見出し画像

第9回 守るべきもの

ナレーションの寺島しのぶの「我らが神の君」というフレーズが、
第1回目から気になっていて、
確かに今は「神」として祀られているからだろうか?
戦乱の世を太平の世にしたからかな?
など、推測していたのですがもしかしたら、
偉業をなした家康も「人」であり、様々な経験をして「神の君」と
言われるほどの「征夷大将軍 徳川家康」となったことを
伝えたいのではないか?と考え始めた回でした。

さて、今回は鳥居忠吉と家康の語りが良かったです
一向一揆の軍氏が本田正信とわかってからの家康は、
家臣に対して疑心暗鬼が募り引きこもりになってしまいました。
いつの世も人間関係は悩みの第1位なのかしら?
個人的にはこの時代は、人間関係で悩めるのは贅沢かも?と考えてます。
だって、今、食べるものの心配をしていない。
食べることは、命につながると考えてます・・・
現代人はちょっと健康を考えながら食べることも必要ですが・・・

鳥居忠吉「さて、さて殿。道は一つに二つでございます。
     (ここ聞き取れませんでした)信用する家臣の裏切りにあって、
     それで、お命を・・・今でもよう考える。
     どうやったら避けることができたのか?
     どうやったらお救いすることができたか?
     じゃがなんど考えても、どうやっても避けることは
     できんかったように思われます。
     つまるところ、主君なるものは家臣を信じるほかないのだわ。
     主君が家臣を信じなければ、家臣は主君を信じません。」
家康  「信じて、裏切られたらどうする?」
鳥居忠吉「そん時は、もう、しょうがない。」
家康  「しょうがない?もう一つの道とは?」
鳥居忠吉「謀反が少しでも疑いがある者をことごとく殺すことでございます
     一人残らず片っ端から・・・殺すことをお決めなら、まず、
     わしからにしてくだされ。病で死ぬより楽そうじゃて・・・」

家康は、現実に起こった本田正信の裏切りをしり
もしかしたら、他にも裏切られるかもしれないと起こっていない未来を考え
「怯え」ているのです
また、鳥居忠吉も同じく病で死ぬことは苦しそうだと「怯え」てると
考えられます。

しかし、家康は同じ「怯え」で立ち止まってしまっています。
一方の鳥居忠吉は、同じ「怯え」でも「怯え」ていても、
来るものは来ると構え「今、ここ」を生きています。

人には、様々な感情があります。
その感情の中には、問題解決に向かない感情もあります。
問題解決に向かない感情にとらわれてしまうと、
立ち止まってしまったり、固執して意固地になってしまうこともあります

そのような時に本当に自分が感じていることはなんだろう?
そのように向き合って欲しいのです。

家康のように、まだ来ていない未来を妄想して
「どうする?」
「怖い」
「裏切りにあい、傷つきたくない」と自分を防衛してしまうよりも、
自分は未来のことに「怯えてる」のであって、
適度な「怯えは備えにつながる」ので良いかもしれない。
しかし、問題解決に向けて「今」を生きることができているか?
その点は、見極めが大事かな?と思います。

問題解決を難しくしている感情にとらわれることもあっても良いと
思うのです
人にはそれぞれ馴染みのある感情がありその感情に浸ると安心して、
心に余裕が出てきます
そしたら、自分の本物の感情はどこにあるのかな?
焦点の当て方を変えて感じてみてください。

今週は気持ちよく「海老すくい」で良かったです。


     

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?