日記 2020/08/12

先日にも書いたように、最近娘は急に怖がるようになった。

なかなか寝ようとしない娘に対して、妻が「お化けが来るよぉ」「鬼が来るよぉ」と言うと、「わぃ(怖い)」と言ってすぐに目をつぶる。ここ数日は、そこで目をつぶったら、寝たフリのはずがそのままストンと寝てしまう。僕からすれば、目をつぶったら寝ることができるなんて羨ましい限りである。

怖がるようになったのは、娘にとって外の世界が少しずつ意味を持ち始めたということであり、外の世界が娘と直接関係するものとして存在するようになったということが関係しているのではないだろうか、とこの数日考えている。

コロナでステイホームを要請される状況になったとき、会社が完全なテレワークに移行していたこともあって、妻とも相談した結果ではあったけれど僕の強い要望で娘を保育園に預けないようにして、家の中に閉じ込めてしまった。ステイホームに従順過ぎるほどに従ったのである。娘は数ヶ月間、僕と妻含めて、家にあるものだけとしか関わらなくなった。

コロナ感染者の数が少し落ち着いたある日、久しぶりに娘を公園に連れて行ったら、娘はそれまで家では見せることがなかったような生き生きとした表情をしていた。公園の広大な空間を走りまわり、蝶々や鳥や散歩している犬など生き物を見ては指を刺し、花を見つけては「花!」と言って近寄りじっと観察をし、最後公園を出るときには急にしゃがんだかと思うと歩き回る蟻の姿を追いかけていた。
そんな娘の姿を見て、その数ヶ月間ものあいだ、僕はなんということをしてしまっていたのだと猛省した。

それからしばらくして娘は保育園に再び通うようになった。

僕は、久しぶりに外に出たあの日から娘が急激に変化を見せ始めたような気がしてならない。言葉の数も多くなったし、表情の豊かさだったり、何かに対する反応だったりが、それまでとは違ってきたのだ。

たまたまそういう成長段階にあったのかもしれない。
だが、ずっと家の中で過ごしていた状況から自然豊かな公園に行ったあの日、娘の中でも少なからずの変化があったのは間違いないと思う。歳を重ねて感覚が鈍くなってきている僕でさえ、 あの日の久しぶりの公園のことは未だに忘れることができないのだ。家にはない自然や生き物と触れ合うということが子どもにとって、そして大人にとってもいかに大切なことか。人間は、ウイルスを怖がって家の中だけにいるわけにはいかないのだ。

あの日以来、公園には最低でも週に1度は行くようにしているし、週に3日は保育園に行ってそこでも公園に行っているから、娘はほぼ毎日のように公園に行くことができている。
保育士さんから聞く話によると、公園に行って水遊びをするとき、娘は水を怖がることなく誰よりも大はしゃぎして遊ぶそうだ。子どもは誰だってそうだろうが、娘は外に出て遊ぶことがとても好きなようだ。

保育園では他の園児や保育士さんとも遊ぶことはあるだろうが、公園では人間以外と触れ合う時間も多くなる。この人間以外のものと触れ合うということは、子どもにとってはとても大切なことだと思う。

一時期と比べて人間以外のものと触れ合う機会が多くなったことが、娘の世界をより外に向けさせた。
何かを怖がるようになった最近の娘の反応は、娘にとって一つの大きな成長の段階であるように思うのだ。


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