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ライフリンク・メディア報道・コラムを読む③

毎日新聞には半世紀近く続くコラム「記者の目」があります。それまで日本のジャーナリズムには「新聞記事は無署名」という暗黙のルールが強くあり、新聞も記者自らが主張や主観を打ち出すことに極めて慎重でした。これを転換させたのが「記者の目」でした。このコラムが日本の新聞における署名記事の嚆矢となったと言われています。現在は多くの新聞が署名記事を中心に編成されています。
今回は、自殺対策を取り上げた「記者の目」を見ていきます。

自殺対策基本法が成立・施行された2006年12月29日の「記者の目」です。格差や貧困が顕在化し、社会の大きな問題になり始めた時期でした。

 師走の東京で幾度も「貧困」という言葉を耳にした。「格差」にあらず、人の生命や尊厳までもが脅かされている状況をいう。戦後の経済復興の過程で一度は日本社会の表層から消えたかに見えた言葉が、06年冬の街に戻っていた。

 クリスマスの夜、新宿区内の「自殺防止センター」の相談電話は鳴り続けていた。
 「『福祉を打ち切られて生きていけない』。そんな電話が増えています」と設立者の西原由記子さん(73)。「電話で自殺を止められるのかって、よく聞かれます。確かに、私たちは非力な存在だけど、自殺を一人でも踏みとどまってほしい。電話がかからなくなる日まで続けます」。その言葉には頭が下がる。
 今秋、全国知事会と全国市長会の「新たなセーフティーネット検討会」がまとめた提案書のサブタイトルにはこんな文字がある。
 <「保護する制度」から「再チャレンジする人に手を差し伸べる制度」へ>。そこには、「貧困」の底からの視点は薄い。

自殺対策について、様々な観点から「記者の目」は論じています

友人や親族を自殺で亡くした体験を記した「記者の目」もあります。2009年9月11日の「記者の目」です。

取材と私自身の体験から、いま思うことを記したい。
 「お姉ちゃんが、自殺した……」。電話の声は震えていた。98年2月、高校卒業間近の私に届いたガールフレンドの訃報(ふほう)。電話の主は、彼女の妹だった。遺書はなく、動機は分からない。ただ、不動産業だった彼女の父親(当時50代)の会社が年明けに倒産。父親が自宅マンションの屋上から投身自殺したのは、彼女が自殺する2週間前のことだった。その間、元気づけたつもりでいた。彼女まで、とはみじんも思わなかった。
 なぜ、救えなかったのか。何かできなかったか。いまでも自問自答を繰り返す。そして、この98年が日本の自殺を巡る大きな分岐点だったことを、私は後になって知った。

自殺者は減っていない。「実態を解明し、その分析を基に十分な対策を実行するまでには至っていない」(清水康之・NPO法人自殺対策支援センターライフリンク代表)からだろう。自治体の担当者に聞いても、多くが「何をしたらいいのか分からない」と口にする。パンフレット作成など、啓発活動に終始しているのが実情だ。
 また、自殺というと単純にうつ病と結びつけ、「個人的な問題」ととらえる固定観念から抜け出せていない。必要なのは、フィンランドや秋田県など自殺対策で成果を上げた地域に見られるように、医学対策だけでなく、民間団体と行政が連携し、地域社会を巻き込んだ活動ではないか。

「お姉ちゃんは優しすぎたのかな」。会社勤めを始め26歳になった妹は、そう考えるようになった。この7月には結婚し、来春には子どもが生まれる。「ずっと自分を責めてきたけれど、もうおしまいにします。家族は救えなかったけど、主人と遺族の会に参加したりして、他の誰かの助けになれればいい。この子にはいつか、父と姉はいい人だったと笑って話せると思います」。当時はふさぎ込んで涙にぬれた顔も母親の顔に変わっていた。私も非力ながら、現場の声を伝えることで、自殺対策の一助をなしたい。

兄を自殺で亡くした記者が自らの体験を綴った2011年1月25日の記者の目です。

その日、東京は冷たい雨が降っていた。私は兄(当時35歳)が暮らす社員寮の部屋の前で、警察官と共に業者が鍵を開けるのを待っていた。兄の同僚から「連絡がつかない」という電話があったのは、その数時間前。嫌な予感がした。そして約30分後、恐る恐る入った室内で、息絶えた兄を見つけた。

 遺書はなかった。自殺の理由は今も分からない。
 なぜ死を選んだのか。答えが知りたくて、自死遺族を訪ね歩いた。遺族に共通するのが「まさか身内が」という驚きだった。私を含めて多くの人が、自分の身に降りかかるとは思っていなかった。
私自身、兄から最後の電話をもらった後、何日も連絡を取らなかった。すぐに会いに行って、一緒に悩みを分かち合っていれば、結果は違ったのでは、とも思う。
 自殺は誰にでも起こりうる問題だと考えよう。「死ぬしかない」と思い詰めている人は、あなたの周りにもいるかもしれない。そんな人にかける優しい一言が大きな「支え」になるはずだ。そのことを多くの人に伝えていきたい。

兄を亡くした記者のコラムの最後の文章を再掲します。

 自殺は誰にでも起こりうる問題だと考えよう。「死ぬしかない」と思い詰めている人は、あなたの周りにもいるかもしれない。そんな人にかける優しい一言が大きな「支え」になるはずだ。そのことを多くの人に伝えていきたい。

写真は、岩手県立美術館にて。

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