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防衛機制の操り人形としてぼくたちは生きている

今年も早いもので3ヶ月が経つ。1年の4分の1がもうすでに過ぎ去ったと思うと、時の流れの速さに驚嘆する。「気づいたときには後悔しか残らなかった」そんな人生を送らないように気をつけていきたい。

とはいえ、ぼくがぼくらしくあるために、悔いが残る人生にならないようにするために打ち立てた新年の抱負はさっそく反故にされそうである。ぼくの抱負は、「もう少し自分のために生きる」であった。より自分自身のために生きて、あまり負荷をかけない一年にするつもりであったが、すでに自律神経を失調気味である。

その理由の大部分は、ロシアのウクライナ侵攻である。ぼくたちの隣国がその隣国に全面侵攻をしかけた。将来、日本がそのような事態に巻き込まれたらどうしよう。そんな不安が頭にこびりついて離れない。そして、ぼくは体調を崩しはじめている。

新年の抱負とはそんなものだ。そして、ロシアの軍事侵攻で体調を崩すなんて偽善でる。そう考えるひともいるかもしれない。ただ、もう少し自分を掘り下げて考えてみると、そこにはぼくの深奥に潜むしつこい防衛機制を発見することができる。

おそらくぼくには、「将来の不安を払拭するために身を粉にして頑張らなければならない。」とか、「頑張り続けなければ、将来に痛い目にあう」といった不安がつねに沈澱している。そして、その不安は、ぼくが息子に対する育成責任を過剰に引き受けすぎていることから発生している。だからこそ隣国の軍事侵攻に、体調を崩すほどの不安を感じるのだ。

防衛機制は容易にぼくたちが掲げた抱負の、目標の妨げをおこなう。しかも、ぼくたちに気づかれないように。その意味で、防衛機制はぼくたちの人生を、部分的にであれコントロールしている。ぼくたちは操り人形として、防衛機制とともに過ごしている。

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