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⑬寄り添っていたい

2021年5月26日、友達が mixi の場に戻ってきて、以前のように又やり取りができるのだ…とはじめは思っていた。だが、どうにも様子が変だ。友達の唯一の反応は「足あと」を残してくれることのみで、他の反応は何も無い。友達への「呟き」を毎日発信していたが、ログインはしても「足あと」は残さずに素通りという日もよくあった。

彼の「足あと」のみが僕の支えで、それの無い日はとても悲しかった。

6月末までは毎日ログインがあったが、7月中旬からはログインの無い日も出始めた。

彼は本当に生きているのか…。このアカウントの中にいるのは本当に友達なのか…そういう疑念は常にあった。

それでも・・・闘病している人の心は、周りの者なんかには絶対に分からないんだ・・・以前のように「イイネ」を付けられるような心境ではきっとないんだ──そう考えて自分を納得させた。

7月2日、mixi ではなく、初めてTwitterアカウントから友達にDMを送った。「既読」が付く 。(Twitter は mixi と違ってログイン状況は分からないので、何も発信をしていない場合には既読が付くかどうかでしか、中の人間の様子が分からない)。それまでずっと、「この mixi のアカウントの中に居るのは友達だ」と信じる気持ちと、もしかしたら他の誰かに乗っ取られているのではないかという疑念と、心の中で揺れていた。それでもTwitterのDMに既読が付いたことで、僕はやっぱり友達なのだ・・・と思うようになった。mixi と Twitter と、両方乗っ取られるということは無いように、その時は思えたので。

この頃はまだ、いつ友達がログインできない状態になるか予断を許さないと思っていたので、「足あと」を見つける度、嬉しさと安心で涙を流していた。友達のことを思って、苦しくなる夜も沢山あった。

ログインはしても「足あと」の無い時 ── それには一体どういう意味があるのか、僕は知りたいと思った。以前よりもずっと深刻な状況にいるであろう友達に対して、僕の呟きは時として能天気に過ぎるものもあったという気がして、もっと友達の置かれている状況のことをよく考えて発信しようと思った。

『死にゆく人と何を話すか』『死ぬ瞬間の言葉』『大切な人の看取り方』…その他、残された家族の為の本…色々読んでみた。このような本を読むのは苦しいことだったが、少しは僕の心構えも変わったのかどうか…… “ログインのみで素通り” という日が一回も無くなったのは、翌2022年の6月以降からだった。


友達が好きだったオペラ、落語、音楽、映画・・・それらを僕も知りたいと思い、CDやDVDを買い求めた。

そして2021年10月、友達が大好きだという、池上本門寺の周辺へ初めて行ってみた。厳かで清々しく、引き締まった空気のある町……僕もあの町が好きになった。本門寺には、これまでに六回行っている。本門寺では友達の干支の根付けを買い、それを彼の身代わりとして大切にしている。

11月から12月にかけて、友達が追いかけていた噺家さん、紙切りの芸人さんを見る為に、ホールや寄席などに行ってみた。友達も行ったであろうホールでは、この同じ席に彼も座ったかもしれない…そんな思いにもなった。



2021年12月25日以降、友達のログインがまるで無くなった。それまで最長のブランク (転院後を除いて) は9月下旬からの7日間。この時はそれを超えていた。これでおしまいなのか・・・。そんな思いに駆られながら、2021年の年末を迎えた。




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