていればよい」と言うものと
無意識にストップをかける
「~さえしなければよい」と言うものがあります
もしこの時に、義時が
「子どものために妻さえいればよい」
(子どもや家事のことを含めて対面を保つために)

優しいので「子どもに不便をかけることさえしなければよい」と
と、無意識なことに操られてたかもしれません

現に義時は、幼い頃に母親を失くしています
それでいて、父である時政は、次から次へと妻を娶っています

これは、もしかしたら父、政時の行動をモデリングしたかもしれませんね

親子とは難しいもので、似て欲しないものこそ似てしまう
モデリングと言うものがあります。

今回から、イベントのお知らせです
講師は私ではありませんが、ご興味のある方はご参加ください
■ タイトル:「ココロのあり方と心理ゲーム」【Zoom参加】
参加費:無料
■ 開催日(開始):2022-11-12(土) 13:00~15:00(予定)
■ 受付開始時間:12:20~ 
■ 主催者連絡先:日本交流分析協会 関東支部 
■お申し込みは下記からお願いします


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