見出し画像

第6回 二人の才女

何というか・・・演出?脚本?なのかわかりませんが、
まひろの母を切った道兼が暗闇から出てきて、道長が少し明るい場から
出てきた同じ兄弟でも役割が対照的なすれ違いのシーンでは、月の光が当たり同じ方向に向かう影を一族の闇と表現してみたり、
まひろが、源倫子の集いで「私、書物を読むのが1番苦手なの」と言った瞬間に「わたしも」「わたしも」と笑いが出てくる瞬間に猫のこまろが
「にゃー」と泣くところは、まひろが「えぇ~頑張って倫子の機嫌をとろうと思ったのに・・・」とずっこけたような気持ちを代弁しているようで
おもしろさを感じてました。
他にもいろいろありすぎて、目が離せないと言いますか…3回ぐらい観ても
飽きないんですよね

藤原道隆主催の漢詩の会では、
まひろと桔梗こと清少納言との出会いの回でもありました
道長は「かしの酒は十分あるが、君を置いて誰とのもうか。宮中の菊花を
手に満たして、私は一人、君を想う。君を想いながら菊の傍らに立って、
一日中君が作った菊花の詩を吟じ、空しく過ごした」
と、まひろへの熱烈な公開ラブレターを漢詩で書いたのですが、
よく考えたらそのラブレターをまひろの父親が読むというのも、
なかなかと思ってしまいました
分かっているのは本人たちだけなので知らぬが仏なのでしょう

この回も艶やかなお色のお着物が素敵でした
場面がころころと変わるのですよね
それでいて箇所箇所が丁寧に表現されているので、45分の中に
数日分の出来事があるはずなのに、1日の流れの中であらゆるところで、
さまざまな出来事があるように感じてます
平安時代の全てとは言えませんが、雰囲気を感じながらも
現代に生きている私たちも共感するような部分が多く見えます
特に漢詩や和歌など、あまり縁がない私には「よくわかんない」と
思うことが多く、その漢詩の向こうに何を訴えているのか
理解に苦しむことがあります

そのような中でも、例えば、
まひろ 「(中略)これからは、今よりも覚悟をもって左大臣家の
     倫子様と仲良くなり源とのつながりを深めますゆえ
     どうか、左大臣家の集いに行くことどうかお許しくださいませ」
藤原為時「そこまで考えておったとは、お前が男であったらのう」
まひろ 「おなごであってもお役には立てまする」
「男じゃなくてもその程度は考えてますよ」
現代の私たちにも気持ちがこみ上げる共感を感じたし、
藤原道隆「弘徽殿の女御様に御子が生まれることは恐らく
     なかろうし・・・(中略)」
  道長「弘徽殿の女御様に御子が生まれることはなかろうとは?」
藤原道隆「先日、父上が安倍晴明に命じられた、
     その場には関白様と左大臣様もおられた。
     御子を望まぬことはこの国の意思じゃ」
そのようなことを言われて道長は「なんだよ、それ?」って
顔をしてくれました。これは、現代の私たちでも感じることでした
他にもあるのですが・・・まぁ~
立場が違えど相手との共感やわかってくれたと感じる時に人は
相手との距離が近くなりより一層興味が湧いてくるものでは
ないのかと思うと、見方を変えると一方通行と思われるテレビも
糧となるのではないかと感じます

最後は、道長からまひろへのラブレターになるのかな?
「ちはやぶる神の斉垣も超えぬべし
恋しきみまく欲しさに」
政はドロドロしていくのでしょうが、二人の関係性はどうなっていくのか
気になってしまいます


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?