サブリミナル・マインド

情報

著者:下条信輔
出版社:中央公論新社
出版日:1996年

ジャンル


心理学

こんな人におススメ


・心理学に興味がある人
・CMの効果を知りたい人
・心理学を活用したマーケティングに興味がある人
・感情の勉強をしたい人

概要

1996年出版ということもあり、内容的に少し古くなっている部分もあるとは思いますが、心理学に関して少しでも関心がある人には読んでほしいです。我々人間はどういうことをなぜ考えるのか、自分でも時々わからないことがありますよね。感情をコントロールできないことも多いと思います。
感情がどういう仕組みで現れるのか、無意識のうちにしてしまっていることなどを学べるので、そういえばそういうとをしている気がするなという風に、ご自身の行動に当てはめて読んでもらえると理解が深まりやすいと思います。

Life Essenceメンバーへ


Essence Knowledgeにジョハリの窓という項目がありますよね。あれは自分のことを自分がどう見ているか、他人が自分のことをどう見ているかという枠組みになります。経営やマーケティングの戦略は心理学から応用しているものも多くあるので、ぜひ参考にしてみてください。

なお本記事は私自身理解があいまいな部分も多いので無料記事としています。

内容

序 私の中の見知らぬ私
・見たり、考えたり、選んだり、好き嫌いをいったりするとき人はしばしばそうした知覚や行動の本当の理由に気づかない。
=人は自分で思っているほど自分の心の動きを分かっていない。
・人は意識<無意識に強く依存している。

我々の多くの行動は無意識だと思います。むしろすべての事を意識的にしていたら脳みそがパンクしてしまいます。しかし無意識だからこそ、その行動に気づかないんですよね。無意識の意識化という言葉がある通り、良い習慣は意識的に形成していくようにしましょう。

・人間は「暗黙知」を持つことによって問題を解決できる。
「暗黙知」…潜在的で無意識的で無自覚的な技能や知識
・「潜在的な認識過程」…本人の自覚なしに、刺激が知覚や行動に明確な影響を与えている。
例)サブリミナル・コマーシャル

これはテレビなどでも実験結果が示されているので知っている方が多いと思います。CMの中にある商品の画像を0コンマ数秒レベルで複数回表示すると、それが購買行動に繋がるということです。何でといわれてもそういうものということなんでしょうが、人間の知覚は本当に不思議で興味深いですよね。

第一講 自分はもうひとりの他人である 自己と他者の社会認知心理学
・自己知覚の方法
①内的手がかり(自分のみが知る要素)→思うよりも強くは無い
②外的手がかりが意外と多く働いている
←こう考えられるようになったのは他者シュミレーションというもの
⇒自分の態度や感情を推測する過程と、他人の態度や感情を推測する過程は本質的に同じだとした。つまり自分はもう一人の他人だということ。

ジョハリの窓でいうところの盲点の窓や未知の窓もあるところからも、このことが言えます。一番有名なのが癖ですが、自分のことって意外と自分も知らないんですよね。だからといって無理に知ろうとするのではなく、知らないことを受け入れてその自分も好きになることが重要なのかと考えています。

第二講 悲しいのはどうしてか? 情動と帰属理論
・身体の生理的状態と心の状態の間には密接な関係がある
例)悲しい⇔涙が出る
考えられているのは悲しいから涙が出るということだが、涙が出ている悲しい感情になるということもある。
→「興奮するような出来事を知覚すると、直ちに身体に変化が生じる。そしてこの変化に対する我々の感じ方が情動である」=身の変化が情動に先立つ
・情動の自己経験はいかにして形成されるか?
身体的経験→潜在的認知過程(序章参照)→自覚的情動経験
知覚から行動に至る無自覚的な経路がより基本的で、意識的な経験はこうした無自覚的プロセスに対する後付けの「解釈」に過ぎない。

我々は何かを経験した時に感情を抱きます。しかしその感情がずっと続くことは無く、他の経験によって上書きされます。そして時間がたてば当初の感情とは全く違う解釈を与えることも可能になります。なので過去の事実を変えることは出来ないですが、過去の解釈を変えることは可能になります。

