⑦一回目のピリオド
2021年4月29日夕方、友達から三度目の電話がありました。
多分、mixi でやり取りできるのも最後だと思う…という内容でした。本人としても見通しが付いている、という訳では無かったのだと思いますが、また可能な状況になったら電話をしてもいいですか?──と訊かれ、「もちろん」と答えた。どことなく曖昧さがあったけれど、もうこれで終わりになってしまうのかもしれないと思うと堪らなくなりました。
彼にはこちらの名前や住所などは伝えていたけれど、僕自身のことをもっと伝えたい思いがあり、少し迷いもありましたが、翌日早朝、僕自身の写っている写真を「呟き」にアップしました。まず最初に、仕事中に撮った手の写真、そして全身の写真。もう既に入院されているかもしれず、「呟き」に反応があるかどうか分からなくて焦燥感がありました。「お願い!! この呟き絶対に見て!!!」という気持ちだったと思います。
自分の写真を出すことについては、「彼をガッカリさせてしまうかもしれない」っていう、そういう種類の迷いがありました。確かこの時に、自分の職場も伝えたように記憶しています。(時系列が今となってはゴチャゴチャです)
夕方、仕事の終わる時間頃に、友達からの反応がありました。仕事中に撮った土塗れの指が恥ずかしかったですが、彼はそれを「男らしいカッコイイ指」だとコメントしてくれて、容貌についても「知的」だ…などと評してくれました。友達に見てもらえて良かった・・・こちらがどういう人間かどうしても伝えたかった思いが通じて、仕事帰りのバス車内で、コメントの返信を泣きながら書いていました。
バスから電車に乗り継いだ後も、電車内で彼とのコメントのやり取りは続き、車窓から見える観覧車を撮って「呟き」しました。
その呟きを受けて、「帰宅された頃にもう一度電話しても良いですか?」と訊かれ、こちらの帰宅時間を伝えました。
「家に着きました」と「呟き」してから数分後、電話が掛かりました。何で直ぐに掛けてこないんだ!! ── なんて思いましたが、「すぐに掛けたかったけど、手洗いとかの時間が要るから…」なんて彼が言いました。そういう彼が可愛くて仕方ありません。
その時の電話でどんなことを話したのか、もう記憶は曖昧です。
いつの段階の会話だったか忘れてしまいましたが、今はコロナ禍であるし、自分が死んでも人を集めての葬儀はせず、幼馴染や小さい頃の友人へのお別れの手紙を用意している──と聞いて、思わず「僕にも書いて!!」って言いました。彼がどうなったか分からないままになる可能性が頭に浮かんで、そういう状況に自分は耐えられないと思いました。
彼の躊躇が電話から伝わりました。「そういう体力がもう無い」ということ。それと僕たちが「マイノリティーであることの“事情”」が大きいように察せられました。
電話での会話を終えてから、DMが届きました。
「昨日の電話が最後のつもりだったのに、つづきみたいなことをしてちょっと恥ずかしいです」。僕の顔写真を見たら、少しでももう一度声を聞きたくなってしまって・・・と書かれていました。そして病気がいよいよ重くなった時に、僕との二年前のやり取りが思い出されて、4月始めに新しいアカウントからメッセージを送ったのです…ということも。
「今日がコメントや電話でのやり取りのできるタイムリミットと思います。また体力が回復するようなことがあれば電話させていただきます」
その夜、更に「呟き」でのコメントのやり取りをして、その日が終わりになりました。最後の話題は、僕たち二人が共にファンの、倍賞千恵子さんの歌のことでした。
「一度も倍賞さんのコンサートに行かなかったことが悔やまれます。やり残した、やれなかったことを沢山残して逝くのが人生なのかなとも思っています。でも、何とか生き延びれたら是非ご一緒しましょう」
それが彼からの、その日最後のメッセージでした。
今日、6月25日、東京オペラシティで倍賞さんのコンサートが偶然あります。僕は久しぶりに行きたい…という気持ちもありましたが、結局チケットを買わずじまいでした。昨日ギリギリになって、コンビニでチケットの検索をしてみましたが、どうも売り切れなのか表示されず、今回はやはり行くのはやめよう…と決めました。
2019年に、もしかしたら友達と逢えたかもしれなかった時のコンサートチケットです。⬇
『🎶蘇州夜曲/倍賞千恵子』YouTube動画
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