見出し画像

君の死に目に立ち会いたい

猫を飼っていて、少し嫌だなあと思うこと。「死んじゃう時のことを考えると飼えない」「飼っていたことがあるけど、死なれた時に立ち直れなかった」と言われること。

なんと答えてほしくて投げかけられているのかわからない。この間は「そうですよねえ、想像すると辛いです」と答えた。じゃあ、なんで飼っているのだとセルフツッコミ。

言外に「よく飼えるね」「想像力ないの?」と言われている気がするのは被害妄想ですか。そうですか。

それを考え出すと辛いけど、飼ってしまったのは、確かに想像力の欠如かもしれない。が。

いやいや「〜しまった」、なんて愛猫に失礼だ。

猫は今月で7歳になった。人間の年齢にすると44歳らしい。私の年齢を少し超えた。ちょっと面倒な経緯があって、一緒に暮らすようになって4年になるのかな(数えるの苦手)。

同棲していたときに友人から貰い受け、彼氏がその年末に故郷に転職、私もいずれそちらに…という約束で、猫は彼氏とともに3年暮らした。

その3年で彼氏のクズっぷりがよくわかって、猫を引き取り別れた。猫は私の母が亡くなって1年以内に生まれているので、実は生まれ変わりなんじゃないかと思っている。猫が私に「目を覚ませ」と身をもって教えてくれたのだ。

それからは猫と生活するために生きていたら、人生は上向き、異動を選んだことで引っ越し代も1年で貯まるようになった。引っ越して1年経たないけど、まだ引っ越しできるぐらいには貯金出来ていて、些細なことだけど有り難い。

彼氏に合わせた生活が、自分の人生に合っていなかった。という一言に尽きる。あのまま、彼氏の田舎に引っ越して結婚していたとしても、仕事があったとは思えないし、彼氏がその辺りをカバーしてくれると思えないし、最悪自分で死を選ぶことになるのではないか。そんな私の逡巡も、向こうはきっと察していない。

私は言いたいことを我慢するタイプではないので、かなり具体的に不満は伝えていたんだけど、伝わらなかったのは発達障害的な要素があるのではないかと思っていた。その辺りも伝えたら否定されたので、「それじゃあ、あんた、ただの性格悪い人じゃん」「できることを敢えてやって来なかったってことでしょ」。私の不満は何ひとつ解消されたことがなかった。結果的にいつも無視されていた。障害でなくて意図的な無視なら、それって人間じゃないじゃない。付き合っている意味もない。それで終わった。

障害で欠点を直したいのに直せなかったのなら、許せていたと思う。視力のない人に、100メートル先の標識を読んでとは言わない。

毎年9月に猫はワクチン接種を受ける。時間を作るのが病的に苦手な人で、別れるまで私が毎年その時期に彼氏の田舎に行って病院に連れて行っていた。その年は、直前でドタキャンされて私は行けなかった。

その後、ワクチンを打ちに行ったと連絡を受けていたけど、別れることにして年明けの1月に猫を引き取りに行った時に、ワクチン接種の証明書を見たら、それが12月だった。嘘だったんだな。ビックリした。別れ話になったときも行ってなくて、私が引き取りに来る直前になってようやく行ったということ。謝られたけど、意味が分からなくてなんの感情も湧かなかった。

母は精神を病んでいて、私はネグレクト気味に育てられているんだけど、そういう生育環境だから、ああいう「普通」を取り繕っていた男に無駄に時間を使う羽目になってしまったんだろう。母のせいにするつもりはないけど、客観的に分析するとそれかなって思う。

私だって不完全だから、他人に完全は求められない。私の問題は明確だから、まだマシなのかもしれない。別れた彼氏は、己の不完全さを認められずにこれからも苦しむのかもしれない。苦しそうに生きている人は、世の中結構多いと感じる。そういう人から見ると私は優しく見えているのかもしれない。私も寂しいから共依存のようになるのだろう。「普通」になりたかった。

そんなわけで、母は全力で私に罪滅ぼしをしているのかもしれないと幸せな妄想をしている。母猫が子猫の首根っこを咥えて運ぶみたいに、私は人生を考え直すきっかけを与えられた気がする。

母親は頭おかしかったけど、普通に結婚している人になりたかった。私に普通は難しいかもしれない。世の中的な普通は諦めた。私は私の普通を生きよう。猫が教えてくれた。

なのでいま猫について思うことは、死に目に立ち会いたい。母の死に目に立ち会えなかった。多分、父の死に目も難しいだろう。猫の死に立ち会いたい。別れを受け止めたい。強くなりたい。

私はあまりにもふわふわ生きてきてしまった気がするので、命への責任をきちんと持ちたい。「死に目に立ち会いたい」という感情は強い愛だな。今まで感じたことのないものだから、次誰かと付き合う時は、そう思えるかをポイントにしよう。来世の課題になるかもしれないが。

最初からそんなことを考えて飼う人間はいないと思う。多分、人生を一緒に過ごす動物とは出会うべくして出会っているのだ。想像すると飼えないという人は、今はそのタイミングではないということで、死なれて飼えなくなった人は、その役割を終えたのだ。

私は猫と暮らす役割を全うしたい。生き物係、猫担当。でも実は犬も好き。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?