第47話 乱世の亡霊
阿茶局とお初の和議のための話し合いが始まりました
大竹しのぶさんもいらした。それも、セリフなし!
贅沢な使い方をするなぁ~と思ってしまったのは私だけかしら?
さて、女性同士の和議に話し合いに違和感を感じられる方も
いらっしゃると思いますが、その後も家康は秀吉の正室の寧々にも
お願い事をし、聞いてもらえませんでしたが頭を下げてもいます
さらに、お江やお初の意見にしっかりと耳を傾けています
平安時代は夫が妻の下に通う「通い婚」だったとも言われています
庶民は、わからないけど・・・
鎌倉時代に入り所領を守るために女性が「嫁ぐ」ようになったと
私は記憶しています
子孫を残すために側室を持つことは時代だったとしても、
正室の地位や名誉、女性を軽視する時代ではなかったのではないかと
私は考えております。
さて、お江の助言を受けて家康は直筆の文を用意しました
過去に淀殿の母親お市の方がしたように、子どもである秀頼を
残す人材であり残せる方法を選んで欲しいと書いてありました
淀殿は茶々と呼ばれていた幼い頃を思い出し、秀頼に
淀殿「秀頼。母は思う。戦えとは言わぬ。徳川に下るもまたよし、
そなたが決めよ。そなたの本当の心で決めるがよい。」
幼い頃から怖い顔をして、自分の意見が世の中の当たり前と教えておき、
いつも母親の機嫌や意見を推し量りながら閉鎖された環境で育った秀頼に
とって「そなたの本当の心で決める。」とは、母親の意を汲んだことしか
思いつかず、母親がしおらしく弱気な意見を言うようになったのは、
徳川のせいだとも思ったのではないかと私は想像しました。
尚且つ秀頼は、お千に言われたことで悩んでいました。
秀頼「お千、前にそなたは、私の本当の心が知りたいと申したな。
私はあれからずっと考えていた。ずっと、母の言うとおりに
生きてきたこの私に、本当の心はあるのだろうかと。
わが心に問い続け、今ようやくわかった気がする。」
そして、集まってきている浪人に放った言葉が、
「余の真の心をもうす。信じるものを決して裏切らず、
わが身を顧みず人を助け世に尽くす。それが真の秀頼である。」
つまり、母親の理想の子であろうとした結果が
「戦場でこの命を燃やし尽くしたい」と言うことになりました。
淀殿は、嬉しかったでしょう。
淀殿「よくぞ、申した」
言われた秀頼も母親に褒められてうれしかったことでしょう。
子どもが小さいうちは、子に変わって親がなすべきことは多くあります。
正常な共生関係と言えます。
しかし、適度な時期に適度にそれも若干痛い思いをしても、
少しずつ離れていく時期があります。
そして、親の下に帰れば安心できて安定してられる場所として
身を置く場所を定め、外に出て傷ついても帰る場所があることで、
次の場所に立ち向かう力を蓄えていきます。
その、安心安定の場所で教えられたことは、
警戒心なく心に刻まれていきます。
心に刻まれたことは、無意識に当たり前となりものの見方に偏りが
出てくることもあります。
人とうまくいかなくなった時には、
「自分の当たり前は絶対なのか?」と考えて頂けると良いのかな?と
思います。
もちろん、当たり前のこともあるのですよ。
全てを疑えということではありません。
今までうまくいっていることを敢えて変える必要性はありません
上手くいかなかったところだけ、見直す時間を作ってみても
良いかもしれません。
残すところ、あと1回しかありませんが楽しみにしたいと思います。
行った時は秋だった散歩
最寄りの駅は、小田急線豪徳寺駅
勝海舟の会からのお誘いで豪徳寺周辺をめぐってきました。
山門をくぐると正面に仏殿です。
仏殿に行く途中に三重塔もあります
彫り物を良く見てみると、猪と牛の間に猫が・・・と思いきや、
小さく、鼠もいました。
先ずは、仏殿にお参りしてから有名な場所へ
さて、本題(やっとかい!って感じですが)
豪徳寺は、井伊直孝が鷹狩の時に猫に招かれて立ち寄ったところ、
雷雨を避けることが出来た謂れがあります。
当然ながら、ここは彦根藩の飛び地となります。
ここには井伊直孝や井伊直弼といった6名の藩主や江戸で暮らした正室や側室、子息子女らが埋葬されています。
井伊直弼は、開国したことで櫻田門の変で暗殺されてしまいますが、
開国したことで海外との流通の結果、自分のお墓を写真に撮られるとは、
想像もすることがなかっただろうなぁ~と妄想していました。
豪徳寺に行った後は、世田谷城跡へ
吉良家がいたお城ではありますが、赤穂浪士とは違う吉良氏だそうで、
ここで初めて知りました。
豪徳寺もこの世田谷城の中にあったと言われます。
今回は足を延ばしませんでしたが、そばには世田谷八幡宮もあり、
砦だったともいわれています。
お城があるということは、代官屋敷もあります。
かやぶき屋根で天井が高くて・・・
村総出で屋根をふき替えたんだろうなぁ~なんて妄想w
隣の資料館があり、岡本黄石が井伊直弼が暗殺された時の家老である
功労者であり、勝海舟とも親交があったことをお伺いしました
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