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子どもにキレた出来事を「外在化」しながら進むべし

おとといの朝は、久しぶりにマズかった。時系列で書くと、

(前日夜)
私が次女と三女と3人でセミダブルベッドで寝る
夫が寝ている次女を次女のベッドに移す
夫が次女と寝る

私がいつもより30分遅く起きる(午前4時)
次女が5時半に泣いて怒り出す
「お父さんと寝たくない!」
起きて私とオセロがしたいと言う
私は仕事をしていたので断るが次女がキレ出す
私が逆ギレしながら次女とオセロをやる
途中で長女が起きてくる
長女が「私ともやってよ!私とはやらないなんて意味わかんない!」と言い出し、
私も断りかけるがやることにする
次女がテレビをつける
長女「テレビつけるなんてずるい!」
私「今は朝ごはんでもお勉強中でもないからいいんじゃない」
長女「見ちゃうもん!おしたらオセロできないもん!」
次女も泣き出す

無理やり子ども部屋に移動し、さりげなくラジオをつけ(テレビの音が気にならないように)
オセロをやって朝ごはん。

この日は私自身がキレながらこの流れになってしまった。キレてもキレなくても、同じ流れになるのに。火種はそもそも、いつもと少し違ってセミダブルで無理やりみんなが寝たことなんだよな。

この話は、事が起こった朝の通勤時間で書き始めた。仕事と関連して思っていることは、ブログを書くという作業は、そして書いたものを読むことは、内面の「外在化」のひとつなのかもしれないということ。悩んでいる自分や抱えているものを脳内から外に出し、客観的に眺めるというのは、気持ちを整理したり前に進んだりするのに大事なことらしい。

私の解釈が合っているかどうかは別として、しんどかったことや子どもとのあれこれを外に出すことは、セラピー的な要素があると前から思っていた。学生時代から続けているブログもそう。

そんなことを思いながら、今朝も早起きしすぎの次女と三女に悩まされながらこのブログを書いております。そういえば私の子育て方針のひとつは「根に持たない」なので、ブログで外に吐き出しながら進んでいくことは方針に沿ったものだとも言えますね。

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