・情動二要因論
前提:「情動による生理的喚起(=興奮状態)は、情動の種類に関わらず共通である。」
この前提に基づいて二段階のシナリオを考える
①生理的な喚起(興奮)状態の認知
②情動ラベル付け(喚起状態の推定、原因への帰属)
以上の二つが満たされて初めて情動認知が成立する。

つまり我々は無意識のうちに「あ、今何かしらの感情が芽生えているな。」と感じてその感情に対して喜びや悲しみ、怒りなどと判断しているということですね。そんなステップを踏んでいる実感は無いでしょうが、無意識とはそういうものなのでしょう。

・人は自分の主観的な情動の経験「決定する」ために、自分の内的状態と状態が生じている環境を評価する。

「私はいま嬉しい気持ちだ」という情動は、精神的な状態と、うれしいと思う環境が原因になって起こっていると解釈されるということでしょうか。
この辺りはかなり難しいですね。無意識のうちに感情が生まれていて、そこに我々は無意識にラベルを張っているくらいに考えてください。

・情動経験においては生理的興奮そのものよりもそれに対する自己認知が必要。→興奮は情動によって大差ないので、それをどういう情動か認知することが肝になる。

喜びと悲しみは興奮状態としては同じ、ただ今までの経験上「これは喜びだな」「これは悲しみだな」と判断しているようですね。

・悲しいのはどうしてか?という表題に結論をつけるなら
→悲しいという情動は、例えば泣いているという生理的興奮を「悲しい」とラベル付けを行うことによってそれを悲しいと認知している。

第三講 もう一人の私 分割脳と「自己」
・脳は毎秒とてつもない量の計算をこなしているが、そのことに我々は全く気付いていない。
→潜在的な心的過程の存在を認めざるを得ない。
・分割脳…脳梁を切断され、大脳両半球が分離した状態の脳
お互いが交差しながらも繋がりを持たずに存在している。
⇒人は自分の認知過程について、自分の行動から無自覚的に推測する存在である。

第四講 否認する患者たち 脳損傷の症例から
・「盲視覚」…脳損傷者の一部にみられる、特殊な視覚機能。
神経学的障害により、視野内の一部に損傷がある。
この部分を刺激されると知覚しているという本人の自覚なしに反応できる。
⇒潜在的な知覚現象を示している
・「病識欠損」…自らの症状を自覚せず、その存在を否定することがある。
←脳は他の場所から誤った情報を共有されているor自ら誤った解釈を創出している

第五講 忘れたが覚えている 記憶障害と潜在記憶
例)今日の朝にパンを食べたのは彼ではなく私だ
しかし、体験の記憶と事実の記憶は質が異なる
体験:昨日私は東京ドームに野球観戦に行った
事実:試合はジャイアンツが勝利した
このうち人格の同一性に直接かかわりそうなのは体験の記憶。

昨日東京ドームに行ったのは私だというのは成立するが、昨日ジャイアンツが勝利したから私は私だということは成立していないということですね。

・忘れたことを思い出すということはミステリアスな事である
なぜいったん薄れた記憶が鮮やかによみがえるのか
そして思い出す度に、状況や文脈に応じて内容が著しく変化する
・潜在記憶と顕在記憶
〇潜在記憶:知識を持っているとテストなどで証明できたとしても、本人自らが気づくことは無く、またそれに意図的・自覚的にアクセスできない記憶
〇顕在記憶:自分はその記憶を知っているということを自覚出来て、思い出したいときに思い出せる記憶
・記憶の存在証明
①再生 ②再認 ③節約法=再学習
潜在記憶においては③が重要=一度忘れてしまった単語を思い出すのは1から始めるよりも短時間で可能。つまり完全に忘却してしまったわけではなく、潜在記憶として脳の中には残っている。
潜在的な記憶過程が顕在的な記憶過程の根元に存在している。

Life Essenceメンバーはエビングハウスの忘却曲線を知っているので、このプロセスは理解できますよね。人間は完全に忘れていると思いこんでいるなにかのとかかりで思い出すことがあるんですよね。記憶はタンスにしまわれていて、関連するところが開かれると連鎖的に開かれていくという例えだと理解しやすいかと思います。

