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フリッタータの匂い

大阪西成の「釜ヶ崎芸術大学」(通称釜芸、旧称ココルーム)のカフェにて、月1回「釜ヶ崎イタリアまかない」と称して「まかないごはん」を担当しています。
つくるのは、あるものを活かし、時間をかけて美味しくするイタリア家庭料理。食卓を囲むのは、旅人、ふらりと立ち寄った人、近所に暮らす人、インターンやスタッフなど様々。そんな食卓の備忘録。

ほんの短い間だが、イタリア料理店で働いたことがある。イタリア留学していた料理好きの友人に、東京でイタリアそのまんまを味わえる店がある、と勧められて食べに行ったら、まさにその通り。感激してシェフと話していたら、当時住んでいた神楽坂に、店を移転する予定と聞き、その場でカメリエーラ(サービススタッフ)として働くことに決まった。

店はオープンキッチンのつくりだったが、仕込み時間に出勤すると、毎日本当にうっとりするような匂いがして、それだけでここで働けて幸せという気分になった。イタリア料理といえば、ニンニクと結びつけられがちだが、本場の厨房ではニンニクの匂いなんてしない、というのがシェフの口癖だった。確かに、店に漂っていたのは、いろいろな食材から抽出された匂いが混じり合った、複雑でなんとも芳醇なものだった。これ何の匂いですか、と毎回必ずシェフに尋ねるのが常だった。

釜芸のキッチンも、オープンなアイランド型だ。キッチンに向かい合う形で小上がりがあって、上がり框には大体誰かが腰掛けている。匂いは空間に立ち込めるし、調理をしているところも丸見えだ。座った人がこちらを眺めていると、向き合うことになるので、自然に「おしゃべりクッキング」状態になる。

7月の「釜ヶ崎イタリアまかない」の日。準備をはじめて少したった頃、前回たまたま立ち寄って、彼にとっては馴染みのないであろう料理を食べていった「小さなティラノザウルス」こと安藤さんが登場する。ちょこんと上がり框に腰掛け、私に気づいてニカーッと笑う。私が調理しているのを眺めながら、暑い、アイスあるか、お腹すいた、眠い、を歯のない口でフガフガとくり返している。「今日もイタリア料理だよ、食べる?」と聞くと、ウンウンとうなづいた。

フリッタータ(イタリア風具沢山オムレツ)が焼き上がったとき、フライパンを調理台の上に載せると、安藤さんがひょこっと立ち上がって、フライパンに顔を近づけてきた。「イタリアの卵焼きだよ」と言って、パッと蓋をあけると、オリーブオイルでじっくり加熱したタマネギ、ズッキーニ、そしてパルミジャーノの香りが、渾然一体となって立ち上がる。安藤さんが、頭を引きながら、思い切り匂いを吸い込み、こっちを見て、またニカーッと笑った。その後も、調理台に置いてある食材に、顔を近づけてクンクンと匂いをかいでは、ウンウンと頷いたりしている。こちらも面白くなって「これはどう?」と、生のバジルやら、ローズマリーの香りをかがせると、顔をしかめて身体をのけぞらせる。イチジクもかいでいたので、切れ端をこっそり味見させてあげると、ふわっと表情がゆるんだ。安藤さんは、匂いと味見で、私の次に、料理ができあがる過程の楽しみを満喫していた。

料理が全て完成して、ふと安藤さんがいないことに気づく。待てなくて帰っちゃったかなと思ったら、なんと、先にテラスに運んであったサラダを、自分でよそって食べ始めている。あわてて、フリッタータも切り分けて、皿に載せる。食卓についている人の中で、誰よりも長くフリッタータを待っていたのは彼に間違いない。サラダは「硬い!」と、戻してきたが、フリッタータは、具材も全部やわらかく加熱してから混ぜて焼いているので、大丈夫なはずだ。三度目のニカーッが出たかは見逃したけど、あの匂いが、ついにお腹におさまって、満足気に見えた。

釜ヶ崎イタリアまかない/7月の献立
・夏野菜のサラダ(水茄子、胡瓜、紫玉葱、トマト、パセリ)

・隠元豆、ズッキーニ、シラスのフリッタータ

・鶏モモ肉と玉ねぎのローズマリー煮込み

・トマトのリゾット

・イチジクのヨーグルトアイス




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