息子の誕生日と憂鬱と。それでも愛すべき未来へ。

ぼくの息子が3歳を迎えた。親になってから3年も経つのか、という感慨に浸りながら、息子の成長を素直に喜んでいる。

子どもの成長にはいつも驚かされる。なぜ、ぼくはこんなにも「出来上がって」しまっていて、堅物なのだろうと思う。息子のスポンジのような吸収力がときどき羨ましい。

あと100年は生きるだろう息子の将来が楽しみでならない。
ぼくが生きている理由の多くは息子の将来に依っている。

一方で、世界を取り巻く不穏なニュースがあとをたたない。

東京都のコロナ感染者の急増。
200万人に迫る失業者。
いっこうに盛り上がらない東京都知事選。
香港国家安全維持法の施行。
中国のウイグル人への不妊強制。

楽しみでたまらない息子の将来と。
日本を取り巻く不穏なニュースと。

そのはざまで、最近ぼくは憂鬱な日々を送っている。

ぼくは息子の将来を、自由を守るために何ができるだろう。
そのひとつで、おそらくはもっとも重要なことは、それでも愛すべき未来を信じることだろう。

たいへん厳しくなる日本を前に、今、ぼくの目の前にあるのは、安らかに眠る可愛らしい息子の寝顔だけだ。そして、憂鬱な現在と来たる愛すべき未来とともに眠りにつきたいと思う。

サポートいただいたお金は、“誰もがが自己実現できる社会をつくる”ために使わせていただきます。