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心の時間の使い方は見えない時が多い

前回までは時間の構造化についてだいたいた説明をさせていただきました、この中で私がお伝えしたいと言いますが私が時間の構造化を学び日常生活の中で大いに役に立った件に関してお伝えしたいと思います。

自分自身もそうなんですが、人の話を聞いて理解をするまでの時間がとても時間がかかるります。
そのことについて考えている時間というのは自分自身の世界に入っている閉鎖引きこもりの時間の方が多いんですね。
しかし考えてる時間があまりにも長すぎまして他の方から見ればあもうこの人が理解できているんだろうなという見え方をしているようです。

そうすると私はまだ閉鎖引きこもりの中にいるんだけれども強引に引っ張りだされてしまう時があります「あなたの意見は何かないんですか?」
そんな風に問いかけられてしまったら私自身が自分との対話が終わっていないにも関わらず他者との会話を始めなければなりません。
そんな瞬間で一瞬ストレスが溜まるります。
まぁ~それが悪いことでもなければいい事ないのですが人とちょっとした違和感があったなと思った時に、もしかしたら相手は相手が望む時間の構造化をしているのかもしれません。

よく男性からお伺いする悩みの一つに一生懸命今集中して仕事をしている時につまりその男性は活動仕事の時間に入っているにもかかわらずということなのでしょうが、妻が雑談気晴らしをしてくるご近所の話があーじゃないこーじゃない誰々ちゃんちのお家はこうじゃないなど雑談気晴らしを始めてしまうことがあります。
「一瞬、腹が立ちます。」そんな話も聞きます。

各々心の中で使っている時間というのは目に見えているわけではないんですね。

さらにタイミングの悪いことにテレビをぼーっと見ている時間であったとしても人それぞれ活動仕事の時間としてそのテレビをぼーっと見ているかも知れない何かを考え明日結論を出さなければならないなんてこともあるのかもしれません。
またテレビをぼーっと見ながら自分自身の中に入り自分だけの時間自分のストロークの時間を作ってんのかもしれません。

人から話しかけられた時にその言葉に対しての違和感ではないまたは言い方がきついと感じた時で、何か自分にストレスを感じるような出来事が起きた時に時間の構造化というのを思い出して頂きたいのですね。
相手が必要としている時間の構造化は自分が今現在いる時間の構造化の中ではない可能性がよくあるということです。

本当にこれは感でやっていくしかないことなんですが私が訪問介護をしている時にもちろん私は元気ですので先方のお宅に行った時に「○○さんおはようございます。」と元気よく儀式儀礼から訪問をしておりました。
そこで何か違和感を感じたんですね。
なんだろうと思ったらやはり寝たきりの方であったりすれば睡眠時間が様々です。
朝しっかり起きれる方もいれば起きれない方もいらっしゃいます。
 私が行く時間が目を覚ます頃かなという時間だったのですが、目を覚ましたすぐの方は閉鎖引きこもりでまず自分が自分で存在している生存している確認をしている最中に元気よく「おはようございます」とかって入っていってしまいますとちょっと温度差を感じてストレスを感じるなんてことがよく言われました。

この時間の構造化というのは人それぞれの欲求によって構造化されるものですので相手に合わせる時間の構造化という見方をしてみると意外と人とコミュニケーションをとるのが楽になるかもしれません。

活動仕事をしているからと言って1日がずっと活動仕事ではありませんお食事をする時間もあれば雑談気晴らしの時間も、ある閉鎖引きこもりも時間もありますので、労働時間が全て活動仕事として、一つにくくらないで心というのはいつも動いているんだその上での時間の構造化であるとそこを忘れないで時間を意識してみるのもいいと思います。

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