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きょう心にしみた言葉・2023年10月2日

 誰かに、どこかに、叫んでぶつけたいことがある訳ではない。ただ、ひたすら叫びたいという欲求だけはある。胃の中に沈殿する、もやついた名前のない塊のようなもの。それを吐き出したい。                                 
                                 
 吐き出すことで、その瞬間に名前がついてくれたならと、どこかで願って。

「学校に行けなかった私が『あの花』『ここさけ』を書くまで」(岡田麿里・著 文藝春秋)

脚本家の岡田麿里さんは、埼玉・秩父に生まれました。小学校の高学年から不登校、ひきこもりになりました。高校進学後も学校に行けなくなりましたが、先生らに支えられてなんとか卒業、一念発起して東京のゲーム専門学校に入ります。ここで脚本家としての才能が花開きます。「あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない」がテレビでアニメ化され、大ヒット作「心が叫びたがっているんだ。」をはじめ、多くの作品を生み続けています。かつて「自らを閉じ込めた街」、ふるさと秩父を舞台に物語を展開し、秩父はファンたちの聖地になりました。
「学校に行けなかった私が『あの花』『ここさけ』を書くまで」は、自分の半生の葛藤を赤裸々に綴り、不登校の子どもたちやひきこもりの人たちの心と共振しています。
「心が叫びたがっているんだ。」のタイトルは、監督から「回りくどい。『心が叫びたいんだ』の方がいい」と反対されたといいます。しかし、岡田さんは譲りませんでした。「『叫びたいんだ。』にしてしまえば、叫びたい何かがもともと存在することになるから。(主人公の)順と同世代の私には、それがなかった」
 そして、冒頭の言葉へとつながります。
「誰かに、どこかに、叫んでぶつけたいことがある訳ではない。ただ、ひたすら叫びたいという欲求だけはある」
 繊細な思いと自身を深く見つめるまなざしが、主人公たちの言葉に宿り、多くの人を魅了しています。


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