見出し画像

プロセッサの地政学

この文章は、毎週火曜日に発行している「週刊 Life is beautiful」からの抜粋です。米国西海岸で暮らす起業家・エンジニアとして、テクノロジーやビジネスのことを書いています。

今年は、Apple が Mac 向けに自社製プロセッサを採用すると発表したり、NVIDIAがARMをソフトバンクから買収すると宣言するなど、プロセッサ関連の大きなニュースが続きましたが、こんな時こそ、一歩下がって、業界全体の流れとして何が起こっているかを理解することが大切です。

私は、こんな時に「地政学」という言葉を使うのが好きです。

世界の各地で起こっている戦争や紛争も(例えば、シリアとトルコの紛争)、その事象だけ見ると局地的ですが、実際にはその背後にもっと大きな力(米国とロシアの覇権争い)や、別の力(宗教対立、石油利権争い、武器商人の暗躍、米国大統領選など)が働いています。そういったものを巨視的な視点で研究することを「地政学」と呼びますが、経済の世界においても、同じことが言えるのです。

そこで今回は「プロセッサの地政学」というタイトルで書くことにしたのですが、このタイトルは元々は書籍向けに思いついたものです。今年末には Apple が自社製チップを搭載した Mac を発売する予定だし、書籍が発売されることには NVIDIA による ARM の買収の件も明らかになっているだろうし、タイミングはピッタリです。「エンジニアとしての生き方」を出版してくれたインプレスジャパンあたりなら、喜んで出版してくれそうです。

しかし、いざ書籍にするとなると、必ず編集者から「8万字は書いてください」などというリクエストが来ます。ビジネス書としてそれなりの値段の書籍として売るのであれば、ある程度のページ数は必要だ、という昔ながらの考え方です。中身に関わらず、文字数で値段が決まるのが、出版業界なのです。

私自身、ビジネス書を読んでいて、「こんな話、4~5ページぐらいにまとめてくれた方がずっと読みやすいし、時間の節約になるのに!」と感じることはしばしばです。「イノベーションのジレンマ」や「ブルー・オーシャン戦略」のような名著であっても同じです。しかし、書籍として販売する限り、それは出来ないのです。

本来文章は、「分かりやすく簡潔である」ことが大切なのにも関わらず、出版というビジネスがそれを歪めてしまっているのです。ブログやメルマガであればページ数など気にせずに情報を届けることが出来るので、より効率の良いメディアだと言えます。

少し話が外れてしまいましたが、ここからが本題です。

RISC/CISC論争

一つの命令で数多くのことをさせる CISC(Complex Instruction Set Compute)、逆に一つ一つの命令を単純化することにより効率化しようという RISC (Reduced Instruction Set Computer)のどちらが優れているのか、という議論が研究者たちの間で熱心にされたのは、1980年から1990年代のことです。

現在、CPU の世界を二分している Intel X86系プロセッサと ARMプロセッサは、それぞれが CISC と RISC の代表選手の様な存在ですが、既に戦いの場は、「CISC か RISC か」という理論上の議論から、実際に「どちらのプロセッサが適しているか」というエンジニアリングとビジネスの場に移っています。

そのため、今更「CISCかRISCか」という議論には意味がないものの、パソコン向けのX86が、登場以来40年近くの間、消費電力やコストや大きさを度外視してひたすら性能を高めるべく進化して来たのに対し、組み込み機器向けのARMは、消費電力、コスト、大きさの面での様々な制約の元に進化して来た点は、注目に値します。

結果として、Intel はスマートフォン市場では ARM に完敗してしまったし、ついにノートパソコン市場でも、市場を ARM に奪われつつあるのです。プロセッサに対する評価基準が、単なるクロック数や絶対性能から、「消費電力あたりの計算能力」に移りつつあり、それが、長年、消費電力が重要な市場で進化を遂げて来た ARM にとって有利な状況を作り出しているのです。

ムーアの法則

ムーアの法則とは、Intel の創業者の一人である Gordon Moore が経験に基づいて作った「トランジスタの集積度は、18ヶ月毎に倍になる」という経験則で、Intel の成長は(そして、コンピュータ業界全体の成長は)、まさにこの法則に基づいた急成長を続けて来ました。

しかし、ここ数年、その急成長に陰りが生じています。

まず第一に、集積度の向上のスピードが実際に遅くなって来ました。(原子の大きさという)物理的な限界に近づいて来たこともありますが、チップの製造工場の設備に必要な投資額が、集積度に応じて上昇していることも、大きな要因です。莫大な投資に見合うだけの売り上げが見込めなければ、積極的な投資が出来ないのは当然です。

最近、Intel は 7nm プロセスへの移行が2022年までずれ込むことを発表しましたが(Intel's 7nm is Broken, Company Announces Delay Until 2022, 2023)、TMS に製造を委託している Apple は、既に 5nm プロセスで作られたプロセッサ(A14 bionic)を搭載した iPad Air を今月から販売し始めました。

iPhone/iPad 向けの ARM プロセッサが、パソコン向けの x86 プロセッサを追い越してしまった、象徴的な出来事です。

こんな歴然とした差がついてしまった理由は色々とあると思いますが、iPhone/iPad という着実なマーケット(つまり、新型プロセッサの受け皿)を持った Apple + TMS が積極的な投資を出来たのに対し、最新の技術を使った高性能なプロセッサを作ったところで、必ずしも投資額に見合う価格で売れるわけではない Intel が本気でアクセルを踏み切れなかったことが大きな要因だと私は見ています。

GPUの台頭

Intel のビジネスを難しいものにしているもう一つの原因は、GPUの台頭です。GPU は、元々は3Dゲーム向けに作られた専用のプロセッサでしたが、最近は画像処理、機械学習、科学技術計算、マイニングなどの大量なデータ処理に使われる様になりました。

Intel が得意とする CPU は、様々な計算が出来る汎用の計算機ですが、並列性が低く、集積度を上げて複数のCPUを一つのチップの中に詰め込んでも(マルチ・コアと呼びます)、あまりメリットはないのです。

それと比べると GPU は大量のデータに対して同じ様な計算を同時に計算する並列処理が得意で、集積度を上げた分だけ計算能力が上がるのです。

結果として、ここ数年の集積度の上昇がGPUの処理能力に与えたメリットは、CPUの処理能力に与えたメリットと比べて桁違いに大きいのです。ざっくりとしたイメージとしては、CPUの能力は毎年10%しか上昇しないのに、GPUの能力は毎年40%上昇する、ぐらいに思っていて結構です(何を計算するかによって、実際の数字は異なります)。

結果として、GPU市場で大きなシェアを持つ NVIDIA は大きく売り上げを伸ばしたし、(2006年に ATI を買収した)AMD にも大きなメリットがありました。Intel も一応 CPU にバンドルする形で GPU を提供していますが、あくまで、専用GPUを搭載することが出来ないローエンド・パソコン向けのものでしかありません。

NVIDIAとAMDがパソコン向けのハイエンドGPU市場で激しい戦いを繰り広げる中、スマートフォン向けのGPUの開発に巨額な投資をしたのが Apple です。

ここから先は有料(1000円)ですが、私のメルマガ(月額880円、初月無料)に加入していただければ、そちらで読むことも可能です。ここからの収益は、すべて非営利団体シンギュラリティ・ソサエティに活動費として寄贈されます。

ここから先は

10,999字

¥ 1,000

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?