いずみ〈 心と体を整えるライフコーチ 〉

大病をして病気がち&劣等感まみれだったぼくは「対話」を通じて人生を好転させてきたことを…

いずみ〈 心と体を整えるライフコーチ 〉

大病をして病気がち&劣等感まみれだったぼくは「対話」を通じて人生を好転させてきたことをきっかけに「ライフコーチ」になりました。気持ちが沈んじゃう人、目標に踏み出せない人、やりたいことが分からない人は、ぜひ相談にきてください!▷ 公式LINE追加で「体験セッション」無料プレゼント!

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誰でもない私がここにある。そのことに満足していたら、ついに、あなたが何者かということへの関心が、極端に小さくなっていることに気づく。あなたが何者であろうと、私はあなたの存在とともにある。そのことを約束する。その前提の向こうにいる。だからこそ「あなたは何者か」を尋ねられなくなった。

    • 暮らすとはゴミを出すということ。お洒落なお店で美味しいスイーツを食べることが、素晴らしいのではない。その向こう側の風景をちゃんと知り、自分の暮らしで、そのゴミを、いかに減らし、いかに価値へと変化させるのか。そのことに向き合わなければ、すべてはただのお飾りに過ぎないのかもしれんね。

      • 「わたしは幸せです」と伝えられる人とともに居られる今があること、それは、本当にしあわせなこと。好きです。側にいられるうちは、ともに在れたら嬉しいです。そんな風に伝えてしまえるほど、この幸福感を、はっきりと心も体も、感じ取っている。明日は、美味しい炒飯を作ろう。あと、野菜たっぷり。

        • 自分のことばかりが口をついて出てしまうことがある。そういう時は、あなたのことが心配とか、あなたのために動いているだとか、そういう言動も同じように出てくる。あなたを見ているから、私のことも見て欲しい。そういう感覚にある。ぼくはそれが心地よくない。全然嬉しくない。立ち戻ろう、最初に。

        誰でもない私がここにある。そのことに満足していたら、ついに、あなたが何者かということへの関心が、極端に小さくなっていることに気づく。あなたが何者であろうと、私はあなたの存在とともにある。そのことを約束する。その前提の向こうにいる。だからこそ「あなたは何者か」を尋ねられなくなった。

        • 暮らすとはゴミを出すということ。お洒落なお店で美味しいスイーツを食べることが、素晴らしいのではない。その向こう側の風景をちゃんと知り、自分の暮らしで、そのゴミを、いかに減らし、いかに価値へと変化させるのか。そのことに向き合わなければ、すべてはただのお飾りに過ぎないのかもしれんね。

        • 「わたしは幸せです」と伝えられる人とともに居られる今があること、それは、本当にしあわせなこと。好きです。側にいられるうちは、ともに在れたら嬉しいです。そんな風に伝えてしまえるほど、この幸福感を、はっきりと心も体も、感じ取っている。明日は、美味しい炒飯を作ろう。あと、野菜たっぷり。

        • 自分のことばかりが口をついて出てしまうことがある。そういう時は、あなたのことが心配とか、あなたのために動いているだとか、そういう言動も同じように出てくる。あなたを見ているから、私のことも見て欲しい。そういう感覚にある。ぼくはそれが心地よくない。全然嬉しくない。立ち戻ろう、最初に。

          何をしているか、誰と比較して自分に何が足りないか、今この状況で何が必要か、そういうことだけが口から出る期間に入ったようだ。こんな時の処方箋は、単純に「話す量を減らす」だ。話したいと思った時に、話さない。ありのままに生きるとは反するように思えて、大きく見た時の幸せにつながるヒント。

          何をしているか、誰と比較して自分に何が足りないか、今この状況で何が必要か、そういうことだけが口から出る期間に入ったようだ。こんな時の処方箋は、単純に「話す量を減らす」だ。話したいと思った時に、話さない。ありのままに生きるとは反するように思えて、大きく見た時の幸せにつながるヒント。

          「私の言葉で私を生きる」そういう自分に言えるのは《全てが自分のオリジナルだと思うな》ってこと。人は他人の写し鏡であり、自分こそがオリジナルだなんて奢ってるにも程がある。常に誰かとの関係の中でジブンってものが「ようやく見える」ってもんで、言ってみれば自分なんてその程度のことである。

          「私の言葉で私を生きる」そういう自分に言えるのは《全てが自分のオリジナルだと思うな》ってこと。人は他人の写し鏡であり、自分こそがオリジナルだなんて奢ってるにも程がある。常に誰かとの関係の中でジブンってものが「ようやく見える」ってもんで、言ってみれば自分なんてその程度のことである。

          服が汚れている。足が黒ずんでいる。肌にデキモノが出てきてる。ちょっとお腹も出てきたし、少し痒い感じもする。でも、生きてる。でも、生きてる。でも、生きてる。美しいということを誇るな。清潔であるということを誇るな。それが当然のことと思うな。暮らしを磨け。心を開け。てめえを生きてゆけ。

          服が汚れている。足が黒ずんでいる。肌にデキモノが出てきてる。ちょっとお腹も出てきたし、少し痒い感じもする。でも、生きてる。でも、生きてる。でも、生きてる。美しいということを誇るな。清潔であるということを誇るな。それが当然のことと思うな。暮らしを磨け。心を開け。てめえを生きてゆけ。

          ありのままに生きるとか、丁寧な暮らしとか、存在を認めるとか、許すとか、比較しないとか、観察するとか、なんかそういう「ふわっとしているけれど確かなこと」を想像するフェーズは終わった。そういうことは、暗黙知(考えずともできること)になった。今は、そのことをどう具体に引き戻すかに集中。

