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朝のつぶやき 230507

おはようございます。今日も朝のつぶやきやっていきます。今日はGW最終日。そして大雨。ちょうど良い、天気は分かってるね。家でゆっくりしろよと誘ってくれているのだろう。そう言わんばかりに土曜の深夜から降り出した雨。今日は一日中止まないそう。今回の11連休を振り返って思う事はいつも通りたくさんある。その中でもなんといっても琵琶イチ完走を通して思う事が大きい。といっても、今まで気づいていたことを体感して更に確信したといったところかな。つまり、思考は現実化する、ということ。そうだと決めたことを行動に移し、そうなるまでやる。これ、よく勘違いする人が多いのよね。思考は現実化する、つまり、善し悪し関係なく妄想したことが起こってしまう、ということなのよ。脳みそは、その脳を持つ生命が思ったことを達成させようと働く。その時、この世界の忖度感情を加味せず、インプットに対してそのままのアウトプットを出そうとする。これは止められない。思ったと同時に勝手に働いているから。だからこそ、できるだけ自分の心が嬉しくなるような未来を想像してあげると、つまりは自分にとって気持ち良いことが現実になっていくということなんだよね。今回のビワイチを例にとると、まずはやってみたいという自分の積極的な好奇心が根底にあって、それを達成している自分が想像されるわけだ。そのゴールの自分と今の自分を比較して、足りない部分を補完していく。物理的に。道具がなければそれらを購入するという行動を起こさせたり、スタート地点から走り始めて、ゴール地点までの道のりを、険しい山道を、進ませたり、もう痛くて休みたがっている脚を動かしたり、とにかく脳みそがアウトプットしているゴールに向かって現実を作っていく。たとえばここで、もう苦しいから途中で断念しよう、と思って途中終了してしまったとしよう。実はこれは思考の現実化に失敗した、というわけではなく、途中で断念しようと思ったことを現実化したといことなのだ。そういう見方をすれば、やはり思考は現実化するということは、なんら特別なわけではなく、至極当然のこと、脳みそのある生物の自然摂理、といっても過言ではないのではなかろうか。巷に並ぶ書籍のなかにはこの文言をタイトルにしたものが見受けられるが、そんなのもはや、車輪の再発明くらい滑稽なのかもしれない。というか、そんなことに気づけなくなっている人が現在多くいることが恐ろしいのかな。かくいう自分も最初から気づいていたわけではなく、このような書籍を見た青年時代に気づいたその一人なのだが。すこし話が逸れたが、思考の現実化というのは当然に起こり得ること、ということを書き記したかったのです。言い換えると、叶えたいと思ったことは全て叶うようになっている。大それたことを周囲に伝えた時、人は「夢みがちなやつだな〜」というふうに批判姿勢をとるやつがいるだろう。下手したら大勢の人が人の気もしらないで簡単に批判し、自分の価値観と比べてのモノしか言えないにもかかわらず、あたかも妥当性のあるような薄っぺらいことを、さも貴方のために言っているんだという正義を振り翳してくるだろう。だが正直、そんなの全く気にしなくて良い。本当に。好きなだけ言わせておけ。君が心に留めておけば良いのはこれだけだ。「現実は人の夢からできている」。思ったことからしか現実は生まれないんだ。だから、こうだったらいいなとか、ああしたいなとか、そんな明るい未来、楽しい未来、を想像できたのだとしたら、それは本当に最高だ。実はこういうことを思えているのは全員ではないだろうから。悲観的なことばかり考えて、現状維持、そのまま衰退しこの世から消えて無くなる、今世では何も生み出さない設定になっている、そういう存在もいるんだ。そういう存在に出会したら「あ、今世はそういう設定なんですね。じお疲れ様です。」と心の中で思ってやったらいい。そうすればほら、自分の心が楽になったでしょう?同じ時間を過ごしていても、人はそれぞれ目的も目標も設定も何もかもが異なる。異なるということに悲観しなくてよい、そういうもの、なのだから。だから、自分ができることをやろう。それだけに集中すれば良い。むしろそれが自分に与えられた設定なのだから、とことんやちゃえばいい。そう思います。今日はこれくらいで。ほな。

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