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世界はすっかり変わってしまった

今年の1月22日の投稿を最後に3年間、毎日の日課であったブログの連続投稿を一旦止めてみた。そのいまからほんの少し前の過去、まだ寒い今年の1月下旬は、世界はまだかろうじて平和な姿を保っており、目の前に広がるその世界は大小様々な、諸々の問題を含みつつも、とりあえず揺るぎないものとして、あくまで僕らの日常にとっては平和な世界としてまだそこにあった。

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昨年あたりから親しい友人とことある度に「今年(2020年)はもしかすると戦後これまで、こんな時代を築いてきた人の暮らし方や、人の有り様、その価値観が根底から大きく揺らぐような急激な世界の転換が起こりそうな気がする」と話ていた。もちろん何かに基づいた話ではなく「なんとく」そう、その「なんとなくな空気感」そんな目に見えないものに導かれて、という具合に、何となくそんな気がしていたし、そんな話をよくしていた。しかしそれはあくまで何らか目に見える形で、例えば東日本大震災に匹敵するような人知を越えたような自然災害だとか、どうしようもないことだけれど、例えば大きな戦争であるとか、そういう、ある程度目に見える変化の中で、それに伴ってというものだった。

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しかし、今になって思えば、その変化を急激にもたらすものが、とても唐突に目に見えないウィスルによってもたらされ、それが同調するように同じように目に見えない、人の心や、価値観や、暮らし、経済、といういわゆる「空気感」によってどことなく構成され、世界をなんとなく繋いでるものを恐怖とともに、こんなにも激しく、それも世界全体を揺さぶるとは思ってもみなかった。ただ「変化がやってくるだろう」と大きな波、インパクトをある程度覚悟していた、またはそれに強いと思われる暮らしぶりを実践していたことが多少なりもと救いだったかもしれないなと、実際の世界がもう元に戻らないことを考えると、そんなふうにも考えてしまう。が、しかし実際に変化が起こって見ると世界はこんなにもあっと言う間に変化してしまい、その止めようのない目に見えない波がとてつもない早い速度感で全てを飲み込んでいく様子はもはや恐怖でしかない。まさにこれこそが「パラダイムシフト」という理論の一つの具現化した形なのだろうとも思ってしまう。革新的、劇的であるという急激な変化、転換は何も人にとって必ずしもポジティブでならなければならないという理由は一つもないのだ。

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そして災害や戦争のようにその現状や問題を可視化しにくいことも、現状の把握においても、乗り越えるべき問題においても、その先にあるゴールについても具体的に目標設定しにくいという大きな難しさを伴う。「お化け」や「空気感」に代表されるように人は目に見えないものの中にある「何か」によって自分自身を恐怖や不安によってを縛ることの恐ろしさ本能的に知っている。実家の天井の木目が何かに見えてトイレに行けない、あれだ。だから目に見えないウィルスと同じ速度で、その目に見えない恐怖を含み、それを根底とした様々な「なんとなくな空気」という呪縛が、人から人、人が集合して形成する社会から社会へ、無数に点在する、目に見えない情報から情報を経由して伝播し感染し、結局、現在の社会を支える、これまた全体のシステムを可視化することはすでに不可能と思えるような経済や、金融というところにも激しく感染し、それが最後に結果として様々な数字や現実の困難な状況を伴い、人の暮らしへと跳ね返り、結局一人一人が身動きが取れない呪縛へと成長し一人一人を激しく縛るのだ。

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…話題が大きなテーマになり過ぎた。ここで書きたいのは混沌とした社会のことでも、ウィルスについてのことでもない。僕の綴るブログについてのことだ。ブログを一時停止するにあたって「毎日書く」ということが1番の目的になってしまい正直中身が「ある/ない」に関して、そのクオリティーはさておき、というものになっていたのも事実だと思う。しかし、一方で、クオリティーにこだわり続けては毎日書くことはできない、いや、容易ではないということも「仕事」でなく、あくまで個人の活動の日記という立ち位置ではかなり難しいというのも事実だ。やはり3年も毎日やればそのあたりの相反する事情や葛藤は嫌でも感じるし時として大きなプレッシャーにもなる。これだけインターネットを介して様々な情報が溢れる中でただただ情報を垂れ流しにするのもどうだろう?という思いや、自分がここ(新城/奥三河)に暮らし、少し特殊な活動をする中でどんなことを伝えられるだろう、伝えたいのだろうという根本的な部分に迷いを生じたからこそ、一旦止めてみるという結論に至ったわけだ、まぁ、あくまでその当時、まだ平和だった世界の思考に基づいて。

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そして2ヶ月、最初に書いたように驚くほど急激に、あっさりと世界はすっかり変わってしまった。もうそこにあったような「当たり前」はどこにもなくその「当たり前」が、人の命であっても隣人との人間関係であっても、社会という体系であっても、経済という仕組みであってもいかに脆く儚いものかいやというほど痛感させれ、世の中が止めることなどできずに変貌していくのを基本的には受け入れていくしかない様をまざまざと見せつけられる毎日が続いている。そうした激しく変化する中にあって「こんな時だからこそ(山田さんは山田さんなりに)アウトプット、伝え続けていかないとダメだと思うんです、それは伝えられる人の役割だと思います」と、そんなふうに言われた。

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確かにそうだろうと思う。そう言ってくれことは大変ありがたく、その意味もよく理解できている。でも僕はいまだにどんなことを伝えていくべきなのかこうして書いていても正直わからない。けれども、こうした急激な変化の中で自分が伝えられることがなんなのか、それを伝えながら考えていくような気持ちで、もう一度伝えること、それは結局のところ単純な毎日の中で、繰り返される毎日のどうしようもない日常なのかもしれないけれども、それをできるだけ丁寧に重ね続けるように努力していかなければならないのかもしれない。今も刻々と、急激変化していってしまう中で、気がつけば忘れ去れてしまうような毎日を出来るだけ、僕の視点において、ここ新城・奥三河からの定点観測のように、発信し続けることの中に、改めて毎日が当たり前のようにやってくるという、実はとても幸せでかけがえのない大切な記録として、その積み重ねた記録が、たまたま目にした誰かに届き、そこにある少しの悩みや提言やら、喜びの共有やら、新しい出会いやら気づきやらがあり、少しでも伝わっていくのならそれもまた悪くないのかもしれないと感じる。

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さて、新年度となる4月1日もあと少しで日付が変わろうとしている。雨は上がり、外では激しい春の風が吹き荒れている。明日も何か書けると、伝えるべきこと、儚いイメージ、一日のアチーブメント(成果的なもの)、投げかける、投げかけてみたいテーマなどが見つかると良いのだけれど。この長い日記を日付が変わる前に書けて良かった。

明日も何か伝えるべきことがありますように。

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