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夢は子供と一緒に世界を見ること。

小学生の私は、
「女性として生きること」を諦めた。

学校に着くとすぐ、制服から体操着に着替え、
男子に混ざってサッカーをして、
ザリガニを釣ったりバッタを追いかけたりして泥だらけだった。

スカートもピンクも三つ編みも嫌いで、
ズボンと青が好きで。
教室で絵を描いたり、家庭科で裁縫をするのは苦手で、
木をギコギコ切って組み立てたり、ロボットをつくるほうがわくわくした。

そして、
男の子を期待されて産まれてきたと知った時、
たくさん勉強をして偏差値の高い学校に進学し、
医者か弁護士か一流企業に入ることがだいたい私の目指すゴールになった。

それは、私が育った環境の中で定義されていた、
「女の子」や「女性としての生き方」とはかけ離れていて、
「それなら女性として生きることは諦めよう。」と思った記憶がある。

中学生の私は、
親の期待に応えることを諦めた。

私は医者にも弁護士にもなりたくなかったし、
一流企業にも偏差値の高い学校にも興味がなかった。
だけどそれを手放そうとした時、
だったら私の生きる意味ってなんなんだろうか、と自分が分からなくなった。

毎日通っていた習い事は苦痛で、
ピアノもバレエも習字も勉強も、どれも向いていなかったから、
得意なことをみつけることも諦めた。

高校生の私は、
本当の自分を理解してもらうことを諦めた。

居場所が見つけられず、
自分の好きなこともどうしたいのかも分からないまま、
ひたすらアルバイトに打ち込んだ。

大学生の私は、
何かを望むことを諦めた。

だって叶うはずがないから。
私の人生は誰かが望んだことに応えることに意味があると思ったから。

わがままを言ったらバチがあたる。
どうせ何をやったって私には才能がない。

そうやって、自分の人生を生きることを諦め続けた。

結婚して出産して離婚して。

27歳の私は、
失うものが何も無くなった。

その時、初めて「もう、諦めたくない。」と思った。

絶対に諦めたくないと思ったけど、
それでも現実は諦めることの連続だった。

働き方も、
なりたかったママ像も、
子供と過ごしたい時間も、
本当はしたいおしゃれも、
住みたい場所も、
買ってあげたいおもちゃも、
制限なくチャレンジさせてあげたいことも、

子供と一緒に見たい世界中のいろんな景色も。

それを叶えられる自分には、なれなかった。

でも今は。

今までできなかったことや、
今できないことじゃなく、
これから実現していくことだけを考えている。

絶対に叶うと信じている明日のために、
今日何ができるだろうかと考えている。

ただそれだけで、
ひとつも諦めていない。

見る場所を変えただけで、
大切にしたいものに気づいただけで、
可能性は無限になると気づいたから。

もし明日目が覚めて、
無限に時間やお金があって全てが手に入る自分になったら、
私は満たされるだろうか、豊かなんだろうか、と思った時、
たぶん答えはNOだと思う。

実現したいものに向かって楽しんでいる時間が好きで、
わくわくしている時間が大切で、
日常の中で「今叶っている現実」があって、
うまくいっていることもそうじゃないことも、
いろんな感情を抱くことが愛おしいと思っていて。

そうやって、一歩ずつ、ひとつずつ。

この世界で自己実現していくことを楽しみ続けたいから。

結婚していてもしていなくても、
キャリアウーマンでもそうじゃなくても、
ママでもママじゃなくても、
パパがいてもいなくても。

いつからでもどこからでも、
自分の人生を自由にデザインして、
自分らしく生きることはできると知ったから。

だから、諦めてきたことじゃなく、
これから叶えたいことをひとつずつ掴むことができる自分になるために。
心もお金も豊かで、明日の自分はもっと楽しいと、
毎日わくわくしているママであり続けたいと思います。

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