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⑩絶望

2021年5月10日、友達とのやり取りがプツリと切れた。いきなり訪れたピリオド。こうなる前に、友達に聞いておくべきことは沢山あった。

何より一番大切だったのは、彼の身の回りの世話をしていたという、彼の弟さんの連絡先。自分はどうあっても知りたいと思ってはいたが、一度もその願いを口に出して言うことが出来なかった。彼の性格的に、こうした個人的な事柄を教えてくれるとは思えなかった。そうした質問をすることは得策ではないように思えて自ら控えていたのだが、もう少しやり取りを交わす時間が続いていれば、僕はきっと友達にそれを尋ねていただろう。いや、こんなことになる前に、もっとあけすけに話をしていれば良かったのかもしれない。「貴君きみの消息が分からなくなってしまったら、僕は苦しむことになる」って。

それでも、この短い期間のやり取りを続ける中で、友達は少しずつ心を開いていたと思う。自らのパーソナルな情報を彼の方から開示し始めていたのだから。僕は何一つ、彼に強要するようなことはしていない。

僕は友達の顔も知らない。もちろん、彼がどんな感じの人なのか、知りたくて仕方なかった。

5月9日の電話の時、「私がどんな顔の人でも良いのですか?」って彼は聞いてきた。「浜田さん (←僕が一時期夢中になっていた、往年の脇役男優) みたいな顔だ…って思っているんですか?」

この質問に、僕は実はたじろいでいた。本当に彼がどんな容貌でも好きになれるだろうか……。瞬間、そんなことが頭を過ぎったのは確かだ。

「そういう風には思ってないよ。今までのやり取りで好きになったんだから…」

その答えを待って、彼はこんな風に言った。

「眉は濃いめでハッキリしています。
眼は…細くはないです」

もしかしたら‪この時、僕の答え方如何によっては、彼は自分の写真を送ってくれるつもりだったのかもしれない──何故だかそう思った(僕が持っている唯一の彼の写真は、mixi のアカウントに使われていた、眉がチラリと見えている、おデコまでが写っている写真だ)。

ネットを通じて知り合った…ということもあるが、友達がある種のセーブをしているのは、やはり僕たちがマイノリティーであることが一番大きいと思っている。


彼が退院してからの、この急転直下はなんだったのだろうか・・・。退院の日から僅か三日での転院決定。そして昔の友人や職場の人への手紙を何故書き直そうと思ったのだろう。そう言えば9日の楽天的だった電話の日、彼は「倍賞さんのコンサートに (僕と) 一緒に行けるのも、二年ぐらい先かな…」って、そんな風に言っていた。あの時に、違和感は確かにあった。変に楽天的な彼の様子──。電話で連続して会話した三日間、その間に何があったのだろう。


やり取りが消えた空白の日々。僕は彼が転院前まで入院していた病院に二度行った。褒められたことではないが、彼の転院先を教えてもらえないものか・・・と思ったのだ。悪いことをしている様な感覚…。もっと上手く病院の受付で話を進めていたら何かしら様子が分かったのかもしれない。でも駄目だった。

〈転院前の病院は、偶然僕の職場と関連のある病院だったので、彼も僕に伝える気になったのだと思う〉。

(仮に彼の転院先が分かったとして、僕が病院に駆け付けても、彼は当惑するばかりだったろう。こちらも合わす顔もない。それでもこの壁を何とかしたい思いがあった)


欝的な状態に陥って、5月中旬過ぎの仕事帰りのバス車内で、僕は過呼吸のような状態になり、息が出来なくて苦しくなった。息を吸っても吸っても足りない。翌日初めてメンタルクリニックへ行き、パニック障害の一つと診断された。

欝的な状態は続いたが、一つのアイデアが浮かんだ。「友達とのやり取りは全てプリントアウトしてあるし、ノートにそれを上手く貼り付けて纏めよう!!!」

そう思ったら、気持ちが明るくなった。それが5月の25日。


翌26日、驚くべきことに、友達の「足あと」が付いた。最後のメッセージから16日後のことだった。


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