          ありのままに生きるとか、丁寧な暮らしとか、存在を認めるとか、許すとか、比較しないとか、観察するとか、なんかそういう「ふわっとしているけれど確かなこと」を想像するフェーズは終わった。そういうことは、暗黙知(考えずともできること)になった。今は、そのことをどう具体に引き戻すかに集中。

          丁寧な暮らしに憧れているなんて、たぶん嘘である。雑巾掛けをしたり、毎日ご飯を作ることは、決して決して、いつも穏やかでいつも豊かだとは限らない。想像ではなく、現実のものとして、暮らしを味わってゆく。毎朝の雑巾掛け。そして、料理。片付け。隙間時間に音楽と学び。生きるって地道なものだ。

          丁寧な暮らしに憧れているなんて、たぶん嘘である。雑巾掛けをしたり、毎日ご飯を作ることは、決して決して、いつも穏やかでいつも豊かだとは限らない。想像ではなく、現実のものとして、暮らしを味わってゆく。毎朝の雑巾掛け。そして、料理。片付け。隙間時間に音楽と学び。生きるって地道なものだ。

          見えていること、目の前で起きていることを「言葉にすること」は、そんなに難しいことじゃない。ただ起きている事実を、余分なく、言葉にするだけでいいんだから。本当にしなければならないのは、言葉にできるそれを、自分の手で現実にもってくること。想像から現実に、自分を引き戻すということだよ。

          見えていること、目の前で起きていることを「言葉にすること」は、そんなに難しいことじゃない。ただ起きている事実を、余分なく、言葉にするだけでいいんだから。本当にしなければならないのは、言葉にできるそれを、自分の手で現実にもってくること。想像から現実に、自分を引き戻すということだよ。

          使っている道具の良し悪しで自分の生き様を語るような時間は、本当に虚しいものだと言うことに気づく。自分のしていること、学び得たもので自分を語れる人でありたい。いろんな機能があるのは、もう分かった。だからなんだって言うんだ。それを使って、自分自身、何を得て何を想像できたかが大切なの。

          使っている道具の良し悪しで自分の生き様を語るような時間は、本当に虚しいものだと言うことに気づく。自分のしていること、学び得たもので自分を語れる人でありたい。いろんな機能があるのは、もう分かった。だからなんだって言うんだ。それを使って、自分自身、何を得て何を想像できたかが大切なの。

          鍵をなくしたり、仕事がうまくいかなかったり、忘れものをしたり。なんだか1日がまるッとうまくいかない日もある。でも、だからといって、うつむいてないで、顔を上げて。うん。それでいい。顔を上げて、笑って、遊びなさい。人生をもっと楽しみなさい。自分を下げて幸せになる人は一人もいないもの。

          鍵をなくしたり、仕事がうまくいかなかったり、忘れものをしたり。なんだか1日がまるッとうまくいかない日もある。でも、だからといって、うつむいてないで、顔を上げて。うん。それでいい。顔を上げて、笑って、遊びなさい。人生をもっと楽しみなさい。自分を下げて幸せになる人は一人もいないもの。

          自分にとって人生を暗く落としてしまうことを明らかにする。シンプルにいうと「嫌」から離れて生きること。人生を他人に委ねない。でもそれは「自分の人生を自分で作ること」を意味する。人生を作る自分が「動かなければ」人生はたちまち暗くなるの。明るく豊かな人生を生きる自分だけは諦めないこと。

          自分にとって人生を暗く落としてしまうことを明らかにする。シンプルにいうと「嫌」から離れて生きること。人生を他人に委ねない。でもそれは「自分の人生を自分で作ること」を意味する。人生を作る自分が「動かなければ」人生はたちまち暗くなるの。明るく豊かな人生を生きる自分だけは諦めないこと。

          誰にも打ち明けられないことが、ふっと胸の内から湧き出てくることがある。そういう時、その思いを、胸に留めて置けなくなる時がある。なんとかして外に放ちたいと思う時がある。それを伝えられる人が、たった一人、たった一人でもいるのなら、人生は、どれだけ彩られるのか。その幸せをとくと味わう。

          誰にも打ち明けられないことが、ふっと胸の内から湧き出てくることがある。そういう時、その思いを、胸に留めて置けなくなる時がある。なんとかして外に放ちたいと思う時がある。それを伝えられる人が、たった一人、たった一人でもいるのなら、人生は、どれだけ彩られるのか。その幸せをとくと味わう。

          最近座りすぎていたせいか、昨日から、腰が痛む。右腰あたりにしこりのような痛みの感覚がある。痛みながらも「生きるぼくら」を読んでいたら土に触れたくなった。自然の田んぼづくりをする青年の話だ。草むしりをはじめ、ガーデンデザインに励み、畝をつくり、苗を植えた。あれ腰の痛みは何処へやら。

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          一緒にいたら「どうしても心から関わり合えない人」というのがある。本当に愛すべき存在であるにもかかわらず、心を開いて触れ合うことができない。その様子に、周囲が自分に気づかっていることがよく分かる。それがまた自分を苦しめることもある。でも、それでいいんだって。離れたらいいんだと思う。

          一緒にいたら「どうしても心から関わり合えない人」というのがある。本当に愛すべき存在であるにもかかわらず、心を開いて触れ合うことができない。その様子に、周囲が自分に気づかっていることがよく分かる。それがまた自分を苦しめることもある。でも、それでいいんだって。離れたらいいんだと思う。