・宣言記憶と手続き記憶
健忘症の記憶障害は、全てではなくある種の記憶だけが障害を受ける。
→記憶の多元システムが有力に、ではどのような記憶が損なわれやすいのか?
→宣言記憶は損なわれるが、手続き記憶は損なわれない
〇宣言記憶:事柄の知識  
〇手続き記憶:やり方の知識→潜在的・無自覚

手続き記憶で良く例に出されるのは自転車の乗り方です。自転車に一度乗れるようになれば、5~10年乗らなくても体が乗り方を覚えていますよね。つまり、健忘症になっても自転車に乗ることは体が記憶しているということです。

第六講 見えないのに見えている 閾下知覚と前注意過程
・「見えた」「聞こえた」という自覚のない知覚によっても、私たちの行動や好みは影響を受けるのか?
→無意識レベルでの情報処理が、後の知覚や行動に効果を及ぼす。
・「前注意過程」
例)カクテル・パーティ効果…今している会話の背後で自分の名前や興味のあること、重要な情報が出たときに無自覚的に意識に上る
・注意の二過程説
単語などの情報処理には二種類の過程がある
①自動的で無意識的で素早く、意図による抑制のきかない活性化のプロセス
②意図的で意図による抑制が効くが、遅くて情報処理に限界があるプロセス①が本講冒頭の問いに対する答えの根拠となる

第七講 操られる「好み」と「自由」 サブリミナル・コマーシャリズム
・「自由」な行為は本当に自由か?
〇内発的動機付け…個人の内部にある欲求や意思
例)お腹が空いたから食べる
〇外発的動機付け…環境の側にある事物や情報により触発され喚起される
例)目の前に美味しそうなものが置かれていてつい食べてしまう
外発的動機付けは100%自由意志とは言い切れない。
・「自由な行動」の複雑な仕組み
本当に欲しいと思ったものでも広告などの影響を完全に排除できない。
広告やCMが効果を発揮するためには=単純呈示効果
①説得性原理:商品の存在と魅力をアピールし、優れていることを納得させる
②親近性原理:単に知っている状態にする
・サブリミナル単純呈示効果=本人が知覚や経験について忘れてしまっている
本人は知っているという意識がなくても潜在記憶に基づき好ましさの判断を行う。⇒見覚えのないCMによって買う商品が変化している。
つまり、自分では自由意思に基づいて行動を決定していると思っている購買行動が、実はそれほど「自由」ではないという懸念が再び出る。

第八講 無自覚の「意思」 運動制御の生理学と哲学
・認知において意識の表面化をすり抜けて直ちに行動に至る経路がある
例)逆さ眼鏡→とっさの何も考えない行動の方が適応的な事もある。

これは反射がそうかと思います。
熱いものに触った時に、脳で熱いと認識してから手を離すとその時点でやけどしてしまっていますよね。体の危機を避けるためにもこういう生理反応があるのです。

第九講 私の中の悪魔 自由意志と「罪」をめぐって
・「時代の人間観」=人間はこう振る舞うものだ、人間は本質的にこういうものだという人々の常識。これは時代につれて大きく変化する。
現代は個人の独立性と自由意志を尊重し、他人の自由を保証するための「責任」を強調する価値体系に優先権を与えている。

確かに今の時代個人の生き方は何にも縛られてはいないです。しかし本質的に考えたときに、日本はまだ学歴社会ですし、就職が当たり前という風潮があります。なので本当の意味で行きたい生き方を選択できているかというと私は疑問を抱いています。

内容は以上になります。
本書は新書になりますので、学術的な内容が多かったかと思います。私自身心理学を専攻していたわけではないので、少し理解に詰まるところがありました。
ただサブリミナル効果というのは世間的にも有名ですし、マーケティングの分野でもCMでの有効性が証明されているので、とっかかりにしやすい部分もあると思います。
学習する上で間違ったやり方をしてしまう人は、いきなり難易度の高い内容から知ろうとします。ただ一番大切なのは基礎です。足し算が出来ない人は掛け算は出来ませんし、方程式を解けるはずがありません。
学術的な内容を学ぶ上でもそれ以外の勉強でも基礎→応用という流れを作るようにしましょう。



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