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英語ができなくても海外旅行にいく理由。

「英語ができる」


そう言える日本人はどれだけいるだろう。



学校英語が嫌いだった私も義務教育で6年、まさかの大学では英文科に進み4年、そしてアメリカ留学2ヶ月半。

合計10年以上。


よく考えたらもうそろそろ話せるだろうと思うのに、まだ英語が話せると意気揚々に言えない。


でも周りから英語できるよね、とか会社でも外国人の方が来たら代わって、と言われる始末。



私は英語ができるというより、外国人と話したりするのが好きなだけなのだ。


物心ついたときから、母から海外旅行の話を聞いたり、遠い親戚にカナダ人がいたり、祖父がカリフォルニアの駐在員だったという昔話から海外が近くに感じられた。


そして何故だか、必ず私は海外に行くのだ
と幼いながらもこの先の未来に海外渡航を運命付けていた。


20歳のとき初めて渡った、アメリカ。
ペンシンバニア州の田舎町。


想像していた海外はすごそこに当たり前にあって、人々も皆同じようにご飯を食べ、ネットサーフィンをし、SNSに投稿したりしていた。



でも日本と確実に違うなと思ったのは、コミュニケーションの取り方。


相手の目を見て、年齢関係なく自分の意見を言う。自信がないような人は一人もいなかった。それこそがすごくキラキラしていて、包むような優しさもあって、まだ子供だった私にはとても心地良い刺激だった。


どうしても狭い世界にいると、私は息が詰まる。
特に見た目を気にする日本にいると、こうしなくちゃいけない、こうあるべき、という目に見えないプレッシャーがいくつもあって疲弊していた。
こう言ったらこう思われるだろうな、って。


海外に行くと、大体こんな会話が出てくる。


「何に幸せを感じる?」とか
「どこに行きたい?」


でも仕事があって難しいんだよね…と言えば、

「なんで行かないの?」
って至極真っ当なことを返されて…え、それが日本cultureだから。としか言えない私。



こうやって日本の当たり前を見直すとともに
本当の自分に立ち戻れるような感覚になる。


本当はなにがしたいの?って。



だから、会話が拙くても英語に自信がなくても海外に行きたくなる。


そこまでの行動力ないわ、と友人に言われることもある。


でもそもそも英語はツールで、「英語ができる」という日本語がおかしいのだな。I can speak English.って なんだか変。学問にしすぎてしまっている日本教育がもったいない。





しばらく海外渡航は難しそうなので、英語に触れる時間を設けて次の旅への妄想を楽しもうと思う。




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